失敗勇者は許さない
@taiyaki_wagashi
第1話 マイス・ティークは許さない
昼下がりの王城、光が差し込む謁見の間にて。
玉座に腰掛ける王の脇には近衛兵が控え、王の前にはひとりの青年が跪いていた。
王の表情は晴れない。青年は頭を下げているため表情を読み取れない。
「勇者マイスよ、よくぞ魔王を倒してくれた」
「はい、お褒めの言葉を授かり光栄の極みでございます」
「これからどのように身を振るつもりだ? 我が娘を妻にしてもよい。将軍職を与えることも可能だ。それともどこかの都市の領主をするか? 面倒ならこの莫大な報奨金を持って隠遁してもよい。静かに隠れ住む場所が欲しければ我が責任をもって用意しよう。それとも……」
「陛下、私の次なる目標は決まっております」
「……そうか」
「私は、私に失敗の烙印を捺したものを決して許しません。落とし前をつけに行きます」
「気持ちは分かる。わかるが、考え直すことはないか? さすがに教会が黙っておるまい。教会全てが敵に回るとなれば我もかばいきることはできん。与えられた力に助けられのも事実だろう? 命を無駄に散らすことになりかねん」
「だからと言って許せるものではありません。正直、私は魔王と手を組もうかと、割とまじめに考えました」
「仕方ないか……」
そう、王は深くため息をついた。勇者マイスはゆっくりと頭を上げる。
目の前の勇者には働き相応の謝礼をしたかった。財産はもちろん、望むなら地位も権力も国の運営を揺るがさない範囲であれば与えるつもりだった。今でもそのつもりである。
しかし、マイスはそれを望まない。
その理由は目に見えて明らかだった。
なぜなら。
「生まれた時からデコに『失敗』だもんなあ」
王は失笑した。
マイスの額にはピカピカと、これ以上なく明確に『失敗』の二文字が光り輝いていた。
「よし決めたぶん殴る。国王相手だからって俺がおとなしくしていると思うな」
ばっと護衛の騎士がマイスにとびかかる。あるものはしがみついて動きを妨げ、あるものは王様の前で両手を広げ、あるものは必死の形相で大声をあげる。
「待って勇者様やめてあなたの力で殴られたら陛下死んじゃうから! 陛下も喧嘩売らないでください!」
「誰か、誰かー! シエン様を呼んできて! 勇者様はあの人以外に止められない!」
―――
マイス・ティークは神託の勇者である。
マイスは国の端っこにあるテハ村で生まれた。生まれた瞬間から額が光り輝いていたので両親は病気や呪いではないかと心配し、近くの町の教会へ行くことを決心した。
その教会に勤める神父は医師の資格も持っていた。彼ならば病気でも呪いでもなんとかしてくれるはずだと考え、マイスを抱えた父は冬の雪道を踏破し教会へ駆け込んだ。
『こ、これは
神父はマイスを見るや否やそう叫んだ。
自分自身は凍傷を負いながらもマイスを無事教会に連れてきた父は呆気にとられた。
『神父様、なぜろくに診察もしないでそうだと断言できるのですか?』
父はマイスの体に異常がないか心配して、自分とマイスの命を危険にさらしてまで教会に連れてきたのだ。神父がきちんと診察もしないで素っ頓狂なことを言い始めたので腹が立ってきた。
目を座らせた父に対して神父は怪訝そうな視線を向けた。
『だって、「神託」「勇者」って書いてありますから』
神父はマイスの額を指さして、それから『あっ』と言った。
マイスの父は辺境で生まれ育ったため教育を受けていない。文字が読めなかったのだ。
『……本当に神託なのですか? 何か、変な悪魔とかが仕掛けた悪戯という可能性は』
『ありません。この子からは神気があふれていますから。これは神意変生という、神の力を受けて肉体が新たな能力を獲得した状態です』
神父はマイスが体を冷やさないよう寝床を用意しながら断言した。
