第7話/ハニートラップ



 そして朝である、家を出た直後の慎也が感じたのは奇妙な違和感であった。

 道行く人は少ないが、サラリーマンや早朝ウォーキングに洒落込む老夫婦、愛犬の散歩をする主婦などなお。

 いつもと変わらない道、だがどこからか視線を感じ、時には慌ただしい足音が。


(なーんか覚えがあるんだよね、俺がよく聞いていたって感じの…………足音? うんそうだ、足音だ)


 慣れ親しんだ、というよりは思わず覚えてしまったというべきか。

 だが、こんな所にこんな時間から。


(後ろに砂緒が居る……??)


 今の彼女には恋人だった記憶はない、ならば何故、どうして、何のために。


(いやー、朝から会えるなんて嬉しいなぁ……って素直に思えないよねぇっ! 絶対に何か企んでいるでしょ!?)


 なにせ行動力の化身のような彼女だ、もしかするとまだストーカーだと疑っているに違いない。

 慎也の推察は見事に当たっており、後ろの電柱の陰から睨んでいる砂緒といえば。


(ふふふふふふっ、寝ずに考えたこのすーばらしい作戦っ、絶対に成功させてみせるっ)


(うわぁ……うっわぁ……えぇ、どうしよう、俺どーすりゃいいの??)


(もう誤魔化されない、――絶対に何か知ってるもん、例えストーカーじゃなくても……ストーカーに仕立て上げてやるっ)


(走って逃げる? いや敢えて企みに乗る? それとも逆に捕まえる? いやダメだ、迂闊に動いたら隙を付かれるッ、――あの日のように!! そう、あの日のように!!)


 慎也は恋人になった時の砂緒の、その悪辣な行動を思い出して戦慄した。

 僅か一週間の猛アプローチで絆され好意を抱き、それを見取った彼女は畳みかけるように恋人への決定的なステップアップを企んだ一件。

 気づいたときには、選択肢は既になく、嫌ではなかったのが悪辣と言うしかない。


(今度こそ……俺は負けないッ!!)


 そう決意を固めた瞬間であった、前をさっと横切る見覚えのある姿。

 同時に、地面に何かを落としていって。

 慎也は無意識にソレを拾い、キョロキョロと周囲を見るが人影は無し。


(うっかり拾っちゃったけど…………え、なんで体操着? 誰のって言うまでもないけど……どゆこと??)


(ヒットっ! ふふふふ、それだけじゃないんだから……っ)


 仕方なしに慎也は鞄にしまい、そのまま登校再開。

 すると、通行人が他に居なくなった途端。


(今度はハンカチ? ――あ、増えた、ペンケース、その先には、もっかいハンカチ??)


 何をしたいのだろうか、今は二つ先の電柱の陰に隠れてる彼女ではあるが。

 ふわふわとしたお姫様然とした長い髪は目立っていて、そうでなくても半身が外に出てるから丸わかりだ。

 もう少し近くで見ないと確信がもてないが、目の下に隈があるような気がする。


(嫌な予感がする……寝不足でいつも以上に後先考えずに行動してる気がするよ!?)


(そろそろ締めくくりね、――ほいほいっと)


(あからさまに投げ始めた!? しかもアレ、デートで着てた服だよね!? けっこうお高めのブランド物って言ってたよね!?)


(完璧っ!! ほーれほれ、拾いなさーいっ)


(うおおおおおおっ、この前の路地裏に誘導されてるうううううううう!!)


 罠だと分かっていながら、しかして拾わざるを得ない。

 路地裏の中程で、両手に砂緒の私物を抱え立ち上がった瞬間であった。

 パシャと電子音が一度、慌てて振り向くとパシャパシャパシャと連写する効果音。


「いーけないんだー、みーちゃったぁ、灰海くんのストーカーの証拠、バッチリ撮っちゃったっ」


「ぜんぶ九院さんが仕込んだコトじゃんっ!?」


「は? ウソ付きがナニ言ってるの? とぼけないでよ、なんで誰にも教えてない私のマンションへの道のりを知ってたの? おかしいでしょ、あの時間に遭遇したのも、――カノジョがどうだとか言ってたけど、それとストーカーは両立するよね?」


「俺を脅す気なの!?」


「読モもやって立派に稼いでる美少女の私と、ストーカーの貴方、みんなはドッチを信じると思う? 警察に言ってもいいんだよ?」


 かつかつと紺のローファーがアスファルトを鳴らす、座った目でゆっくりと、プリーツスカートを翻して近づいてくる。

 整った顔立ちがまた、慎也の恐怖心を煽り。


(逃げっ、いや何処に!? 学校に逃げ込んでも状況が悪化するだけだよねぇ!!)


