17.祈りの場


 新しい剣を腰に佩いたエセルナートは、「ああ、やはり剣があると落ち着くな」と満足そうだった。そんな彼をおいしい軽食が買える屋台に案内したり、服などを手に入れられる店に案内したり――そうして時間は過ぎていった。

 リルカがローディスに祈る場――祭壇は、孤児院の敷地の片隅にある。普段は勝手知ったる場所として好きに出入りしているが、今日はエセルナートを連れている。一応面通しをしないとまずいだろうということでエセルナートとともに孤児院長に挨拶をしたら、「おや、リルカ。ついにいい人を見つけたのかい」などと言われてしまい、二人して否定する羽目になったりもしたが、エセルナートの希望通り、ローディスの祭壇を見せるところまでこぎつけた。


「なるほど……こういう祈りの場もあるんだな」

「本当に……手作り感が拭えなくてお恥ずかしいんですが」

「いや、丁寧に作られているのがわかる。……この神印はリルカ殿が?」

「はい。神印がないと神に祈りは――魔力は届きませんから」


 神印というのは、神それぞれを表す記号のようなものだ。神に祈る場には必ず対応した神の神印がある。それが神と人とを繋ぐからだ。三千年は、拝神する神の神印を石などに彫って持ち歩くのが常だったし、客神として祈る場合は魔力で神印を描かなければならなかった。だからリルカは大抵の神の神印をそらで描ける。

 現世では、神殿がある神の場合は、神印を彫ったり縫い付けたりしたものをもらえると聞いている。お布施が必要らしいが。


「描くのではなく彫っているんだな。大変だっただろう」

「その分、魔力は届きやすくなるので」

「そうなのか、それは知らなかった。……リルカ殿はそうでない場合と比較できるような場所で祈ったことがあるのか?」


 問われて、リルカは一瞬固まった。


(しまったわ。つい、前世の感覚で口にして……)


三千年前では当然の知識だったから、当たり前の事実として口にしてしまった。

 頭を必死に回転させて、ごまかすための言葉を考える。


「既存の祭壇に祈るユースリスティ様の時と比べて、魔力の奉納にかかる時間が短い気がするんです。魔力を奉納している際は時間の感覚が薄いので、おそらく、ですが」

「ふうん……。俺も宿の部屋に祭壇を作ってみてもいいかもしれないな。この都にもヴィシャス様の神殿はあると聞いているが、中心地から遠いらしいし」

「現存する『古き神』の祈りの場は、みんなそうですから……」


 なんとかごまかせたようだ、とほっとする。

 それがいけなかった。


「リルカ殿はヴィシャス様の神印も描けるのか?」


 そう問われて、気が抜けていたリルカはつい――。


「ええ、ヴィシャス様の神印はこう……」


 ですよね、と宙に描きかけて、さっと青ざめた。


(つい癖で魔力を込めて描いて――いえ、最初の部分だけだから大丈夫よね!?)


「? どうしたんだ?」


 不自然に動きを止めたリルカを、エセルナートが怪訝そうに見やる。けれどすぐに、その顔が驚愕に変わった。


「なっ……ヴィシャス様、何故今――!」

 

カッと、天から光が落ちてきた。あまりの眩さに、とっさに目を閉じたリルカは、もはや絶望の境地だった。


「――三千年、探したぞ。『アイシア』」


 目を閉じたリルカのおとがいを、誰かがクイと持ち上げた。誰か、なんてわかりきっているから、リルカは目を開けたくなかったけれど、渋々まぶたを開いた。

 そこには不敵な笑みを浮かべたエセルナートが――否、金の髪と赤い目の、エセルナートの顔をした別のモノがいた。


「魔力は魂に紐付く。器は以前より矮小になったようだが、質は変わらない。一瞬だろうとおまえはおれを思い浮かべながら神印を描こうとした。だから捕まえられた。――おまえがおれから逃げ、ローディスの元で転生の輪に入ってから三千年……待ちわびたぞ」

「ヴィシャス、様……」

「ティル=リルから話は聞いた。記憶があるそうだな。だが、ローディスとユースリスティに拝神するのみで、おまえは一度もおれと魔力を繋がなかった。――逃げるものほど追いたくなるというのを、おまえは知らないらしい」