それからあれよあれよと話が進んだ。
マイスは教会に引き取られた。来る魔王との対決のため勉強も魔術も剣術も一流の教育を施されることとなった。
両親もまた教会に招かれた。マイスから引き離すよりも教会で囲い込んだ方が良いという判断だった。衣食住を保証され、マイスの成長を見守りながら教会の仕事をすることとなった。
二十年の歳月が流れ、マイスは魔王を打倒し名実ともに勇者となった。
そんな神託の勇者は今、
「というわけでこんなぶちふざけた烙印を押した神をしばきに行きたいと思う。神の野郎がどこにいるか知らないか」
「知らないよ。あと、教会騎士の私に神をしばくとか言わないでくれ」
教会の応接室で殺気をまき散らしていた。
国王を殴ろうとしたところ、武器を捨てて必死に国王をかばう兵士を張り倒すわけにもいかず攻めあぐねているところを連れ出された。
到着したのは王城に隣接する教会の応接室である。椅子に腰かけ、神父に出されたリラックス効果のある紅茶をすすってもいらだちは消えてくれない。
そんなマイスの前で「はあ」とため息をつくのは教会騎士のシエン・ディンだった。
「きみが額の聖印を嫌っていることは知っている」
「聖印言うな。神官連中が裏で笑ってることくらい知ってるぞ。皮肉か?」
「……烙印をつけられたことを憤っていることは理解できるけど、落ち着くつもりはない? 陛下なら十分な褒章を約束してくれたんじゃないか?」
「褒章は問題じゃない。そもそも俺は魔王を倒せば烙印が消えると思ったから戦ったんだ。一番望んだ報酬が得られないのに黙って引き下がる理由は無い」
「神をしばくより烙印の研究をして消す方法を探す方が建設的だと思うけど」
「消す方法は当然探す。それはそれとして、神の野郎を一発ぶん殴ってやらなきゃ収まらん」
シエンはマイスの額を見てため息をついた。
額には今も『失敗』の文字が光り輝いている。
神をしばくという発言は敬虔な信徒として容認できるものではないが、一方でマイスがそう言いたくなる理由を痛感する程度には長い付き合いだ。
今までマイスはこの烙印を消そうといろいろなことを試してきた。神の恩寵、『聖印』として扱う教会にバレるとうるさいのでこっそりと。
上から塗料を塗ったり、額の皮を焼いたり、皮を剥いだり、前頭部の頭蓋骨を少しだけ削ったことすらある。
何をしても烙印は消えなかった。せめて隠そうと思って兜や額当てを装備しても、煌々と輝く『失敗』の二文字は装備の上に浮き上がった。
「神託としては便利なんだけど」
「わかりやすいのはいいことだが、だからってデコが常時点灯は無いだろう」
過去にも神官が神託を受けることはあった。
神託は常に曖昧なものだった。
たとえば『右側にあったかい感じがする』とかそんな程度のものだ。内容についても『神官は北に枕を向けて寝ている最中だったから西側に吉兆があるのではないか』『天におわす神から見た右側は東ではないか』『温かい感覚ということは日照りという災害が発生することを教えてくださったのでは』などと議論が絶えなかった。神気という神託の証拠があるだけに無視できないことが厄介なほどである。
対してマイスへの神託は明確だ。たとえば南に魔王軍の幹部が砦を作り始めたとすれば『南』『魔王』『幹部』『砦』『破壊』『必要』と順番に点灯する。一度に二文字しか表示できないが、順番に点灯するので不足はない。
額の文字は隠そうとしても常時点灯している上に、神託は基本的に教会でしか受け取れないので、誰かひとりマイスについていれば見落とすリスクはほとんど無い。周りに誰もいなくても、神託を受信する際には神気が流れ込む感覚があるのでマイスが気付く。
これまでの神託とは比べ物にならないほどわかりやすい。画期的な神託と言えるだろう。
