第20話/きすおぶです??



 聞き間違いであればいい、そんな儚い期待はすぐに裏切られた。

 彼女は慎也の腕を掴み、実に軽やかに誘導してリビングへ。

 寝室に連れて行かれるよりマシかと彼が考えた時、彼女はさらりと告げる。


「じゃあ着替えてくるから、キスする心の準備しててっ」


「いやなんでそーなるんだよッ!?」


「え? 言ったじゃん、教室でキスしちゃダメって」


「俺と砂緒はまだ恋人じゃないだろっ!? キスする理由なんてない筈だよ!!」


「――――理由、聞きたい? 引き返せなくなるかもよ? 後悔するかも…………それでも聞く? 私はいいよっ!」


「~~~~っ!!」


 鬼気迫るように捨て身な砂緒に、慎也は何も言えずに背中を見送るのみ。

 この隙に逃げればいい、頭の冷静な部分がそう訴えるが出来ない。

 ここで逃げてどうなるのだ、住所は知られているし、なら電話だって来るかもしれないのだ。


(が、頑張れ俺ぇっ!! 心を鬼にして例え泣かれようと拒否すればいいだけだっ!! 問題は力負けしてるし押し倒されたら終わりってコトだけどねッ!!)


 キスなんて、あの夏に何度もした。

 今更、緊張するなんてあり得ないのに妙に居心地が悪い。

 強く握りしめた掌に、じわりと脂汗が浮かぶ。


(落ち着け……落ち着くんだ、冷静になれ、ヘタなことを言えばジ・エンド。誰かに助けを求める――ダメだ事情を知ってる人は砂緒を応援しかねないッ)


 ならばどうする、打てる手は限られている。

 すーはーと深呼吸してもなお呼吸は荒く、追いつめられている、確実に、目的も分からず追いつめられている。

 慎也はひとまず床に通学鞄を置き、周囲を見渡した。


(テレビ……消されたら終わりだよね、キッチン……料理、いやダメだ一緒に作るって言われたら逆に向こうのチャンスが増えかねない)


 逃げれない、頼れない、下手なことを言えないとなると残るは何だろうか。

 思い出せ、前の彼女がキスをねだって来た時に己はどう反応しただろう。

 向こうからされる前にキスした事があった、時には焦らしたり、唇以外にキスしてみたり。


「――――そ、それだぁッ」


 裏返った小声を出しながら、慎也は希望を見た。

 何が目的かは判明していないが、彼女が望むキスというのは唇にだろう。

 もしかすると深いのをご所望かもしれないが、ならばこそ。


(…………出来るだけ長引かせる、ムクれて諦めるまで……俺は頑張ってみせる!! 今の砂緒に負けるもんか!!)


 彼がそう決意する一方で、寝室にて着替え中の砂緒と言えば。


(ううううっ、さ、流石にこれは……大胆すぎるかなぁっ?? で、でも今は二人きりだし、もしかすると慎也くんは見慣れてる可能性もあるし、もっと過激なのでも――――ごくりっ)


 下着姿のまま仁王立ちになって、ベッドに広げられている衣服の数々を睨んだ。

 本当ならメイク直しもしたいが、あまり時間をかけると逃げられてしまう可能性がある。

 だから出来るだけ早く、雰囲気が出そうな服を選ばなければならない。


(今ならわかる、買った覚えのない服はきっと夏の私が慎也くんの気を引くために選んだ物、きっと効果的……でも、今は違う)


 何となくであるが、それは最後の切り札である気がする、と砂緒は感じた。

 となると残るは今まで着てきた物、正直に言うと自分のセンスには自信しかない。

 クローゼットの中にある服を全て着こなす自信がある、――だが。


(それは同じ女の子から見て、だよ。勿論、読モとして男の子受けを着こなす為に幾つか練習に買った覚えはあるけど……)


