第22話/恋愛脳
デートとなれば行く先が必要だ、そして砂緒が提示した場所は病院の中庭という場所。
普通なら、何故そんな所を選んだか理解に苦しむが慎也にとって、否、二人にとって特別な場所のひとつ。
しかも恋人という設定ならば、つまり。
(…………俺も覚悟を決めなきゃいけないよね)
(怖い……でも、今のままで居るほうがもっと怖いから、けど)
(もしその時が来たら……考えるだけで怖いなぁ)
(信じたい、信じたいよ慎也くん……)
病院には彼らの関係を知る者が居る、数は少ないが出くわす可能性は確実に存在するのだ。
医者、看護師、病室で同室だった人達、中には記憶を喪った砂緒が懐いていた人も。
それら全ての人が中庭で出くわす訳ではない、けれど会ってしまったらと思えば。
(緊張するよホント、今の砂緒なら病院の誰かに会っただけで他の記憶が戻る可能性だってあるし)
(記憶を取り戻したら私は……、慎也くんを好きなままで居られるの? もし戻らなかったら…………)
足取りは重く、しかし一歩一歩確かに進んでいく。
今の二人の間には恋人の甘さはない、隣を歩いていない。
先をゆく慎也のTシャツの裾を、ちょこんと小さく掴んで砂緒が着いていく。
(はぁ……すっごい逃げたい、胃の重さがハンパないったらありゃしないよ)
(お願い、お願い神様……行って、そしたら私に――)
病院までまだ距離がある、今なら他の所へ行ける。
慎也は何度も言おうとした、別の場所にしない? と。
けど言えなかった、シャツの裾を掴む彼女の手は震えていて。
(砂緒が踏みだそうとしてるのに、俺が逃げようって言える訳ないじゃん)
(慎也くん……笑ってない、やっぱり無理させちゃってるよね、こんな強引なコトして――嫌われちゃってもしかたないよね、でも……それでも)
(俺は砂緒に……何ができるのかな)
(思い出したい、一緒にいたいよ慎也くん……)
あの日、出会った交差点の近くを通り過ぎた。
その先にある、コンビニも通り過ぎた。
もう少し進めば、病院の入り口に通じる直線。
「…………砂緒?」
「ごめん、ちょっとだけ、ちょっとだけだから……」
「うん、待つよ、君が進めるようになるまで俺は隣で待つから」
「…………ありがとう、慎也くん」
緊張のあまり顔を青くし、息を荒げる砂緒は足を止めてしまって。
その華奢な肩は震えている。
日向に立っているからだろうか、木陰にいる彼女の姿はとてもか弱く感じた。
無言、慎也の世界には呼吸を整える彼女の息づかいと、まだ夏だと主張する蝉の声が存在した。
彼は口を開こうし、言葉を飲み込む。
やっぱりやめよう、なんて言ってはいけない。
そんな気遣う視線が、砂緒には何より嬉しくて。
辛い。
取り戻した記憶には彼が好きと言った場面はなく、今の記憶でもそんな覚えはない。
(はははっ、――もし勘違いだったら私は)
両想いだと思う、確信してる、でもそれは不安を取り除く材料に、理由になってくれない。
どうして彼は自分の側に居てくれるのか、それは同情や押し切られたからではないのか。
喉から出掛かる言葉を、砂緒は必死になって飲み込んだ。
「……ごめん、もう大丈夫だから」
「わかった、じゃあ進もうか」
彼女は必死に笑顔を作り、自分に渇を入れた。
隣に行き、その手を繋ぐ。
彼の手は堅く強ばっていて、自分だけが不安ではないのだと少しだけ安心がある。
――そして、二人は病院の敷地に足を踏み入れて。
「中庭の場所は覚えてる? その前に入院してた病室まで行ってみる?」
「病室は他の人の迷惑になっちゃうから、……中庭に案内して欲しいな、慎也くんに連れてって欲しい」
「そっか、……なら腕でも組むかい? 俺たち恋人同士でしょ?」
「うんっ、きっと夏の私もそうしてたって思うのっ!」
表面上は明るく、砂緒は甘えるように慎也の右腕に己の腕を絡めた。
彼らは頷きあうと、いっせのーせっ、と踏み出して。
まるで戦いに赴く戦士の如く、肩で風をきって進む。