「そのうえ普段の表示が『失敗』だぞ。ふざけんなって話だ」
「神託が無い時は『神託の受信に失敗した』って解釈じゃないかと言ってたね」
「受信専門で俺のクレームは届かないのも腹立たしい。本当は悪意があるんじゃないかって疑いたくもなる」
友人の研究者は、神託が無い時=神託を受信できない=受信失敗を表しているのではないかと推測していた。
推測の正誤は分からないが失敗の烙印が消えないことに変わりはない。
お茶を飲み干しカップを置きながらため息をつくマイスの表情は疲れ切っていた。
シエンは知っている。マイスは魔王を倒せばお役御免で失敗の烙印が消えるのではないかと期待していたことを。魔王を倒してなお残った烙印を見て涙をこぼしたことを。教会では聖印なんて格好つけた呼び方をしているくせに、神官の多くはマイスを失敗勇者と笑っていることを。女の子と良い雰囲気になっても烙印のせいで台無しになることを。魔王軍の幹部に失笑されたことを。魔王に可哀そうなものを見る目で見られたことを。
「……私にできることがあったら言ってくれ」
ぽつりと漏れた一言に対する反応は激烈だった。
「ありがとうシエン。ならこれでシエンも額に『失敗』の二文字を書いておこう。隠すのはナシな」
「嫌だわ。私に書いてもマイスの消えないし。……どこから出したそのインクと筆。嬉々として筆にインクをつけるな。……しかもそれ絶対に消えない邪竜インクじゃないか! しまえ! 私に向けるな!!」
シエンは自分の額を両手で隠した。
マイスが取り出したインクはただのインクではなかった。魔王討伐の最中に寄り道して倒した邪竜の素材で作った特別性のインクである。あらゆる洗剤や溶液の影響を受けず、削り取られても自己修復するという、本来なら国宝級の魔法道具を作るために使われる代物だ。
「前にそれでなぞっても消えなかったのに、まだ持ってたのか」
「喧嘩売ってきたやつのデコに失敗って書いてやろうと思って。……そうだ、魔王を倒した今なら塗りつぶせるかもしれん。試してくれないか」
「いいけど、このインクを売ればひと財産なんじゃ」
「金で消せるならいくらでも積むぞ、俺は。あ、残り少ないからきれいになぞってくれよ」
筆を受け取ったシエンはマイスの額の『失敗』の二文字を丁寧になぞった。
烙印は消えなかった。
マイスは落胆すらしなかった。消えないだろうなと思っていたが、万が一の可能性でも試さずにいられなかった。「ありがとう」とだけ言ってインクと筆を懐にしまった。
お茶のおかわりにも手を付けずぼんやりした様子のマイスを見ると、シエンは言い知れない不安に襲われた。
このまま放置したらいずれ神の居場所を探して殴り込みにいくかもしれない。
神をしばくと言ってたが、対面したら最悪神殺しすらしかねない。返り討ちにあうかもしれないが、マイスの友人であるシエンにはそれも受け入れがたい結末である。
魔王討伐に際してマイスが求めた報酬は『失敗の烙印を消すこと』のみである。金も地位も名誉も必要以上に求めたことはない。
マイスと共に魔王を倒したシエンは、魔王討伐がどれだけ困難なことかよく知っている。
百倍の数の魔族に包囲されたことがある。猛毒の中で強力な魔物と戦ったことがある。魔王は瘴気をばらまく上、切っても焼いても再生・膨張した。死んだと思った回数は両手の指ではとうてい数えきれない。
苦難を乗り越え人々を救った英雄にはふさわしい報酬があってしかるべきだと思う。
魔王を倒した今なら神託を受け取れなくなっても問題ないはずだ。何かマイスの望みをかなえる方法はないか思考を巡らせる。
「……あ」
そしてひとつの可能性にたどり着く。
確実性なんて欠片もない、一縷の望みという表現がよく似合う可能性だ。