 外でのデートでなら効果的だ、だが家の中ではどうだ。

 恋人と家の中で、そういう雰囲気にぴったりなコーデとは。

 一般的に、男というのは露出度が高めのや、体の線が出やすいのを見たいとも聞く。


「――――早く決めないとっ」


 心がざわざわする、彼はどんな反応をするだろうか。

 どうせならビックリさせたい、視線が釘付けで他に何も考えられないような。

 でも変な方向に緊張されても困る、ならば完璧に着飾るのは不味いのかもしれない、と悩む砂緒は出した服を雑に退けて。


「………………部屋着……アリかも」


 グレーで統一された、ゆったりめのパーカーとトップスに短パンのセットアップを、じろっと睨む。

 問題は、似たようなのが慎也の部屋に置いていて着ていた可能性がある事だ。

 迷っている内にどんどん時間は過ぎていく、焦燥感にかられるまま彼女は部屋着を退けて。


「こ、こうなったら――――ごくっ、勝負に出るしかっ!?」


 下着姿、これしかないかもしれない。

 出来るだけ新品がいい、まだ使ってないのはあるだろうかと彼女はクローゼットを再び漁り始め。

 手が奥の壁に当たった時、思い出した。


「………………アレを使う時が、来たってことかも」


 以前、のぞみ先輩の家に遊びに行った時に強引に押しつけられた一着。

 酔った勢いで買ってしまったが、見せる相手がいないしサイズが合わないからと寂しそうな顔を覚えている。

 所謂、お姫様が着るようなネグリジェであるが、シースルーで何も隠せていなさそうな、男を誘うだけにデザインされたソレを手に。


「女は度胸と愛嬌と根性と腕力っ!!」


 そうして砂緒は勝負に出た、それを着て慎也が何を思うかも考えずに。

 ただ過激で気を引けるのなら、――他の子に奪われる前に、と。

 しかし恥ずかしいものは恥ずかしい、肩の露出をとても頼りなく思いながら寝室を出て。


「………………その、お待たせ、……待った、よね」


(ねぇコレ、俺何を言えばいいんだよおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!)


「どう? 変じゃない、かなぁ……、ちょっと冒険してみたのっ」


(ちょっとどころじゃねぇえええええええええええ!!)


 砂緒の艶姿を見た瞬間、慎也は理性がゴリゴリと音をたてて削られていくのを自覚した。

 もはや言葉で表せない、卑怯すぎる、どこまで計算してやっているのか。

 もじもじと薄い布を引っ張って、出来るだけ体を隠そうとしながらもチラチラと上目遣いで見る姿は、とても目に優しくない。


「ね、……何か言ってよぉ」


「脱がしていい??」


「ひゃうっ!? い、いいいいいいいいきなり何をっ!?」


「ごめん間違えた、ちょっと理性がヤバいから帰るね」


「っ!? 待って――」


 逃がすわけにはいかない、砂緒は慎也にガバっと抱きついて。

 彼は辛うじてその勢いに耐え、思わず抱きしめてしまう。

 すると「ぁ」と小さな声が妙に大きく聞こえるし、何より彼女潤んだ瞳に吸い込まれそうになった。


「…………離してくれない?」


「ダメ……、き、キスしてくれたら離すもんっ」


「そっかー、キスしないと駄目かぁ……」


「ちゃんと唇にだからねっ、絶対にだからっ!!」


 捨て身の女の覚悟に、男はどう抵抗出来ようか。

 しかも相手は砂緒だ、美少女で、何より恋人、それも記憶を取り戻した疑惑のある恋人だ。

 冷たく突き放す事なんて、誰ができるのか。


(か、考えろっ、この場を乗り切る方法をっ!!)


 キスしてしまえばいい、唇にキスした所で何が変わるだろうか。


(――でもその先は?)


 キスだけで終わる、慎也は終われるだろうか。

 彼女の魅力に抗うことなんて可能だろうか、否、こうなったら最後。

 一度のキスだけじゃ終われない、二度三度、その先だって無我夢中で求めてしまう。


「~~~~~~っ、ぁ――――」


「慎也くん……」


 時間は敵だ、迷っている間に焦れた彼女が強引にキスしてくるのは目に見えている。

 最早、キスするしかない。

 だが出来るだけキスまでは長引かせたいし、唇へのキスは避けたい。


(――――あった)


 一つだけ、可能性がある、もしかすると彼女を傷つけてしまうかもしれない。

 だが、全てを思い出さないまま体を重ねてしまうよりマシだと決意して。

 深呼吸をひとつ、浮かべた笑顔は強ばってるかもしれないが優しい声色を出して。


「…………その前に、俺にも準備させてよ」


「心の準備ならもう時間切れだよ?」


「違う、――――君の心意気に答える為に、俺も脱ぐよ」


「……………………へっ??」


「見ていてくれ……俺も下着姿になろうっ!!」


「ふえええええええええええッ!?」


 驚きに抱きつく力が弱まったのを感じ、慎也はすぐさま砂緒を引き剥がした。

 直後、制服を脱ぎ出す。

 といってもまだ夏服なので、ワイシャツとその下のTシャツ、そしてズボンの三つだけであったが。


「うわっ、うわぁ……」


「じっくり見ていいよ、――砂緒の為だけに脱いでいるんだ」


 彼女は恥ずかしそうに自身の顔を両手で覆うも、大きく開いた指の隙間からバッチリ見ていて。

 ならばそれは隙だ、反撃を許さず勝ち逃げする隙に他ならない。

 慎也は出来るだけゆっくりと時間をかけて脱ぎ、丁寧に丁寧に服を畳むと鞄の側に置いて。


(そんで、さりげなく位置をズラす、後で手に取り易いように、気づかれないように…………これぐらいかな?)


