27.【英雄神ヴィシャス】


 波打つ豊かな金の髪、獲物を見つけた猛獣を彷彿とさせる鋭さでリルカを見つめる赤い瞳、誰の目も奪ってしまうような美しく華やかな顔立ちは、今は剣呑さに満ちている。

 絵姿では見たことがあったが、前世ではついに直に相対することのなかった、【英雄神ヴィシャス】の姿に、リルカは圧倒されるしかできなかった。

 今世では感じたことのないほどの濃い神力に、息をすることさえ難しい。

 ユハは大丈夫だろうか、と視線をやろうとすると、リルカの目の前へと移動したヴィシャスがリルカの顎をつかみ、それを阻害した。


「おれから目を離すな。おまえはおれのものだ――そうだろう?」

「ヴィシャス、様……」


 己から名を与えていないため、強制力はない。けれど、神の威容の前に、人間はあまりにも無力だ。赤く美しい瞳がリルカをとらえて離さない。

 と、ローディスが「……やめろ、ヴィシャス」とヴィシャスの手を振り払い、転移を使ってリルカとヴィシャスを引き離した。


「――私の信徒に手を出すことはゆるさない」

「『神子』でもないものに独占欲を出すおまえは珍しい。面白くはあるが――それはおれが先に目をつけた、おれのものだ」

「目をつけたという意味なら私の方が早い。諦めろ」

「……え?」


 ローディスの言葉に、どういう意味だろうと混乱する。ローディスと面識ができたのは、ヴィシャスに見初められ、神界に連れて行かれ、ヴィシャスの宮から逃げ出してティル=リルの助力を得た後のはずだ。

 ローディスの背を見上げて目を瞬くリルカに、ティル=リルが疑問の答えを投げ込んできた。


「知らなかった? きみ、ローディスに拝神しようと考えてた時期があったでしょ。その頃、敬虔に家族について祈ってもいた。それでローディスはきみのことを認識して、気にかけていたんだよ。だからこそ、三千年前ローディスはすぐにきみに関して手を貸してくれたわけだ」

「そうだったんですか?」


 ローディスの背に問うと、ローディスは体をひねって振り返り、リルカを見下ろした。


「……あの時代から、私を拝神しようとする者は少なかった。だから――覚えていた、だけだ」

「素直じゃないなぁ、ローディスは。『神子』にできたらって思ってるくらいには心を傾けてるくせに」

「…………。ともかく。『リルカ』は私の信徒だ。私には、私の信徒を守る権利がある」

「――また、位を落とされたいのか?」

「……二度も、同じ手を食らうと思うか?」


 ローディスが神力を解放する。ヴィシャスの神力に満たされていた場が、二柱の神の神力が主導権を争う場になる。

 ティル=リルがいつの間にか空間を修復していたので、突然人間界で神同士が争うことにはならないが、ここにはユハもいるのだ。心配になって視線を向けた先では、ユハがティル=リルに「きみにはこの場は酷だね。出ておきなよ」と転移させられていた。ユハが神力にあてられて倒れることは免れたようなので、とりあえずほっとする。


 ヴィシャスの神力が光り輝きすべてをねじ伏せるような強さを持っているとしたら、ローディスの神力は底知れない常闇のような印象がある。その二つの神力がぶつかりあい、世界が神力に満ちていたときを知るリルカでもあてられそうな、神力の濃い場が作られた。


「『リルカ』はこっち。さすがのきみでも苦しいでしょ」

「ティル=リル様……ありがとうございます」


 ティル=リルが、満ちた神力に影響されないように障壁のようなものを築いてくれたのに気づいて、お礼を言う。ティル=リルは、「きみは当事者だから、外に出しておいてあげるわけにもいかないからね」と悪戯げに笑む。


「空間はさっきより固く作り直したし、ヴィシャスもローディスもここで本気でやり合うつもりは……たぶんないから人間界に影響は出ないよ。でもきみには見届けて、選んでもらわないといけないから」

「選ぶ……?」

「神は人の事情を斟酌しない。でも、強い意思を尊重することはある。――きみはね、向き合うべきなんだよ、神に」

「…………」

「『そんなの恐れ多い』なんてきみは思ってるだろうけど、きみがきみでいたいなら、そうすべきだ」

「ティル=リル様……」

「きみの星はどうやっても、神と関わる運命になる。だからこそ、神との付き合い方を、きみは考えないといけない。――きみの運命はもう転がってしまったから」


(神と――向き合う……)


 神とは崇め奉るもの。そして魔力を捧げ、力を貸してもらうものだ。そこには絶対的な関係があり、そして断絶もあった。

 神は神。人の事情など神にとってはうたかたのようなもので、神は神の事情で動くもの。人の思い通りになるものではない。

 神を己の思い通りにしようとした人間の末路は、いくつもいくつも言い伝えられていた。――だからこそあの時代、神々がどんなに近しく在っても、そこには畏敬があったのだ。


 けれどティル=リルは、リルカにその線を少し踏み越えろという。それがリルカにゆるされているのだと。


(恐れ多い、という気持ちは拭えない……けれど)


 それを為さねば、リルカがリルカとして望むとおりに生きる自由は得られないのだろう。


 にらみ合う二神を見つめる。この対立を招いたのは、『アイシア』で――リルカなのだ。


「ローディス様、ヴィシャス様、――もし私にお言葉をゆるしていただけるのならば、お耳をお貸しください」

「……『リルカ』?」

「……いいだろう」


 意外なことに、まずヴィシャスが神力を納めた。そうして、ローディスもまた続くように神力を納める。ティル=リルの作った障壁が役目を終えたとでもいうように、消えた。

 ティル=リルは、すべてを見届けようとでもするように、リルカと二神を見据えている。

 そんな中、リルカは覚悟を決めて口を開いた。


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