だが、わずかでも望みがあることは確かだった。
シエンは自分の信仰心と主義主張を秤にかける。
天秤は一方に傾きこそしなかったが、妥協点を見出した。
「マイス。烙印を消せるかもしれない心当たりがある」
「本当か!?」
「ただ、教えるには条件がある」
「もったいぶるな、たいがいの条件なら俺は飲むぞ」
「神をしばくと言ったこと。これを撤回してくれ」
う、とマイスは言葉に詰まった。
烙印は消したい。これは最優先の、心からの願いだ。
しかし、神を許せないという気持ちは常に燻っている。
魔王を倒すためだろうが何だろうが、生まれたばかりのマイスに失敗の烙印を捺したのは神である。
失敗の烙印のせいで笑われ、蔑まれた。そのうえで魔王討伐なんていう苦労を押し付けられた。挙句、魔王を倒しても烙印は消えず、失敗勇者などと半笑いで語られている。
今すぐ烙印が消えたとしてもこれまでの怒りや屈辱は消えてくれない。きっと神を許すことはできない。
撤回するとシエンに嘘をつくことは簡単だ。
簡単だが、それをしてしまえばマイスは必ず後悔する。
シエンは数少ない心から信頼する友人であり、肩を並べて魔王と戦った戦友だ。
シエンに嘘をついて烙印を消したとしたら、いつか神を殴ることが出来たとしてもすっきりしない。ことあるごとに思い出しては裏切った後悔に苛まれることだろう。
厄介なのはマイスが提示するのは烙印を消せる『かもしれない』心当たりだということだ。撤回すれば必ず消えるなら撤回を選べるが、結局消えなければ一生不満をため込むだけになる。
「……考えさせてくれ」
マイスはその場で結論を出すことが出来なかった。
シエンは分かったと頷いた。
―――
マイスはシエンと別れ自宅へ帰った。自宅といっても魔王を倒すまでろくに帰らなかったので、あまり馴染みはない。両親の家、くらいの認識である。
「おかえり、マイス」
玄関を開けると母が出迎えてくれた。温かいスープの香りが鼻をくすぐる。遅い帰宅となってしまったが食事を待っていてくれたらしい。
マイスが手を洗っているうちに母は食事の支度を整えてくれた。両親と三人で食卓に座る。
「浮かない顔をしているけれど、おいしくなかった?」
「いや、うまいよ。ちょっと考え事してるだけ」
「今日は国王陛下と会ってきたのだろう? また何か難題でも出てきてしまったのか?」
難題か、と問われれば難題だが、実現困難という意味の難題ではない。マイスが自分の中で折り合いをつけることが難しいという意味の難題である。
「実は――」
マイスは洗いざらい説明した。
悩み事は国家機密ではない。
失敗の烙印を消したい気持ちと神をしばきたい気持ち、シエンに嘘をつきたくない気持ちがぶつかり合って思考が堂々巡りしている。
他の人の意見を聞くことで思考の迷路から抜け出せるかもしれない。
烙印を消せる可能性に賭けるか、神をしばくために動くか、決心するきっかけをくれるかもしれない。
話を聞き終わると両親は眉間にしわを寄せた。
やはり教会に勤める両親に神をしばきたいとか言うのは良くなかったかもしれない。
両親はどちらともなく顔を見合わせ、そろって小さく頷いた。
父がおもむろに口を開いた。
「マイス、もしも父さんたちに気を使っているなら、その必要はない。自分のやりたいようにやりなさい」
「もともと母さんたちは辺境育ちだからどこでも生活できるのよ。テハ村は北の方だったから、今度は南の方へ行ってみる?」
「いいな、南の海辺なら温かいし魚も捕れそうだ」
マイスが呆気にとられているうちに父と母は話を進めていた。
南海方面へ行くのは良いが町の近くにするか、離れた場所にするか、などと具体的なことを話し始めたところでようやくマイスは口を挟めた。
