第2話 聖域①
太陽が中天に昇るころ、マイスとシエンは荒野を歩いていた。
シエンの提案を聞いた翌日にマイスは旅に出た。マイス単独で突貫させるのはまずいと判断したシエンもついてきた。
普通の旅人は日中移動し、夜間は安全な場所を探し見張りを立てながら休憩するが、この二人に関しては話が別だ。魔物も獣も人族最高戦力の二人の力を察して襲ってこない。仮に襲われても数秒でノックアウトできる。道中、地図を確認している二人を襲った盗賊たちは死なない程度にボコボコにされて衛兵詰め所に捨てられた。衛兵は突然引きずられてきた十人以上の盗賊の処分に困って頭を抱えた。
戦闘に行くわけではないので二人とも防具をつけないラフな旅装である。威嚇もかねて剣だけは身に着けている。
「あれか」
徐々に見えてきた目的地を前にマイスがぽつりとつぶやいた。
「ああ、あれが『生命の森』。教会でも管理しきれていない特級の聖域だ」
遠目にも青々とした木々が茂っているのが見て取れる。
それは異様な光景だった。
その森は荒野のど真ん中にあった。
森まであと一キロという距離まで迫ったマイスの頬を撫でる風は乾ききっている。周りは砂漠一歩手前といった有様で動物も植物もろくに見かけない。
枯れた大地に囲まれた生命あふれる森。それが聖域『生命の森』だった。
「話は聞いてたがこうして見ると不気味なもんだな。生命力が集中しすぎていて『飽和』とか『鬱蒼』って感じだ」
「紹介した私が言うのもなんだけど本当に聖域なのか……?」
「神気があふれてる。神にゆかりの土地ってのは間違いない。神につながっていればそれでいい」
顔を引きつらせるシエンとは対照的にマイスは獰猛な笑顔を浮かべていた。
あまり期待していなかったが、これほど神気に満ちているなら十分可能性がある。
「行こう」
マイスは先ほどまでよりも大股で踏み出した。
―――
「聖域に行こう」
神をしばくという言葉を撤回したマイスにシエンはそう言った。
「聖域って教会が管理してる神気を帯びた土地か? そんなところに行ってどうする。教会連中はこの烙印を『聖印』とかほざいてるんだぞ。消そうとしてるなんて言ったところで協力も得られないんじゃないか」
聖域にはこれまで何度か訪れている。直近では魔王討伐を報告するために訪れた中央教会が聖域に該当する。
当然ながら、聖域を訪れたところで烙印は消えなかった。
教会の連中はマイスの烙印をあざ笑うくせに表向きは聖印として扱う。消すことに協力するどころか邪魔されることもありうる。
失敗の烙印は神によってつけられたもの。むしろ神から距離をとった方が消える可能性があるのではないか。
マイスの疑念を聞いてもシエンは平然としていた。
「これまでマイスが神託を受けるのは決まって教会だった。魔王との決戦前には聖域へ行くよう神託が下って、聖域で神気を補充した。それは間違いないね」
「それがどうした?」
「烙印が利便性を追求したものだとすると、仕様には何かしら理由があるはずだ。もしも制限がないなら教会以外でも神託を受けられて、いつでも神気を補充できる方が便利じゃない?」
「それはそうだ。できるなら決戦の時に使った端から神気を補充してくれていいよな。文字数だって多い方が利用の幅が広がる」
マイスは世界で最も多くの神気を受け取れる器の持ち主であるが、無限にため込めるわけではない。魔王軍との戦いで消耗するたびに教会や聖域で補充していた。
神がマイスに魔王を倒させたかったのは間違いない。もしも魔王との決戦中に神気を補充できたならもっと楽かつ確実に魔王を倒せたはずだ。
「合理性を求める神のことだ。やること、やらないことにはそれぞれ理由があるんじゃないか」
「教会や聖域は神が働きかける条件を満たしているってことか」
「ああ。決戦前は聖域へ行くよう指示されただろう? 教会より聖域の方が神に近いってことだと思う」
「……なるほど」
「だから、聖域ならマイスの声が神に届く可能性があるんじゃないか?」
神託は一方通行で神から指示が来るのみだった。神託の意味を質問しても回答はなかった。
わざわざ失敗の烙印なんてものを用意して明確に神託を伝えようとする以上、神託を誤って解釈される可能性は神も排除したかったはず。
なのに質問に回答がなかったということは、そもそも神に質問が聞こえていなかったのではないか。
そして、聖域という神により近い場所であれば、マイスの声が届くのではないか。
「魔王討伐は終わった。役割を果たしたのだから、烙印を消す方法を答えてくれる可能性はあると思う」
「わかった。じゃあさっそく中央教会へ殴り込みに」
「行くな。普通に申請していけばいいだろ。わざわざ荒事にしないでくれ。もしそんなことをされたら本当に私ときみで殺しあうことになる」
「といってもだな、正式な手続きをしたらどれくらい時間がかかるよ」
「今は魔王討伐後の礼賛儀式の最中だから……半年くらい?」
