第23話/らてらりぃ



 責める言葉に慎也は焦る一方で、どこかホッとしている自分に気づいていた。

 もう、隠さなくていい。

 嘘にならないように曖昧な言葉ではぐらかす事をしなくていい。


(これで……よかったのかもしれない)


 目を伏せて俯くと、静かに深呼吸をひとつ。

 そんな彼の態度に砂緒は目を釣り上げて。

 それも一瞬、殊更に明るい声と笑顔で横から覗きこみ。


「ふーん。ほー。へーえ? 知らなかったなぁ、私ってば本当に慎也くんの恋人だったんだぁ……」


「い、いやね、ほら、ね?」


「私さ、前に聞いたよね、言ったよね、夏の間に恋人だった人を一緒に探して欲しいって、慎也くんも恋人と連絡取れなくなったって…………取 れ た よ ね ?」


「わ、訳を話させていただけませんでしょうか!? 怒らないで聞いてくれると嬉しいんですけど!!」


「んー? 私が慎也くんのコト怒るわけないじゃんっ、それとも……怒ってるように見える? もしそう感じてるのなら……慎也くんが――――裏切ったって思ってるんじゃない?」


(イチイチ言葉が重い、重くない??)


 ひきつった顔をする慎也の頬に、砂緒はすっと手を出して触れる。

 彼がビクっと震えたその後、彼女はねっとりとした目つきで爪を立てた。


(顔の皮を剥がされるうううううううううううッ!?)


 怖い、正直怖い、本当に皮を剥がすなんてしないと断言できるが。

 しかし、血が出るほど強く爪を押し込む可能性は大いにある。


「落ち着いて、うん、落ち着いてはなしを聞い」「――な ん で 言 っ て く れ な か っ た の ?」


 冷たく低い声が慎也の耳朶に響く。

 ねっとりとした視線で舐め回されている感じがし、背筋がぞくぞくした。


「どんな気持ちかわかる?」

「嬉しいのに辛いの」

「なんでかわかる?」

「ねぇ」「ねぇ」「ねぇ」「ねぇ」「ねぇ」「ねぇ」「ねぇ」


「だーい好きっ、憎たらしいほど愛してるっ!」


 甘やかに刺々しく囁かれる言葉に、慎也はこみ上げられる何かを自覚して。


(これは……ダメだよ)


 思わず口元を隠す、感情がバレてしまわないように。

 こんな事を思っては駄目なのに、抑えられそうにない。


(ダメだ、ダメだって砂緒――ッ)


「なんで? ねぇ、黙ってないで答えてよ」「なんで?」「なんで、なんで?」「なんで」「…………なんで」「なんで」「なんで」「なんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんで」


(もう、耐えられそうにないよ)


 向けられる愛情と同じサイズの憎悪が、たまらなく――。


「ははっ、嗚呼……」


「………………慎也くん? どうして泣いてるの?」


「嬉しいんだ」


「…………………………えっ??」


 砂緒は己の毛穴が、ぶわと開く音を聞いた。

 なにか、とても奇妙な言葉を聞いた気がする。

 謝罪の言葉が聞きたかった訳ではない、愛の言葉が欲しかった訳じゃない、言い訳が欲しかったのでもなく。


「えっと……慎也くん?」


「嬉しいんだッ、フィジカル強者なのに可愛いのにクソ雑魚よわよわメンタルで面倒くさい砂緒が帰ってきてくれたんだッ!!」


「し、慎也くーーんんんんんんんんんんんんんんんっ!?」


「この重苦しい感じがね? こう俺の胸にずきゅんと来るっていうかさ……」


「――――ぁ」


 愛おしそうに語る慎也の姿は、望んでいた姿で、しかしてその言葉は意外過ぎたというか。

 だがそれは切っ掛けに過ぎない、気づいてしまった。


(帰ってきたって、それって、……今の私は?)


 感情が激しく上下して風邪を引いてしまいそう。


(恋人だって分かって嬉しいのに、でも、でも……)


 どうしてこんなに、言いたくない言葉が喉から出かかってしまう。


(いや、いやなの、そんな目で見ないで慎也くん)


 気づきたくなかった、知らないでいたかった。

 こんな醜い自分、どうしようもない自分なんて。

 砂緒は力なく彼の顔から手を離すと、とん、と弱々しく突き飛ばした。

 ――その目からは、大粒の涙が溢れる。


「今の私を見てッ。嫌いっ、……慎也くんなんて大ッキライっ!!」


「ッ!? ――――ぁ」


 これはきっと呪いなのだと、砂緒は叫んだ。

 記憶の一部が戻った時から薄々気づいていた、彼が何故言ってくれなかったのか。


(取られたくなかったんだ、例え同じ私でも、記憶の無い私は今の私に慎也くんを渡したくなかったんだ)


