第11話/青いままに枯れさせない



 記憶喪失だった時を除けば、初めてのデートである。

 喫茶店での出来事の後、帰宅した砂緒は数々の服を引っ張り出しては悩みに悩んで早五時間。

 夕食の時間はとうに過ぎ、強い空腹感が彼女を冷静にさせた。


「灰海くんって、なんでデートしたがってるんだろ……?」


 砂緒の夏の恋人を探すと同時に、人前で恋仲アピールをし双方の恋人を誘い出す。

 一見すると理屈は通る、だが……腑に落ちない。

 灰海慎也という少年は、恋人を試すような性格だろうか。


「ううん、違う、灰海くんは……」


 その答えは、ノーだ。

 毎日顔を会わせているクラスメイトであるが、会話したのはここ数日が初めてなのに。


「――どうして、違うって私は確信できるの?」


 不思議な感覚だ、すこし濃密な時間を過ごしたかもしれない。

 それなのに、彼の何もかもを知っているような錯覚に陥っている。


「もしかして……もしかするのかも」


 状況証拠と呼ぶには、余りにか細く輪郭のないあやふやな思いつき。

 けれど、仮に恋人を誘い出すという理由が口実であったなら。

 ――嘘で、あったなら。


「……もし、灰海くんがストーカーじゃないんだったら」


 繋がっていく、妄想に近い仮説が真実味を帯びてしまう。


「たぶん、何か知ってるよね」


 砂緒は無意識に胸元の、服の下に隠れたネックレスを触る。

 形見である父と母の結婚指輪、今は母のそれだけがぶら下がっていて。


『――これはな砂緒、パパとママが愛し合っているという愛の証拠なんだ』


『砂緒ちゃんも、いつかそういう人と出逢えるといいわね――』


 今でも鮮やかに思い出せる幼い頃の思い出、今となっては一番幸せだった頃の記憶。


(私の王子様以外には……絶対に渡さないって思ってたのに)


 記憶を喪っていた時の己が幼い頃の記憶を持っていたかは分からないが、でも気持ちは残っていた筈で。

 その上で、父の指輪を渡したのだ。

 今の砂緒が覚えていない相手に、渡してしまったのだ。


「私は……灰海くんが好きだったの? 指輪を、愛の証を渡すほど……愛していたの? 彼が私の王子様だったの?」


 自分に問いかけても答えは返ってこない、鏡に写った砂緒の姿は泣きそうな顔をしていて。

 まるで、親からはぐれた迷子の幼子のようだった。

 寂しい、寒い、あるべき筈の隣の温もりを喪ってしまった感覚。


(貴方だったら、私は……)


 もし恋人が灰海慎也であったなら、愛の証である指輪を持っていたのならば。

 取り返すのか、それとも喜ぶのだろうか。

 そもそも、今の砂緒を慎也は受け入れるか。


「――――確かめなきゃ、灰海くんの口から言わせるの」


 ならば出来ることは何か、焦燥感と使命感の両方に突き動かされながら彼女はスマホの日記を読み返す。

 ここには情報がある、個人を特定するような物はないがノロケという名の情報が。


「…………へ~~え、あーゆーのが好きなんだぁ」


 砂緒の瞳がギラリと光った、推定恋人である灰海慎也が好む仕草、誉められたファッションの傾向、食事の好みなどエトセトラエトセトラ。

 デートに向けて、彼女は慌ただしく動き出した。

 ――そして翌日の朝十時前、待ち合わせ場所の病院近くのコンビニである。


(…………あれ? 俺の彼女って可愛すぎない??)


 白のスェットパーカーに黒スキニーでスニーカーという、いつものダボT&ハーフパンツからみれば精一杯お洒落した姿の慎也であったが。

 コンビニの入り口の横でそわそわと佇む砂緒を見て、思わず足を止めた。

 時計を見れば待ち合わせまで十五分ほどある、もう少し早くくればよかったと思うが、それ以上に。


(ええっと、確かハイネックにキャミワンピ……だったよね。砂緒が着ると雑誌に乗ってても違和感ない……ああいや、モデルなんだけどさ)


 夏の間に彼女から教えて貰った知識を思いだし、彼は彼女の服装をぼぉっと見惚れながら観察した。

 白と黒のコントラストもさることながら、どうしてこうお姫様感があるのか。

 きゅっと絞られたウェストは腰の細さを見せ、フレアスカートが可憐さを演出して。


(砂緒……?)