「灰海慎也くん、貴方の答えは一個だけ。――俺はストーカーです、是非とも夏休みの間に九院砂緒の恋人だった卑怯な男を探すのに協力させてください、それ以外は認めない」


「待った!!」


「今すぐ悲鳴をあげてもいいけど?」


「~~~~ッ!?」


 進退窮まった、ここはもう協力すると言うしかない。

 だがそれでどうなる? どうする? 慎也がその男だってバレないか、もし全てが明るみになった時に嫌われない保証は? 考えれば考える程に答えは出ず。

 しかして、砂緒の言うとおり答えは一つしかない。


「お、お願いだ、待って、待ってくれ、俺に心の準備をする時間をください」


「え、なんで? どーせイエスって言うなら時間なんて必要なくない??」


「後生だから、絶対にイエスって言うから、だからせめて今日一日はさ、時間をちょうだいよ……」


「ふーん、へー、そんなコト言うんだぁ」


 砂緒は青い顔をする慎也を、頭の先から靴の先までじっくりと観察した。

 このまま押し切るのもアリだろう、しかし彼の言葉通り待つ方がより協力的になってくれるかもしれない。


(油断しない、うっかり信じて待って、実家に帰られちゃったりしたら探すのが困難になる)


 自分でも不思議なほどに、灰海慎也に拘っている気がする。

 己自身の力だけで探しても問題ない筈だ、しかし心のどこかで確信しているのだ。

 彼は、絶対に何かを知っている。


(ストーカー、うん、私のストーカーだから知ってるのよ、こんな男なんて絶対に恋人じゃないわ、たぶん、コイツとその男が知り合いって体が覚えてるの、きっと……)


 黙り込んだ砂緒に、慎也は生きた心地がしない。

 最悪の事態は避けなければならない、ならば今の最悪とは何だ。

 それは警察にストーカーに突き出され、全てが明るみになる事だ。


(何か、何か言ってくれよ砂緒ッ)


 協力するしかない、だが。


(――――辛い、嬉しいのに、辛いんだ)


 それを飲み込む時間が欲しい、自己欺瞞でもいい、納得できる理由を作り出す余裕が欲しい。

 そうしなければ、今すぐ駆け寄って抱きしめてしまいそう。

 九院、と名字ではなく、砂緒と名前で呼んでキスしたい。


「――――わかった、猶予をあげる」


「やった!!」


「ゆっくり考えていいよ、……答えるまで、ずぅーっと側にいるからっ」


「…………やったぁ??」


 それがどういう意味なのか慎也が考える前に、砂緒は素早く近づくとそのまま腕を絡めて。

 ならば、大荷物である彼は振り解くことが出来ず。


「じゃ、行こっかっ」


「このまま学校行くの!?」


「安心して、教室に着いたら私の物は回収するから」


「それまでこのままッ!? ――ああっ、引っ張らないで砂緒っ!?」


 慎也は思わず名前で呼んでしまったが、あまりに自然だったので砂緒は気づかず。

 二人は仲良く登校し、当然のようにその姿は注目を集める。

 幸か不幸か、恋人という雰囲気ではなかった故に彼女を慕う男子達の嫉妬は無かったが。


「なあ慎也、聞いていいか?」


「聞かないでくれ一蓮……」


「お、おう、――なら九院さん?」


「ごめんねー、まだ話せないの」


「そうか…………じゃあ、また明日な慎也」


「まだ朝のホームルームもまだだよっ!? 見捨てないで一蓮!!」


 教室に入っても、砂緒はニコニコと威圧しながら側に。

 そして青くなったり辛そうな表情の慎也に、クラスメイトはそっとしておく他はなく。

 唯一の救いは授業中、背後からの視線は痛いが隣に居られるよりマシで。

 だが。


「――――いやいやいや?? トイレまで着いてこないでよ!! ほらっ、他の奴らが逃げ出してるじゃん!! 俺もトイレできないから!!」


「逃げない?」


「逃げないよ!! 何処に逃げるのさ!!」


「うーん、…………信じないっ!」


「せめて読モとしてのイメージは守ろう??」


 学校にいる間は万事こんな調子で、落ち着かない事この上ない。

 監視されていれば、覚悟を決めるのも自分を騙す嘘を考えるのも出来ず。

 なら家に帰れば、と慎也は一縷の望みをかけたが。


「――今日は泊まるから、変なコトしないでよね」


「ですよねぇえええええええええええええええ!!」


 家の玄関前で、慎也は盛大に頭を抱えるのであった。


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