「待てるか。つーか神を崇めるなら神託の勇者にちょっとくらい順番を譲ってくれてもいいだろう。役所でもも少し柔軟だぞ」
「そこに関しては申し開きしようがないというか、中央教会にいるのはガチものの狂信者だから、勇者より神へ感謝をささげることを優先するのは間違いないというか。現世利益を優先する生臭たちなら融通効くんだけど」
「……どっかで魔族の残党拾ってきて爆弾くくりつけて自爆テロに見せかけて教会消し飛ばすか。上物なくなっても聖域は聖域だし。魔族の自爆テロのせいならシエンとやりあわずに済むし。夢見がち狂信者ならいなくなっても良心痛まないし。昔の意趣返しができるだけ一石二鳥だし」
「待って、他にも聖域はあるから。魔族の残党を探すより手っ取り早く行ける高位の聖域を探し出して案内するから本当に待って」
シエンの必死の説得によりマイスは踏みとどまった。
休暇のはずだったシエンが教会の大書庫で資料を漁ることになったのは言うまでもない。
―――
マイスとシエンは生命の森へ踏み込んだ。
樹木は異様に高くそびえ立ち、密度の高い葉に陽光が遮られてしまうが、森の中は意外なほど明るかった。
うっすらとした光の粒子が森の中を漂っているのだ。まるで森そのものが発光しているようだった。
「幻想的な光景だね」
シエンはほう、と息をついた。
魔王軍との戦いで大陸中のあちこちを訪れたがのんびり観光することはなかった。初めて見る不思議な光景に好奇心を刺激され引き込まれていた。
「詳しく調べる暇はなかったけど、帰ったらこの森の詳しい資料を探して読んでみようか。何が光っているんだろう。……マイス?」
はしゃぐシエンとは対照的にマイスは眉間にしわを寄せていた。猜疑心と警戒心が露わになっている。
近くに敵がいるのかとシエンも遅れて周囲を警戒するがそれらしい気配はない。
動物の気配はあるが二人から逃げるように走るか、離れた場所から様子を伺っているかの二択である。マイスがこれほど警戒するような強い力は感じない。
生い茂る植物に毒性のものがあるのかと観察してみてもそんなものはない。非常によく育っている、普通の植物だ。
「シエン、ちょっと聞きたいんだが、この森は教会の関係者も寄り付かないんだよな」
「それがどうかした? 教会といざこざを起こしたくないから人気がないこの聖域を選んだんだけど」
教会に横やりを入れられたくないマイスもその選定基準には合意していた。
もしや人の気配があったのか、と改めて地面や木々を観察するが、人の足跡などは存在しない。調べた通り人は寄り付かないらしい。
「不自然すぎる。なんでこれほど資源に満ちた森を誰も開発しない?」
「それは、教会が聖域に認定しているからだよ。神の力に満ちた聖なる土地を荒らすわけにはいかないだろう」
「上層部の生臭どもは商人よりえげつない拝金主義者だぞ。一部の狂信者に隠れて開発するくらい普通にやるだろう。こんないくらでも金になりそうな土地を放っておく理由がわからん」
「……ノーコメント」
シエンはそっと目をそらした。
あまりにもあんまりなマイスの発言だが、ぶっちゃけ否定しきれなかった。
人が集まれば組織が生まれ、組織ができれば利権が発生するのは世の理。組織が大きくなるほど利権は膨れ、組織本来の目的そっちのけで利権争いするのが人の性である。本当に敬虔な信者は泣いていい。
「とんでもない厄ネタが潜んでるのは間違いない。気を引き締めていこう」
「間違いないってほどじゃないじゃないかな……」
「本気で言ってる?」
「……ノーコメントで…………!」
「手に負えないレベルの厄ネタだったら逃げるぞ。他の聖域を攻めたって良いんだからな」
何なら今すぐ引き返すことすら検討した。そうしないのは、聖域なら神に問合わせできるか早く確かめたいのと、他の聖域に殴り込み教会とモメるのが面倒だからである。
「ここも端っことはいえ聖域だ。神とやりとりはできないかな? 深入りしないで用が済めばそれにこしたことはない」
「……無理だな。ここじゃあまだ教会程度の神気濃度だ。もっと神気が濃い場所じゃないと聖域まで来た意味がない。神気が濃い方向へ向かう」
マイスは世界で最も敏感に神気を感じる人間である。聖域に満ちる神気は森の中央方面から流れ出たものだと察知した。
心なしか、先ほどよりも暗く見える森の奥へ二人は踏み出した。
「サックサクだな」
「驚くほど何もないね」
マイスとシエンは特に障害にぶつかることなく森の奥へ踏み込んでいた。数時間で森の中心部に迫っている。
森なので見通しは悪いし足元も荒れている。平地と比べれば時間がかかるとはいえマイスとシエンが苦にするほどではない。魔王の瘴気で液状化した地面に比べれば天国のようなものだ。
これほど落ち着いた道のりはかつてないほどである。
「何もなさ過ぎて逆に不安になってきたんだけど」
「奇遇だな。俺もだ」
魔王討伐の旅は常に危険だった。行く先は常に戦場だったし、道中襲撃されることもあった。
今の道中が平和なのはマイスとシエンが周囲を威圧しているからだ。どちらも上級ドラゴン相手に単独で戦える、人としてどうかと思う生物である。生命の森に住む動物たちだって縄張りを素通りするだけなら危険を冒して戦いたくない。
野生動物以外の脅威があるとしたら魔王軍の残党だが、魔王軍の徹底抗戦派は暴走した魔王の瘴気に侵され壊滅した。残党に二人を襲撃する力は残っていない。
人族の権力者はマイスとシエンに手を出す愚は痛いほど知っている。二人を同時に倒そうと思ったら魔王以上の戦力を投入しなければならないが、そんな戦力があったら魔王討伐に使って素直に名声を得ただろう。
平和な理由が分かっていても違和感はぬぐいきれなかった。
「もうすぐ神気の発生源に到着する。何がいるか分からんからこっそり進んで遠目に様子を見よう」
「わかった――マイス危ない!」
「来たか!」
シエンの声に反応しマイスは跳躍した。
一瞬遅れて地面に矢が刺さる。
「立ち去れ……立ち去れ……」
ざわざわと枝葉が擦れ合う音に混じり人の声が響く。
ぐるりと周囲を見渡しても人影はない。木々に声が反響して警告を放ったものがどこにいるか分からない。
「俺の名前はマイス・ティーク! この森の奥に用があって来た! 中心部で神に祈りを捧げるだけだ! 敵意はない!」
「立ち去れ……」
「私はシエン・ディン! 聖典教会所属の教会騎士だ! マイスの言葉に嘘が無いことは私が保証する。姿を見せる必要はないが、攻撃をやめていただきたい!」
「立ち去れ……!」
「失礼でなければ謝礼をする! 持ち合わせがあれば今すぐ渡す、無いものであれば仕入れてから出直してくるとしよう。……額を見ればわかるだろうが、俺は神託の勇者だ! 嘘はつかん!」
マイスは苦り切った顔をしながら前髪を上げて失敗の烙印を見せつけた。
鬱陶しいし忌々しい烙印だが、こういう時には身分証代わりに役立つのだ。散々迷惑をかけられているからこそ、使える時には有効活用したい。
「立ち去れ!」
額を見せてなお人影は姿を現さなかった。
むしろ殺気を膨らませ、マイスの頬をかすめるように矢を射ってきた。
マイスは血のにじむ頬を親指でぬぐった。わずかに出血したもののすでに傷はふさがっている。
親指についた血の臭いを嗅ぐ。シエンはマイスに近寄り小声で話しかけた。マイスも小声で応じる。
「マイス、どう?」
「毒はない。最初の一発も俺が避けなかったとしても当たらなかっただろう。だが、今の二射目は殺意がこもっていた」
「教会、勇者って言葉が気に障ったかな」
「多分な。そっちは?」
「撃って来た直後から葉擦れの音が増えた。地面に刺さった矢の角度からしても樹上にいるのは間違いない」
「二人はいるな」
「おそらく三人だ。警告した一人、木を揺らす演出係が一人は確定。もう一人、私たちが警告に従わなかった時に不意打ちするための伏兵がいると思う」
「異議なし。それにしても無謀だな」
「まったくだ。少し同情する」
マイスは剣を抜き、シエンは盾を構えた。同時に意識を『交渉』から『戦闘』に切り替えた。
周囲の空気が一変する。これまで遠くから二人を観察していた獣たちはわき目も振らず逃げ出した。
逃げ出さなかった――逃げ出せなかった生物はわずかに三体。立ち去れと告げた襲撃者たち。
二人が帰るのではなく臨戦態勢をとったことで放置できなくなった。
一斉に矢を射かける。あらかじめ仕掛けておいた弩と合わせて数十本の矢が全方位から二人を襲う。
「しゃらくせえ!」
マイスが無造作に黒い剣を振る。
それだけの動作で暴風が巻き起こる。矢は一本残らずあらぬ方向へ飛んで行った。
「俺たちとやり合いたかったらドラゴンをダース単位で連れてこい!」
マイスが放った威圧感はその言葉が冗談でも誇張でもないことを襲撃者たちに理解させた。
襲撃者たちはそれぞれ違う方向へ逃げ出した。まともに戦っても命を落とすだけだ。
「どれにする?」
「立ち去れって言ってたやつ。一番近い。次に近いのは木を揺らしてたやつか」
「そっちは私が行こう。それとも私が全部片付けてこようか。その隙に聖域の中心部に行けばいい」
「いや、先に襲撃者を片付ける。さすがに途中で射られたら気が散る。とっ捕まえたら目印出して合流でいいだろ」
「了解。ところでその黒くて見るからに悪そうな剣は何? 聖剣をどこへやった」
「いいだろ、魔王城でかっぱらってきたんだ。聖剣は弱いから教会にくれてやった。魔王のジュルジュル斬った剣ってなんか気持ち悪かったし」
「ジュルジュル……ジュルジュルしてたなあ……」
「じゃあ、また後でな」
マイスとシエンは聖域の中央部に背を向け、それぞれ駆け出した。
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