第18話/笑顔にあいたい



 こつん、と額と額がふれ合った瞬間、砂緒は恥ずかしさで死んでしまいたくなった。

 だってそうだ、慎也は己の恋人で、少ししか思い出せていないが記憶の中での自分はとても大胆で。

 心の準備だって出来ていないのに、どう接していいか分からない。


「うーん、ちょっと熱い? ……体温計どこにあったかなぁ」


「ち、違うからっ、風邪なんて引いてないっ、誤解だよ慎也くんっ!!」


「ホント? じゃあ早くお風呂入った方がいいよ」


「うん、入る、入るんだけど…………」


 言いよどむ彼女は、脱ぎ途中の姿のままで慎也は視線を反らしながら続きの言葉を待つ。

 何か大事なことを言おうとしている、そう感じたからだ。

 砂緒は三回も深呼吸をすると、おずおずと手を開いて彼に見せて。


「ごめん……指輪、あった」


「え、マジで!? よかったじゃん!! 何処にあったの!?」


「その……服の中に、転んだ時にチェーンだけが外に出て落ちちゃったから勘違いしたみたい。だから、その……ごめんなさいっ!!」


「いいよいいよ、大切な指輪なんだから、見つかって俺も安心したよ」


 マジでよかったぁ……、と大きく胸をなで下ろした慎也は、ばつの悪そうに縮こまる砂緒に手を差し伸べて。


(ホントは抱きしめたいけど……これぐらいはいいよね?)


 彼女はチラチラとその手を見ると、おずおずと掴んで。

 慎也はしっかりと握り返しながら、彼女を丁寧に立たせる。

 そのまま手を引いて脱衣所へ、その後はすぐに戻ろうとしたのだが。


「…………いや九院さん? 手を離してよ」


「砂緒」


「えーっと、砂緒さん?」


「砂緒」


「………………わかったよ砂緒、名前で呼ぶのを許してくれるんだね」


 心の中がじんわりと暖かくなっていく、彼女にどういった心境の変化があったのは知らないが。

 どう考えてもこれは、距離が縮まったという事で。

 それだけ気を許してくれている、と嬉しくなった。


「じゃあ砂緒、手を離してよ」


「イヤ」


「えっと? 砂緒は俺に何を求めてるの??」


(ああああああああああああっ、私は何をしてるのおおおおおおおおおおおおおおおお!?)


 彼が困惑する一方、砂緒はもっと困惑していた。

 完全に無意識の行動、手が意志に反して動いてくれない。

 服を脱がないと浴室に入れないのに、体が動いてくれない。


(ううっ、このままじゃヘンな子だって思われちゃうっ)


(うーん? 安心したから逆に誰かに側に居て欲しいのかな? でも流石に今の砂緒とお風呂を一緒に入れないしなぁ……)


(ど、どどどどーしようっ!! 何か言わないと、でも何をっ!? ああん、もうっ、わっかんないよーーっ!!)


 ちらちらと上目遣いの彼女はとても可愛かったが、慎也としては風邪を引かないか心配で。

 ただでさえ、彼に先を譲って冷えた体のままだったのだ。

 今すぐに暖まらなければならない、ならば強硬手段を取るべきかと慎也が考えたその時だった。


「ふ、服を脱がせて!! 砂緒お姫様だもん一人でできないっ」


「ちょっと砂緒??」


(あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ッ、何言ってんの私いいいいいいいいいいいっ!!)


「――――だめ?」


(うおおおおおおおおおおおッ!? どういうコト!? 試されてんの俺っ!? どうする!? 脱がすの!?)


 両者、更に混乱の極みへ。

 今なら冗談で済む、済む筈なのに砂緒は潤んだ瞳で彼を見つめてしまい。

 慎也は、仕方ないなぁという言葉が喉まで出かかっている。


「…………ぁぅ」


「あー、その、なんだ?」


「わ、わたし、慎也くんになら――」


「――――――――――――わかった!!」


 ほへ、と砂緒が大きな目を見開いた瞬間であった。

 ヤケッパチになった慎也は、何度もそうして来たように実に手際よく砂緒を脱がしていく。


(え、えええええええええっ!? なんでどうして!? どうしてこうなってるのおおおおおおおおおおおおっ??)


 心頭滅却すれば火もまた涼し、彼は実に爽やかな笑顔のまま彼女を全裸にして。

 つい癖で額にキスをし、無言で背中を押して浴室へと放り込む。

 すると早歩きでリビングに戻り頭を抱えてしゃがみ、彼女もまた浴室で頭を抱えてしゃがんだ。


(やっべ、なんか余分なコトしたああああああああああああああああ!! 絶対に怪しまれるよねぇ!! どーすんの、どーすんだよこの状況さぁ!!)