 だから、彼を呪いの言葉で縛り付けた。

 本当に嫌いなのは灰海慎也ではない、九院砂緒という己自身。

 こんな自分なんて、どうして愛して貰えるのだろう。


(…………ショックを受けてる場合じゃないッ)


 ぼろぼろと大粒の涙をこぼし始める彼女の姿で、慎也は我に返る。

 今の彼女は、これまでで一番不安定な精神状態に思えた。

 幸いにして此処が病院ではあるが、今の砂緒には逆効果だろう。


「ごめん、君を傷つけた。……今日はもう帰ろう」


「っ!? 帰るなんて嘘ッ、す、捨てるんでしょ、捨てないで一緒に居て慎也くん!?」


「嘘じゃないよ、取りあえず落ち着くまで抱きしめるから、そしたら今日は帰ろうか」


「~~~~っ、ぁ、ウソ、ウソよ、こんな私に慎也くんが優しくするワケないもんっ!!」


「落ち着けって砂緒ッ!」


 抱きしめようとした慎也の腕をすり抜け、砂緒はベンチから立ち上がって距離をとる。

 そのまま逃げてしまうのかと彼は危惧したが、予想に反して彼女は立ち止まって。

 ギラギラと追いつめられた者の特有の目で、彼をギョロリと見つめた。


「あはっ、あははははは、記憶、うん、忘れちゃったからいけないの、記憶が戻れば、慎也くんとの愛の日々を思い出せれば――」


「す、砂緒??」


「――キス、しよう慎也くん」


「ちょ、ちょっと待っ――~~~~ッ!?」


 戸惑う慎也が止めるより早く、砂緒は勢いよく抱きついたかと思えば強引にキスをして。

 一秒、二秒、三秒、四秒、五秒。

 唇と唇を軽く触れ合わせるだけの、イージーな口づけ。


(なんで、どうして……っ)


 戻らない、当たり前だキスしたぐらいで記憶が戻るなんてお伽噺の中だけ。

 でも、期待してしまったのだ。

 己なら、己と慎也の愛があるなら、きっと特別だからと。


「――――砂緒」


「ッ!?」


 顔を離した彼女の顔は、今にも壊れそうで。

 抱きしめたかった、けど手を伸ばした瞬間。


「ごめんなさいっ!!」


「ちょ、す、砂緒おおおおおおおおおおッ!? キスした直後にそんな顔されて逃げられたらショックなんだけどおおおおおおおおおおおお!?」


 脱兎の如く、そんな表現がぴったり来るフォームで砂緒は走り去り。

 残されるは、途方にくれる慎也のみ。

 かれは三分ほど立ち尽くして、大きなため息をひとつ。


「……………………帰ろう」


 とぼとぼと歩き出す、何が悪かったのか、どうしたらよかったのか。

 もうさっぱり分からない、けれど。


(このままじゃダメだ、……ちゃんと俺も向き合わないと、それに砂緒を放っておける訳ないじゃんか)


 今からでも追いかけて、ヤマを張って先回りする。

 もしくは、電話をかけてみる、メッセージを送ってみる。

 けれど、今の彼女は聞く耳を持つだろうか、逆効果にならないだろうか。


(――放置すればするほど、砂緒は危ないタイプだ)


 だが、今の状態の砂緒に届けられる言葉が見あたらなくて。


「俺は……どうしたいんだろうね」


 ここはしっかりと考えて動くべきだ、ここで間違えば自分たちの関係は永遠に破綻する。

 そんな、思いこみめいた確信すらあって。

 慎也が戸惑いながら踏み出した一方、全速力で自宅まで走り抜いた砂緒といえば。


(うああああああああああああああっ、やっちゃったあああああああああああああああっ!!)


 部屋に入るなり、扉に背を預けずるずると座り込む。

 頭を抱え、その表情は真っ青で目を大きく見開いていた。

 一心不乱に走ったお陰で、良くも悪くも冷静さを取り戻してしまって。


(これ、絶対に嫌われたよおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!! どーーーーしよーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!)


 会わせる顔がない、どんな顔で会えばいいのか、それにとても恥ずかしい事を言ってしまった気がする。

 その時の言葉に、気持ちはウソはない。

 でもだから、それ故に。


(絶対に重いって、面倒な子って思われてるっていうかああああああ、夏の時もそうだった感じな口振りだったしいいいいいいいいいっ!!)


 頭の中が真っ白で、思考がまとまらない。


「あはっ、あはははは……終わった、終わったかも、もぅ……生きていけないよぉ」


 砂緒は見事な失意体前屈を、誰に見せるでもなく披露したのであった。


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