「反対とかしないの? 父さんは神官の資格をとってたし、母さんも修道院で仕事してたよな。俺、思いっきり神様に喧嘩売ろうとしてるんだけど」」
「仕事をすることと信仰するのは別の話だ。聖典の内容は興味深いし勉強させてもらったことに感謝しているが、それはそれとしておれは神が気に食わん」
「ウチの息子の額に『失敗』なんて刻んだ神に様付けするつもりにもならないわ」
生まれた直後にマイスは教会に引き取られた。
両親はマイスのそばにいるために故郷を離れ教会に所属する道を選んだ。神託の勇者の両親ということで優遇され、時間に余裕があったので勉強をした。
息子の額に書かれた文字の意味を知った。当然、憤った。
「お前がいいなら神への怒りはしまっておこう。だが、お前は神を許せていないだろう? こんな仕打ちを受けたのだから当たり前だ。神を殴りに行くというなら父さんは止めない。一発キツいのぶちかましてこい。ただ、無事にまた元気な顔を見せてくれ。それだけでいい」
「あ、でももし本当に神を殴る機会があったら母さんの分も一発よろしくね」
「ズルいぞ母さん、それならマイス、父さんの分も一発頼む」
辺境生まれの両親は比較的優れた身体能力の持ち主だが、マイスには遠く及ばない。手伝おうとしても足手まといになることは分かっていた。
だから、マイスが本気で神と敵対するなら足かせにならないよう姿を消すつもりでいた。
「……ありがとう。でもまだ決めたわけじゃないから、早まったことはしないでくれ。心が決まったら必ず伝えるから」
―――
マイスは夜の街の端っこをひっそり歩いていた。
王都は賑わっていた。マイスが魔王を倒してからもう一週間経ったがまだ浮かれ気分が消えていない。普段ならとっくに寝ているはずの子供の姿もちらほら見かける。
額には変わらず鬱陶しい失敗の文字が浮いているが、人々は目立たない場所を歩くマイスに気付かない。
上着のフードを目深にかぶっていることも目立たない理由のひとつだ。兜や額当てを装備すればその上に『失敗』の二文字が浮かび上がるが、額に密着せず『失敗』を完全に隠しきらない程度のものをかぶれば目立ちづらくできる。
とはいえ上着のフードを目深にかぶってうつむきがちに歩く姿は不審者そのものなので、日中だとかえって目立つ。黒い上着で夜闇に紛れてようやく人に注目されないでいられる。
なお、衛兵に職質された回数は一度や二度ではない。その時は額の烙印を有効活用している。
「あ、失敗のにーちゃんだ」
烙印を消せる可能性に賭けるか神をしばくことを優先するか。
悩みながら賑わいを見ているとちびっこに声をかけられた。
これが大人相手なら拳で挨拶するところだが、十歳の少年をぶん殴るほど大人げなくはない。
「誰が失敗だクルム」
「いってえ!?」
殴らずチョップした。ちなみにマイスの全力チョップは魔王最終形態の触手をたやすく両断する威力がある。
幸い全力ではなかったのでクルムは頭を押さえて涙目になるくらいで済んだ。放っておいたら結構エグめのたんこぶができそうだったのでそれとなく治癒魔法をかけた。
「まったく、人を失敗呼ばわりするなと何度言わせるんだ」
「……だってデコに失敗って書いてあるし」
「消したくても消せないって話は前にしたな。人のコンプレックスをあげつらうのやめろクソガキ」
「クソガキよばわりはいいのかよ、大人がボーリョクふるっていいのかよ……」
「相手が大人だったら全力パンチを食らわせていたところだ。そうだな、教育的指導としておまえにも俺の気持ちを味わって……」
「調子に乗っていましたごめんなさい! なんかやばい予感がするので謝ります、許してください!」
「わかればよし」
クルムは這いつくばる勢いで頭を下げた。邪竜インクを隠し持つ懐へ手を伸ばしたマイスから凶悪な気配を感じたのだ!