(あわ、あわわわわわわっ、いつもこんなんだったの私たち!? 甘々じゃんっ!? らぶらぶじゃん!? もしかして一緒に入るのフツーだったの!? 服も着せて貰ってたりしたの!?)


 砂緒は暫くの間、うーうーと唸っていたが。

 やがて、のろのろと体を洗い始めた。

 念入りに念入りに洗い、湯船に浸かる前なのに茹だった思考がぐるぐると。


(そ、そういうコトになるかもだし!! 万が一っ、万が一があるかもだからっ!!)


 その後で、ゆっくり肩まで使って暖まる。

 このお湯には、彼の匂いが……なんて思ってしまった頭脳は更に茹だりっぱなし。

 一方で慎也は、無言でホットミルクを用意した後で彼女のパジャマと布団も準備する。

 ――当然、出てきた砂緒は誤解をし。


(こ、これって……そういう……こと、だよね?)


(もう笑うしかなくない?? 絶対に誤解したよね?? なんで完璧に準備したかなぁ俺はさぁ!!)


 ソファーに座り、両手でマグカップのホットミルクを飲む砂緒は視線を布団と慎也に行ったり来たり。

 不味い、これは不味いと彼は戦慄した。

 勘違いしそうになる、今の砂緒は妙に可愛らしいし、それに二人のパジャマはペアルック。


「…………飲み終わったら寝ようか」


 彼女は潤んだ瞳で、こくんと頷き。

 マグカップを台所に置いたら、当然のように慎也にぴったりと寄り添って無言。

 彼は何も言えず、電気を消すとそのまま二人で一緒の布団に入ってしまう。



「ね、……今日は抱きしめて」


「…………」


「もう寝ちゃった? ね、慎也くん……」


「…………」


 布団の中で、砂緒が縋るように彼の腕に絡みついた。

 甘えた声で何度か耳元で囁き、やがて諦めたように静かになる。


(…………もう、私のこと好きじゃなくなっちゃったのかな)


(俺は……どうしたら)


(もっと声が聞きたいよ、側に居て欲しいって抱きしめてよ……)


 思った以上に疲れていたのか、慎也は悩んだまますぐに熟睡してしまい。

 砂緒は不安を覚えたまま、彼の温もりを求めてすり寄る。

 そして、――朝である。


「ん……」


 けたたましいアラームの音で慎也が目を覚ますと、隣には誰もおらず。

 寝ぼけた頭で周囲を見渡すと、スマホの下にメモがあるのに気づいた。


「帰ります、また学校で……――あ、学校っ、え、今何時だっけ、いやアラームが鳴ったって事はまだ大丈夫だろうけど……ッ!?」


 ひゅ、と声にならない驚きが喉から漏れた。

 手に取ったスマホ、その通知。


「――――気づかれた?」


 不在着信の時刻は昨晩、慎也がシャワーを浴びている時。

 かけてきた相手は、砂緒。

 気づいた筈だ、確信してしまった筈だ、彼の頭が一気に覚醒する。


「なんで、何も……」


 今の砂緒なら、必ず慎也を問いつめた筈だ。

 だがそれがなかった、こうなってくると帰ってしまったのすら怪しく思えてくる。

 起きるのを待って、全てを聞き出そうとしてもよかった筈なのに。


「記憶が戻った? でもそれなら俺に黙って帰る必要ないよね、――――も、もしかして……嫌われた? 記憶が戻って、俺、嫌われたっ!?」


 いやいや、流石にそれはない、と笑い飛ばそうとしたが笑えない。

 昨晩、己は何をしただろうか。

 雰囲気に流され、仕方ないとはいえ彼女の服を脱がせてしまったし、何もしていないが一緒に寝た。


「ぽ、ポジティブに考えよう!! 思い出した訳じゃないとして、もしかすると一部だけ思い出して混乱して帰ったのかもしれないし??」


 自分すら信じられない嘘に、どんな価値があるというのか。

 慎也は答えの出ない問題に、激しいモヤモヤを抱えながら家を出て。

 暫く歩くと、そこには。


「お、おはよう慎也くんっ!! ――……一緒に、登校しよっ?」


 もじもじと不安げに、しかして期待に頬を赤く染めて。

 メイクも髪型もバッチリな、気合いが入った砂緒の姿があったのだった。


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