 腰をとらえられ、引き寄せられる。息がかかるような至近距離で、エセルナートの顔をしたヴィシャスは獰猛に笑った。


「だが、捕まえた。再び逃げられると思うなよ」

「――、」


 ヴィシャスの言葉に、リルカは何かを返そうと、返さねばならないと口を開いた。けれど、リルカが言葉を紡ぐより早く――。


「――人の体で何勝手をやってくれているんですか、ヴィシャス様!」


 当のヴィシャスが――『エセルナート』が、叫んだ。


「え……?」


 ぱち、と目を瞬く。『エセルナート』は、まるで思うとおりにならない体を無理やり動かすように、じりじりとリルカから手を離し、距離を置いた。


「す、まない、リルカ殿。不用意に、許可も得ず、触れてしまって」

「あ、い、いえ……?」


 戸惑うばかりのリルカの前で、『エセルナート』はまた表情を変える。傲岸な神のそれに。


「何を謝る。おれがおれのものに触れるのに許可などいらんだろう」

「何様理論ですか! リルカ殿はヴィシャス様と何の関係もないでしょう」

「おれの言葉を聞いていなかったのか? この女は――現世では『リルカ』というのか? リルカは三千年前、おれの妻にした女だ。ティル=リルのちょっかいやローディスの余計な手出しによって一度は逃げられたが、おれの妻にと神界に召し上げた女に変わりはない。おれがおれのものに触れて何が悪い」

「……は? 三千年前?」

「いいから体の主導権を渡せ。今度こそこの女をおれのものにする」

「――それを聞いて主導権を渡すわけがないと思わないのか!」


 神のそれと、今日一日ともに過ごした『エセルナート』のそれと。表情をくるくると入れ替えながら一つの口で二つの意思が会話する。

 はあはあと肩で息をするエセルナートが、またじりじりとリルカから距離をとる。


「以前っ、言いましたが! 俺は、俺の体を勝手に使われるのは我慢がならないんです! それが神であろうと!」

「不敬な……。おれを主神として拝神しておいて、そんな戯れ言が通るとでも?」

「戯れ言じゃない! おれはヴィシャス様の〈器〉になろうなんて考えたことはなかった!」

「だが、おまえは、この神の信仰が薄い現世で、おれの〈器〉になる条件を満たした。ならばおまえに拒否権はない」

「だから、それが……!」


 言いかけたエセルナートは、苦い顔をして口をつぐんだ。「とにかく!」と仕切り直すように叫ぶ。


「今は戦乱の時代でもない。俺は戦場にいるわけでもない。ヴィシャス様に体を差し出す理由がないんです。俺個人の感情としても、差し出すつもりはない」

「…………」

「だから、神界に戻られてください。俺は、俺のまま、剣技を高めたいんです」

「……ふん。これだから現世の人間は……」


 不満そうに呟いた『ヴィシャス』がリルカを見る。その視線の強さに、リルカは肩を震わせた。


「……もう、おれはおまえを認識した。二度、逃げられると思うな」


 ――そうして『エセルナート』の姿は、彼本来のものに戻った。

 エセルナートが距離をじりじりと戻し、頭を下げる。


「……驚かせただろう。すまない。あれが、――【英雄神ヴィシャス】様だ。……仔細はわからないが、リルカ殿は面識があるのか?」


 リルカは迷う。だが、ヴィシャスはリルカの前世に関わる秘密をほとんど暴露していった。ここは口止めが必要だろう、という結論に達するのはたやすかった。


「……はい。ヴィシャス様のお言葉で、大体のところは察していらっしゃるかと思いますが……」

「いや、俺は体の主導権を奪い返すのに必死だったから、正直よくわからなかった。だが、秘したいことであるのはわかる。無理に聞こうとは思わないが……」

「いえ、あなたがヴィシャス様の〈器〉であり続けるのなら、事情を把握していただいた方がいい……と思います。私の事情に巻き込むようで、申し訳ないのですが」

「いや、それを言ったら、俺がヴィシャス様の〈器〉であることで、貴方に不利益を被らせたような気がする……」

「いえ、そんな……」

「だが……」


 二人で顔を見合わせる。


「……堂々巡りですね」

「堂々巡りだな」


 そうして少し笑って、リルカは話をするのに不足ない場所に移動しようと提案したのだった。



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