 それが終わると、トランクス一丁で堂々を砂緒の前に立った。

 彼がじぃっと見つめると、彼女は真っ赤な顔でふぃと力なく顔を背ける。

 その顔にそっと触れると、びくっとむき出しの肩を震わせるのが見え。


「こっち向いてよ、砂緒の顔が見たいんだ」


「……で、でも恥ずかしい…………」


「見ないなら、今すぐキスしちゃうよ?」


「そ、それはっ!?」


「やっと見てくれた、――さぁ、瞼を閉じて」


「ぁ――――はぃ……」


 キスされるんだ、と砂緒は心臓をバクバクと鳴らしながら体を堅くして目を閉じる。

 慎也といえば、素早く己と鞄の位置、そして玄関までのルートを目視で確認。

 両手を彼女の頬に添えて、己の顔を近づけて。


「――――ん」


「へっ……?」


「じゃあキスしたから!! そういえば明日は休みだよね俺ちょっと用事があるから会えないよじゃあまた月曜日学校でねええええええええええ!!」


 次の瞬間、どたばたガチャリ、バタンと音がして。

 砂緒は何が起こったのか理解できない表情で、のろのろと己の額を大事そうに指先で触れる。

 そして、目の前に誰もいない事を何度か確認すると。


「……………………ああああああああっ!? 逃げられたッ!? しかも唇じゃなくておでこだしッ、騙されたああああああああ!!」


 追いかけようにも、今の格好で追いかけられる筈がない。

 その上、彼は一応はキスしたのだ。

 砂緒はそれが唇ではなかった事に、少しだけ安堵している自分に気づいて。


「…………今回は、私の負け。でも――」


 認めた所で怒りが収まる訳がない、抱かれる覚悟があったと言えば嘘になるが、そこまで行くかもと無意識に望んでいた所もあったのだ。

 彼女は着替えるのも忘れ、寝室に飛び込むと枕元に放り投げていたスマホを掴んで鬼電する。


「うっはぁ……やっぱ電話してくるよねぇ!! い、いや、今は誰も来ない内に服着て逃げないと!!」


 慎也はスマホの通知にビビりながら、同じ階の奥の階段の踊り場にて必死に着替える。

 その後、背後を気にしながら遠回りし走って逃げるが。


『ねぇ今どこ?』『なんでちゃんとキスしてくれなかったの?』『ねぇ』『ねぇ』『ねぇ』『返事してよ』『私に魅力がなかったの?』『答えてよ』『お願い』『返事して』『お願い』『お願い』『お願い』


「ライン爆撃されてるねぇっ、乾いた笑いしか出ないよもう……」


 家にたどり着いた時には、四十五件の着信に、ラインには数え切れないメッセージが。

 しかもうっかり見てしまった為に、全てに既読マークが着く。

 ならば当然のように、返事を求める文面が次々に間を置かず届くのだ。


「………………よし、今日はもう寝よう!!」


 慎也は現実逃避することにした、一晩寝れば己も彼女も頭が冷えるだろうとスマホの電源を落とし。

 しっかりと玄関の鍵をかけて、窓の鍵も確認。

 着替える気力なんてなく、頭まで布団をかぶり夢の中。


『会いたい』『そっち行っていい?』『もしかして寝ちゃった?』『本当に明日は用事あるの?』『ねぇ慎也くん見てるんでしょ?』


 等々、続くメッセージに彼が気づくことなく。

 ――そして朝である。

 パンの焼ける香ばしい匂いに目を覚まし、慎也は寝ぼけ眼で起きあがると。


「――ああ、用意してくれたんだ。ありがと砂緒」


「どういたしまして、さ、食べて食べてっ」


「じゃあ、いただきまー………………んんっ??」


「うん? どうかしたの慎也くん?」


 ちゃぶ台の前に座り、朝食に手を伸ばそうとした瞬間に慎也は気づいた。


(なんで居るんだよおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!! 鍵閉めたよね!? え? 確かに確認したよ!? なんで、だッ!!)


 不思議そうに首を傾げる私服の砂緒の姿はもう、恐怖しか感じなかったのであった。


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