16.『ミカ・エーヴィ』
「アイシア、やっぱり、気持ちは変わらない?」
「……ミカ。何度も言うけど、私はユースリスティ様を主神として拝神するって決めてるの」
「もったいないなぁ……」
派手ではないが整った容貌を持つ幼馴染み――というよりは兄貴分であるミカが、本当に残念そうに呟くのを見るのは何回目だろうか。
アイシアの魔力は、この時代の人間にしてはかなり潤沢な方だ。戦で乱れたこの時代、魔力が潤沢な人間は重宝される。アイシアの魔力のことを知っている者からは、自分の拝神する神を奉じないかと勧誘されることも多かった。
しかしアイシアは、戦争で家族を喪ってから、じっくりと考えた上で拝神する神を決めた。それが【癒やしの神ユースリスティ】だ。
ユースリスティに拝神すると癒やしの神術が使えるようになる。特に主神として唯一崇めている場合、広範囲の癒しの神術と、瀕死の状態からでも一命を取り留めるだけの強さの癒しが使えるようになる。
アイシアは家族を奪った戦争に思うところがあったが、人を傷つけて戦争を終わらせるのではなく、少しでも傷つく人を、喪う人を減らして戦争の終わりを迎えたいと思っていた。故にユースリスティを唯一の主神として拝神すると決めたのだ。
けれど、それをもったいなく思う――アイシアの魔力を攻撃に使えれば、と思う者もいた。その筆頭がミカ・エーヴィだった。
彼もまた戦争で家族を喪っていた。アイシアより少し年長の彼は、同じ戦争孤児のアイシアの面倒をよく見てくれた。アイシアより少し下の年の妹がいたのだと言っていた。
そんな彼は【雷霆神エルド】と【嵐神セーヴ】に拝神している。潤沢な魔力で、戦場の天候をも変えてしまうと恐れられているらしい。
彼はアイシアと違い、できる限り早く戦争を終わらせることで、己と同じような目に遭う人間を減らしたいと考えている。故に強大な魔力を持つアイシアが、攻撃的な神術を使える神に心変わりしないかと確かめてくるのだった。
「確かにアイシアの癒やしの神術にはみんな助かってるよ。でもアイシアの力があれば、きっと戦況は変わる。〈器〉にだってなれるんじゃないかな」
「もう。それについては思想の違いなんだって、この間確認し合ったでしょう」
「しつこく口説けば気が変わらないかなと思って」
「変わらないから諦めてちょうだい」
「それは無理。僕は戦争を早く終わらせたいんだ」
にっこりとミカが笑う。ミカのその底の見えない笑みを、アイシアは好きではなかった。感情を綺麗に覆い隠して、上辺だけを見せられている気持ちになるからだ。
「……少しでも自分たちと同じ目に遭う人を減らしたい。その方向性は一緒だって、納得してくれたんじゃなかったの」
「納得はしてない。理解はしたけど」
「しつこい男は嫌われるわよ」
「アイシアが僕を嫌うのは、僕が自分たちと同じ目に遭う人間をいたずらに増やすようになったら、でしょう」
「…………」
図星だったのでアイシアは黙った。長年の付き合いだ。口で勝てないのはわかっている。
「まあ、でも、信仰は自由だ。無理強いはしないよ。……こんな世の中じゃなかったら、もっと自由だっただろうけどね」
「……そうね」
「アイシアだって、本当は【死と輪廻の神ローディス】様にも拝神したかったんだろう?」
ミカはアイシアが【癒やしの神ユースリスティ】のみを拝神することで使えるようになる神術を求めて、【死と輪廻の神ローディス】を拝神するのを諦めたことを知っている。それ故の言葉だった。
「それは……そうだけど。仕方ないわ。私の目的のためには、ユースリスティ様だけを拝神する方がよかったんだもの」
「ローディス様を拝神することで使える神術は、直接的に戦の役には立たないからね」
「ちょっと、不敬よ」
「でも事実だろう。ローディス様を主神として拝神する人は少ない。死者へ祈りを送りたい人くらいだ」
亡くなった大事な人が、何事もなく輪廻の輪に入り、次の生へと向かえますように。次の生で、せめて幸せに暮らせますように。あるいは――死んでしまった憎い相手が、次の生でも苦しみますように。
そういった祈りがローディスに届きやすくなるのが、【死と輪廻の神ローディス】に拝神することで得られる変化だ。ローディスは【死と輪廻の神】だが、直接的に死を与える神術を賜ることはできない。ずっとずっと昔にはそういう神術も賜れたらしいが、ある出来事をきっかけに、ローディスから賜れる神術は変化した。死にゆく者が眠るように苦しまず死に至ることができる術や、死した者が彷徨える魂にならないための鎮魂の術。そういったものが主だった。
【死と輪廻の神ローディス】は、そういう、賜れる神術の効果によるものを除いても、元々不人気な神だった。人は死を厭う。できるだけ遠ざけたいと願うものも多い。おどろおどろしい逸話が多いのも相まって、受けも悪かった。
拝神する神を決め、神を奉じられるのは数えで七つになった年からと決まっている。アイシアはその七つで戦災孤児になった。一族で同じ神に拝神する家は多いが、アイシアの家は個々人の判断に任せていたので、アイシアは神々の中で一番気になっていた【死と輪廻の神ローディス】に拝神しようかと考えていた――その矢先に、戦争に巻き込まれ、アイシアは家族を喪ったのだった。
家族はアイシアが【死と輪廻の神ローディス】に拝神することを肯定してくれていた。アイシアは昔からローディス様が好きだったものね、と笑っていた。その記憶があるから、家族が無事に転生の輪に入れますようにと祈りたい気持ちもあったから、ずっと悩んでいた。けれど結局、アイシアは【癒やしの神ユースリスティ】を拝神することにした。毎日ローディスの祭壇に家族が安らかであるように祈った日々の果てだった。
家族の次の生を祈るだけでは足りなかった。アイシアは自分と同じ目に遭う人が、今も増え続けているという事実に耐えられなかった。だから命を救える【癒やしの神】の神術を欲した。
「アイシアはローディス様びいきだからね。知ってるよ、時々戦場で、客神としてお力を貸してもらってること」
「……せめて、みんな安らかに、って思ってしまうから」
「アイシアはやさしいよね」
「そんなこと、ないわ」
アイシアのそれはただのエゴだ。そうであってほしい――そうであってくれないと、悲しみを生むだけの戦争の渦中にいるのが嫌になってしまうから。自分がそこに踏みとどまるために、自分の心のために、祈っているだけだった。
「……アイシアは、前線にまで出てくるだろう。戦う術も持たないのに」
「ユースリスティ様が武器をお嫌いだから仕方ないわ」
「守るための人員は付いてても……心配なんだよ」
笑みを消して落とされた言葉は、ミカの本心だとわかっていたから、アイシアは曖昧に微笑んだ。
ミカが自分を心配して、攻撃の術を持ってほしいと考えているのも知っていた。他の神に拝神しないかと言ってくる理由にそれがあるということも。
その気持ちはありがたいと思っている。戦災孤児のアイシアをそこまで気にかけてくれる人は、そう多くないから。
それでも、ユースリスティを唯一として拝神することで得られる強力な癒やしの神術と引き換えにはできない。それを使えるアイシアが前線にいることで救われる命は、少なくはないはずだから。
「……あーあ。本当に、アイシアは頑固だよね」
「諦めの悪いミカに言われたくないわ」
戦場と戦場の合間、そんないつもの会話を交わした記憶は、『リルカ』の中にも大切に残っていた。
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