28.意思を示す



「……思えば、私はヴィシャス様に不誠実なことばかりしてきてしまいました」

「『リルカ』、それは……」

「まあまあ、ローディス。ひとまず、焦らず最後まで聞こうよ」


 リルカの言葉に、どこか焦りを見せたローディスを、ティル=リルがなだめる。ヴィシャスはというと視線で続きを促してきたので、リルカは言葉を選びながら続ける。


「ヴィシャス様に選ばれたということを、私は栄誉と思えなかった。人として生きて死にたいという衝動のままに逃げ出した――あのときはそうするしかないと思っていました。けれど……言葉を尽くしてわかってもらう、その道を私は最初から諦めた。――それが、ヴィシャス様に対して不誠実だったと、今では思うのです」

「――では、今度こそ神界に召し上げておれのものにしていいと?」


 その問いに答えるのには、少しだけ勇気がいった。けれどリルカは、ヴィシャスの目をまっすぐに見て、言い切った。


「いいえ。私が望むのは、前世と同じく人として生きること。そして、お世話になったローディス様とユースリスティ様に拝神して、魔力を捧げて過ごすこと。だから、今世も私はヴィシャス様のものにはなれません」

「……すでにおまえは、今世を――一生を捧げる神を選んだということか」

「……恐れ多いですが、率直な言い方をさせていただけるのなら、そうです」


 そうして、リルカは今度はローディスに向き直る。


「ローディス様。私は前世、貴方様に助力をいただき、人間としての生へと送っていただきました。そのご恩を返したい――そのために、貴方様に拝神し、魔力を捧げ続ける――それが私の前世からの誓いです。見返りは必要ないんです。ただ、それだけをお許しいただきたいのです」

「『リルカ』、だが、それでは貴女は平穏に生きられない。――神に拝神すること自体をやめれば、きっと貴女の心は安らかくなるだろうに」

「私の中で一番大事なのは、ローディス様とユースリスティ様に拝神して、魔力を捧げ続けることです。『平穏』は、そうであればいいですけれど、絶対の願いではないので」

「しかし……」


 なおも言いつのろうとしたローディスに、ヴィシャスがフンと鼻を鳴らした。


「――こうまで言われても覚悟の決まらないおまえだからいらつくんだ、ローディス」

「ヴィシャス?」

「人の子が――おれたちを惹きつけてやまない魂の質を持つ者が、こうまで言っているんだ。おまえも人の子の現世での生活がどうとか細かいことは考えず、受け入れてしまえばいいだろう」

「だ、だが……」

「ほんと、煮え切らないよねぇ。でも、ローディスがそういう質だから、リルカはローディスが好きなんだよね?」

「……ええ、はい。そういうローディス様だから、私は前世でも、本当は拝神したかったんです」

「『リルカ』……」


 リルカはローディスの前に立ち、その顔を見上げる。夜空を映したような深い青の瞳は、リルカを気遣う色で満ちていた。


「私は『リルカ=ライラ』。【死と輪廻の神ローディス】様に拝神したいと願う者。――どうか、私を信徒へと加えてくださいますよう」


 拝神する神へと奏上する言葉を捧げる。本式では体の一部――髪の毛や血をともに捧げるのだが、それはすでに行っている。そもそも今だってローディスの信徒なわけなので、これは願いであり、祈りであり、宣誓なのだった。


「……『リルカ』――『リルカ=ライラ』」


 ローディスが、神力を込めてリルカを呼んだ。リルカの身の内に快楽にも似た喜びが広がり、思考が、視界が、ローディスに占められる。


「貴女は、ずっと――その生涯尽きるときまで、私の信徒だ。そうであることを、ゆるそう」

「――ありがとう、ございます」


 それを口にするだけで、精一杯だった。ローディスの言葉を噛みしめるリルカの肩にとびついたティル=リルが、「よかったねぇ」とささやく。

 と、ヴィシャスが無言でリルカの前に立った。その瞳は力強さに満ちてはいたけれど、もはやそこに鋭さはなく、どこか鷹揚さを感じさせた。


「――仕方ない、今世は諦めてやろう。おまえの『人として生き、ローディスとユースリスティに拝神する日々を送り、人として死ぬ』願いを尊重してやる」

「ヴィシャス様?」

「死に、転生の輪に向かうおまえをさらって神界へと召し上げるというのも一興だからな」

「……死の領域に手を出すつもりか?」


 ヴィシャスの言葉に、ローディスが剣呑な雰囲気で問いをかけるが、ヴィシャスは楽しげに笑ったままだ。


「人として生きる間はおまえに譲るんだ、それくらいゆるせ」

「だから、そもそも『リルカ』の意思を――」

「一度は尊重する。してやることにした。だが、最終的にはおれのものにする。そう決めた」

「また、勝手なことを……」

「いいんじゃない? 神らしくて。それが承服できないなら、死後のリルカをまたローディスが守ればいいでしょ」

「それは……そうだな」


 ティル=リルの提案に納得してしまったローディスに、リルカは焦る。


「そ、そこまでローディス様に迷惑をかけるわけには、」

「迷惑などではない。それが私の、【死と輪廻の神】の仕事でもあるし――私自身が、そうしたいのだから」


 ローディスに慈しみに満ちた視線を向けられて、リルカはなんだか自分が小さな子どもになったような気持ちになる。だが、それがいやではなく、胸にあたたかいものが広がるような心地だった。


「――だが、ローディス。『リルカ』が納得していれば、話は別だろう? おまえはそういう神だからな」

「ヴィシャス……?」

「おれは遠慮せず、『リルカ』が人として生きて死ぬまでの間に、口説き落とすぞ」

「え……?」


 ヴィシャスが予想外のことを言い出したので、リルカは戸惑いに目を瞬かせた。そんなリルカを捕食者の笑みを浮かべたヴィシャスが見下ろす。


「覚悟しておけ、『リルカ』。おれは二度もおまえを逃がすつもりはないからな」

「待て、ヴィシャス、」

「なんだ、ローディス。おまえが己のものにするとでも? その場合でも、おれは諦めないがな」

「わあ、二神に取り合われる人間なんて、久々だね! 楽しくなってきたなぁ。ぼくも参戦しちゃおっかな」

「待て、私は、そんなつもりは……」

「ない? 本当に? 本当は『神子』になってほしいくせに?」

「……っ」

「言葉に詰まるのが答えだよねぇ。――これ知ったら、ユースリスティも黙ってないだろうし……いやぁ、しばらくは退屈しなさそうだ」


 とんとんと進む神同士の会話に、リルカはついていけず――というか理解を超えた内容に頭がいっぱいいっぱいになって、へなへなと座り込んだ。途端、神々がリルカを気遣う様子を見せる。


 「前世ぶりに濃い神力に触れて、ちょっとあてられちゃったかな?」――と、明らかにそうじゃないとわかってるだろうに口にするティル=リルに。

 「そうだったのか、気づかなくてすまなかった――椅子に座っておくといい」――と、さっとリルカを抱きかかえ、椅子へと座らせるローディスに。

 「ああ、そうか。前世よりも神力に対して脆弱ならば、徐々に慣らさねばな」――と、なんだか先が不安になることを言い出すヴィシャス。


 三神に囲まれて、リルカは「このまま気絶したら、聞いたこと全部なかったことにならないかしら……」と現実逃避をしたのだった。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る