進むが…………。
「……………………なんというかさ」
「うん、思ったより……」
「何もないよね、いやまぁ居るにはいるよ? 病院の中庭なんだし面会しに来た家族と散歩してる人とか、看護師さんに車椅子押してもらってる人とかさ」
「あははっ、ちょっと気負い過ぎてたって感じ?」
ひとまず中庭を一周して見て、特に何もない。
誰かに話しかけられるでもなく、誰かから注目されるでもなく。
そして、砂緒が記憶を取り戻すこともなく。
――平和、圧倒的な平穏の、日常の光景がそこにあった。
「はぁ~~~~、すっごい気が抜けたぁ……」
「私もぉ……実はスゴく緊張してたの」
「だよね、緊張するよねぇ」
「…………これからどうする?」
様々な期待と不安を胸に、ここまで来た訳ではあるが。
何もなければ用はないし、病院の中庭という性質上、特に見るところも遊ぶ所もない。
慎也は数秒思案した後、苦笑して。
「じゃあジュースでも買ってさ、そこのベンチで休もうか。そしたら駅まで行って遊ぼうよ」
「さんせーいっ! じゃあジュース選びっこしよっ!!」
砂緒はコーラを選んで慎也に渡し、慎也は砂緒に無糖の午後ティーを選んで渡す。
すると彼女は首を傾げたまま、何も言わず。
ベンチに戻ってから、慎也はそれを聞いた。
「それ、好きじゃなかったっけ?」
「別に好きでも嫌いでもないけど、どうして慎也くんは選んだのかなーって」
「…………なるほろ??」
あれ? と今度は彼が首を傾げた。
彼女はいつも喜んでいた記憶がはっきりとある、だが今の砂緒はそうではなくて。
彼女はうむむ、と唸ったあと、ああと頷き。
「そっかー、そういうコトかぁ」
「え、どういう事!?」
「えへへ、ナイショっ」
「何ソレ気になるなぁ……、ちょっと教えてよ」
「だーめっ」
出発して以来、初めて彼女は素直な笑みを浮かべた。
わざわざ日記を確認しなくても解る、慎也がこの飲み物を選んだのは夏の自分が喜んだからで。
夏の自分は、彼が選んでくれたというだけで喜んでいたのだ。
(なんか嬉しい、――だから、きっと大丈夫よね?)
収穫は何もなかった、けれど少し気づけた事もあって。
自分の中で変わらぬ何かがある、それを一つ一つ確かめていければ。
そう考えた瞬間だった、通りがかった老婆が微笑みを浮かべて二人の前に来て。
「あらあら、もしかして砂緒ちゃん? その様子じゃ記憶が戻ったの? よかったわねぇ、慎也ちゃんとあんなに熱々の恋人だったものねぇ」
「あ、神崎のお婆ちゃん。砂緒が入院中はお世話になりました」
「お久しぶりですお婆ちゃんっ」
「ふふっ、また二人の姿が見れて嬉しいわ。私もあの後、一週間後に退院してねぇ……。今日は検査か何か? ――っと、あまり長々と話していられないんだった、また縁があればお会いしましょう」
「はい、ではまた」
「ばいばい、お婆ちゃーんっ」
老婆が去ると、二人の間に沈黙が流れて。
(うおおおおおおおおおおおおっ、やっちまったッ!! つい口が滑ったアアアアアアアアア!! で、でも神崎のお婆ちゃんには砂緒が病室抜け出した時も、小腹が空いた時とか色々とお世話になったしさぁ!!)
(やっぱり!! 嗚呼――私達は確かに恋人だったっ!!)
慎也は気まずくて砂緒の顔が見られず、彼女は嬉しさで緩みすぎた顔が恥ずかしくて俯いて。
(でも…………もうさ、何も言わずに側に居てって……約束、守れないよ砂緒…………)
(嬉しいっ、嬉しいよぉ……――――でも)
砂緒は泣き出しそうなぐらい嬉しかった、不安が一気に吹き飛んだような感覚。
しかしそれが故に、新たな疑問が浮かんでしまう。
とても嬉しかったから余計に、もう飲み込んだままではいられない。
「ねぇ、慎也くん。――――どうして言ってくれなかったの?」
その冷え冷えとした言葉に、慎也は背筋を震わせたのだった。
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