 可愛すぎて、辛くて、きゅっと胸が苦しくなった。

 ちらちらと腕時計を見ながら待つ姿は、夏の間に何度も見た光景。

 彼女より早く来ようとしても、必ず先に来て待ってて居て。


(嗚呼――喉が、乾く――――)


 勘違いしそうになる、砂緒の記憶が戻っていて普通のデートの始まりだと。

 ドキドキしてるのに、喉も心のカラカラに乾いて。

 今すぐにでも駆け寄って聞きたくなる、記憶が戻ったのかと。


(期待しちゃうよ、俺を灰海くんじゃなくて慎也くんって呼んでさ、嬉しそうに走ってくるんだ)


 今の彼女はそんな事しないと分かっているのに、期待してしまう。

 もしかすると、本当に記憶が戻っているのではないか。

 そんな愚かな考えが、思考を支配し始めてしまって。


(聞いてみる? でも……違ったなら俺は砂緒との約束を破ることになる、何も言わないって、それでも側にいるって約束したんだ)


 だから、できない。


(冷静になれ、もしかしたら勘づいてるのかも)


 慎也好みのデートコーデ、愛する恋人が待ちきれないと全身で語りかけるような仕草。

 それらの全てが、罠だったとしたら。

 証拠は前の彼女が残さなかった、慎也としてもボロを出していない筈だ、だから偶然かもしれない。


(――違う、鎌かけだね。砂緒には日記とラインのメッセージが残ってる、なら……俺の好みだって把握されてる筈だ)


 目を閉じて深く深呼吸する、今日のデートは一筋縄ではいかないかもしれない。

 予想すべきだった、この街のどこかに居る恋人を誘い出すなら、恋人好みの格好をするに決まってるではないか。

 もしその建前が看破されていたのなら、慎也に向けられた罠そのもので。


「……ねぇ、なんで目閉じて突っ立ってるの? 来たなら声かけてよーっ」


「ごめん、おはよう砂緒……可愛くて見とれてたんだ」


「えへへ……嬉しいっ、褒められちゃったっ。じゃあ行こっ、今日は日記にあった商店街買い食いデートでーす!」


「うぇっ!? 九院さん? なんで腕を――」


「えー? だってデートでしょ? 私と慎也くんの仲をみんなに見せつけちゃうんだからっ、あ、九院さん、じゃなくて砂緒って呼ぶこと。――勘違いしないでよね、デート中だけ特別なんだから」


 彼女は楽しそうに慎也の右腕に己の左腕を絡ませて、上目遣いでにへへ、と笑顔を向ける。

 既視感がありすぎる行為に、彼はくらくらと目眩がしてきそうで。

 ならば負けていられない、歩き出す前に慎也は砂緒に左手を取って甲に口づけをする。


「――エスコートさせてくれるかい、俺のお姫様?」


「っ!? ~~~~っ、ぁ、ゆ、ゆゆゆ許しますっ、うううううう、似合ってないよソレ、狙いすぎだしキザ過ぎだし、ダサイ」


「そう? 俺のカノジョには好評だったんだけどなぁ……」


「言っちゃなんだけど、そのカノジョさんって趣味悪くなーい?」


 真っ赤な顔で言われても可愛いだけだし、何より砂緒はカノジョ本人である。

 慎也はやり返せたと、少し満足気に笑って。

 だがここで終わりではない、ここからが始まりなのだから。


「――んじゃ、商店街に行こっか」


「レッツゴーっ! ……ところで慎也くん、私たちって連絡先交換してないよね? ラインだけでも交換しとかない?」


「それはちょっと……」


「ふーん、ならいいやっ」


 深く突っ込んで聞かない砂緒に、慎也は奇妙な焦りを感じたが。

 ともあれ、デートが始まったのであった。


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