「んで、にーちゃんはどうしてこんな暗いトコにいるんだ? 勇者様っつったらお城でパーティざんまいじゃねーの?」
「パーティなんて呼ばれても趣味の合わん連中に半笑いで囲まれるだけだから面白くもないんだよ。大人にはいろいろあるんだよ」
「魔王を倒した勇者だって悩むことがあるんだなあ」
「むしろ魔王討伐はやることが明確だから分かりやすかったな。人間社会に戻ると戦うだけで解決する問題がまあ少ない」
「そうなんかー」
魔王は居城が分かっていたし自分を鍛えれば討伐できた。
神は違う。居場所が分からないから鍛え上げた戦闘能力が役に立たない。
額の烙印を消すにも役に立たない。頭を爆破すれば烙印も消える気がするが自分も死ぬので却下。
失敗勇者とあざ笑ったやつを片っ端から殴り倒したいが、どこにどれだけいるか分からない。
「そうなんだよ」
よく分かっていなさそうな返事をするクルムを見てマイスは苦笑する。
こんな子供に何を言っているんだ。愚痴るにしても相手をもう少し考えるべきだ。
「悪いな、変なこと言って」
「? おー。なんか大変だってことは分かった」
「大人になれば分かる。……分かんない方がいいか」
できればマイス自身も分かりたくなかった。
みんなで協力して魔王を倒せば国は救われマイスの烙印も消えてハッピーエンド、と漠然と考えていた。
けれど実際には魔王を倒す前から権力争いで足の引っ張り合い、魔王を倒してもその功績をめぐってドロドロの内部争いが終わらない。マイスの烙印は消えずハッピーとは言い難い。
子供にろくでもないことを言ってしまった恥ずかしさもあり立ち去ろうとするとクルムは「そっかー」とにやにや笑った。
「わかるの楽しみだ」
クルムに背を向けようとしていた足を止める。
「にーちゃんが魔王を倒してくれたおかげだな」
魔王との戦いは三十年に及んだ。
魔王に支配された魔族は瘴気をまとい命知らずな攻勢をしかけてきた。
瘴気は強力な毒だ。魔族を倒し帰還した兵士でも瘴気に毒され死んでしまうことがあった。
若くして戦争に駆り出され、命を落とす若者が後を絶たなかった。
魔王は死んだ。魔王が作り出した瘴気は急速に薄らいでいる。
数を減らした人族だが、これからきっと平均寿命が延びるだろう。
「ありがとな」
笑うクルムにマイスはうまく答えることが出来なかった。
頭をぽんと叩いてその場を後にした。
―――
翌朝、マイスは教会騎士寮へ向かった。
エントランスには来客用のテーブルと椅子がある。そこでシエンは本を読んでいた。
マイスがその姿を認めると同時にシエンは本を閉じる。
「おはよう、マイス」
「おはよう、シエン。朝から精が出るな」
「誰か尋ねてきそうな気がしてゆっくり眠っていられなくてね」
「いやマジで怖いよなんで待ち構えてんの」
朝早くから寮に突撃してきたマイスが言えたことではないが、こんな時間にマイスが来ると予想できるシエンはたいがい恐ろしい。
ドン引きするマイスにシエンは苦笑いして見せた。
「きみはひとつの決断にだらだら時間をかけるタイプじゃないだろう。今日中には来る気がしていたんだ。思ったより早かったけどね」
魔王討伐は完了し諸々の雑事にもきりがついたのでシエンには時間がある。
教会騎士をやめてもいいくらいの報酬はもらっているが、自分の生き方として教会騎士は続けるつもりでいる。とはいえここ何年もゆっくりできる時間がなかったので休暇を取ることにした。
シエンの前のテーブルには何冊も本が積まれている。ここでのんびり本を読んでいればいずれマイスが来るだろう。仮に来なくても読書を満喫できるという算段だった。
マイスはシエンに手招きされてシエンの前の椅子に座った。
「それで、ここに来たってことは結論は出たのかな?」
疑問形の言葉だったがシエンはマイスが答えを出したと確信していた。
問題はその答えがどんなものか。
神をしばく、と言ったのを撤回するならよし。どうしても神を許せないと言うこともありうる。
マイスの性格上嘘をつくことはない。しばくのはやめるけど殺します、なんて性質の悪いトンチもどきを言うこともない。
シエンにとっても緊張の瞬間だった。
「父さんも母さんも神様ぶん殴って来いって言った」
「ご両親、なんてことを……名目上とはいえ信徒なのに」
「昨日の夜、街をぶらついたらみんな楽しそうにしてた。笑って浴びるように酒を飲んで騒いでた」
「それだけ魔王の脅威は大きかったんだよ。戦争に負けるかもしれない。負けたら人族は絶滅しかねない。負けなくても魔王がいる限り人口は減り続ける。いずれは国を維持することすらできなくなるところだった。誰に言われなくてもみんながそう察していた。魔王が倒されたことで真っ暗で先細りしてた未来が明るく拓けたんだ。喜びもする」
「昨日初めて実感したよ」
知識として知っていたがさほど重要な情報だととらえていなかった。どのみちマイスの役割は魔王を倒すことだった。倒すのは早い方が望ましい、なんて当たり前のことで深く考える必要はなかった。
魔王討伐記念の式典で歓声をあげる人々を見ても、遠くから見る群衆は『そういう生き物』のように見えて人間だと認識できなかった。烙印は消えずマイス自身の問題に進捗が見られなかったのでそれどころではなかったということもある。
両親は魔王が倒されたことを喜ぶよりマイスが無事に帰ったことを祝ってくれた。貴族達はマイスを褒めそやしたが上っ面だった。安全圏に引きこもってくだらない権力争いすることに変わりはない。
自分が魔王を倒したことで確かに救われた人々がいる。そう実感したのは昨日が初めてだった。
「失敗とかデコに刻まれたことは腹立たしい。神をぶん殴りたいのは変わらない。でも、この結果に到達するため必要だったと言われたらギリギリ納得できなくはない」
魔王討伐を成し遂げれば失敗の烙印が消えると期待していた。魔王を倒したのもそのためだ。
しかし、両親をはじめとする親しい人が助かるなら、と考える部分も確かにあった。
「神をしばくと言ったのは撤回する。烙印を消せればそれでいい」
腹立たしい気持ちは消えない。今でも神ふざけんなと思う。神託を正確に伝えるためだからと言っても他にやりようはあっただろう。
だが、マイスは神にそこまで期待するべきではないと感じていた。
神は人間ではない。神託を受け取るマイスは誰より強くそのことを感じていた。
人間の言葉を用いて情報を伝えてくるがそこに感情は無い。感情が無いモノに人の気持ちを考えろと言うだけ無駄だろう。
たとえば人間だって昆虫の気持ちを想像することはできても理解はできない。神と人間の関係はそれに近いものではないかとマイスは予想していた。
だとすれば失敗の烙印を捺された側の気持ちを考えろと言っても伝わらないだろう。
むかつくことこの上ないが、魔王を倒すという実利はすでに受け取った。これ以上無駄に怒るより烙印を消すことを優先した方がいい。
そう考えれば怒りを腹の奥に押し込むくらい出来る。
絞りだすように言ったマイスの前でシエンが大きく安堵のため息をついた。
「そうか、よかった。本当に良かった。返答次第ではきみと戦わなければならないところだった」
「言っとくが割とギリギリの判断だからな。神を許したわけじゃないからな。もし神の方から喧嘩売ってきたら俺は買うぞ」
「わかった。とはいえマイスの見立てだと神はかなり機械的な存在なんだろう?」
「機械的……だな。かつ俺たちとは価値基準が違ってる感じがする」
「ならわざわざマイスに喧嘩を売ることなんて無いだろう。構わないよ」
シエンはマイスから神に対する所感を聞いている。
神を信望する立場にありながら、数多の不条理を目にし神託による不利益を被るマイスと接することでシエンの宗教観は特殊なものになっている。
おそらく神に悪意はない。マイスはシエンに嘘をつかないよう明言したが、マイス自身神と戦う確率は極小のものだと思っている。
「で、本題だ。烙印を消せるかもしれない心当たりってのはなんだ? もったいぶるのはやめてくれよ」
マイスはシエンの要求は呑んだ。今度はシエンが約束を守る番だ。
身を乗り出すマイスにシエンは深く頷いた。
もともとシエンだってマイスの烙印を消せるなら消したいと思っていた。苦難の果てに魔王を倒した勇者にその程度の報酬はあってしかるべきだ。
シエンは人差し指を立てた。
「聖域に行こう」
マイスとシエンの新たな旅が始まる。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます