13.心配と感覚の相違
「一体いつの間に『古き神』の〈器〉と知り合いになったの、リルカ」
突然ユハが住処にやってきたと思ったらそんなことを言われて、リルカは目を瞬いた。
「……なんでユハがそのことを知ってるの?」
思わず尋ね返すと、ユハは溜息をついて答えた。
「『古き神』の〈器〉が学院に招かれたって聞いてね、興味本位で特別講義を受講したんだ。そうしたら、『古き神』の〈器〉だって人に『ライラ……ということは、もしや、リルカ=ライラ殿のお知り合いか?』なんて訊かれるじゃないか。驚いたなんてものじゃなかったよ。……それで、一体いつの間に知り合ったの?」
「先日、道案内をして……」
「『古き神』を奉じる者同士って、引き合うようにでもなってるの?」
「そんなわけないじゃない」
「この広い都で、『古き神』に拝神してる奇特者同士が偶然に出会う確率を考えたら、そう言いたくもなるよ」
それについては否定できなかったので、リルカは沈黙した。
「随分リルカのことを気にかけてるみたいだったし……。『道案内しただけの関係』とは到底思えなかったけど?」
ユハの言葉に、一体エセルナートはどんな態度だったのかと思いつつ、リルカは正直に答える。
「その……話の流れで都を案内することになったりはしたけど……」
「……お人好し」
呆れたようにユハが言う。これもまた否定できなかったのでリルカは口を噤んだ。
「……まあ、理解はしたよ。どうせ『古き神』を奉じてるってことも話したんだろう」
「話の流れで……」
「どういう話の流れでそうなったのか疑問だけど、詮索はしないよ。……リルカが今以上に『古き神』に傾倒しないか心配といえば心配だけどね」
「……? ヴィシャス様の〈器〉と知り合ったからって、どうして私の信仰に変化があると思うの?」
そう言うと、ユハは少し目を見開いた。何か迷うそぶりをして、けれど結局口を開く。
「……今までリルカには『古い神』を信仰している同士がいなかっただろう。そこに同士が現れたら、感激とか連帯感とかで信仰を深めると考えるのは普通だと思うけど」
「私は別に、同士がいようがいまいが関係なく、ローディス様とユースリスティ様に拝神し続けるけど」
「一般的に考えて、の話だよ。僕の考え違いだったのはわかった」
ユハは肩をすくめた。
「ところで、オリヴェルさんはまた放浪の旅に出てるの?」
「そうよ。いつもの通り、いつ帰ってくるかはわからないけど……何か用事だった?」
「いや。人の気配がしなかったから確認しただけ」
オリヴェルというのは、リルカの住むこの家の持ち主である。
絵画も彫刻も音楽も何でもやる芸術家であり、インスピレーションを求めて諸国をふらふらすることの多い人物だ。リルカはオリヴェルがいる間は住み込みの家政婦のようなことをやり、諸国を放浪する間は留守を預かる者として雇われているのだった。「今時『古き神』を奉じてるなんて面白い」という理由で孤児院から引き抜かれたとも言う。
オリヴェルからは十分に生活していけるだけのお金は払われているのだが、孤児院への仕送りもあるし、働いていないとなんとなく据わりが悪くなる性質でもあるし、日々の糧は別に稼いでいるのだった。
いつオリヴェルの気まぐれで解雇されてもいいように――つまりはオリヴェルの家から出てもやっていけるだけの蓄えを貯めるためというのもある。ユハからは「心配性だね」などと言われたりするが。
「都を案内する日は決まった?」
「うん。ちょうど私の仕事も、エセルナートさんの『魔術学院』への出向もない日があって」
「いつなの?」
「明後日。……妙に探りを入れてくるけど、どうして?」
訊ねると、ユハは溜息をついた。
「リルカみたいな歳の子が、知り合って間もない人間と二人きりで行動することを聞いたら、仔細くらいは把握しようとするのが周りの人間としては普通だと思うよ」
「エセルナートさん相手にそういう心配をするもの?」
「リルカのその信頼がどこから来るのか疑問なんだけど。いくら『魔術学院』に特別に呼び寄せられたからって、その人の人間性が保証されるわけじゃないからね?」
「そんな理由で信頼してるんじゃないわ。……そっか、そういうのも伝わってないのね……」
「そういうのって?」
ユハが先を促すのに、リルカは少し躊躇いながら口を開く。
「……心根の卑しい人間には、神々が〈降りる〉ことがないの」
「……つまり、『古き神』の〈器〉の彼の心根は正しいってこと? それってどれくらい信憑性があるもの?」
(……やっぱり)
ユハとの感覚の相違を予想していたリルカは、心中で溜息をついた。
リルカの感覚では、それは疑うべくもないことだ。事実であり、常識だった。
けれどユハにはそれが伝わらない。神々が人間界に手出しをしなくなった影響をまざまざと感じる。
信憑性を問われると、何をもってそれを証明するかというのは、今の世では難しい。積み重なってきた事実を伝えるしかできないし、そもそもそれを自体を疑われる可能性もある。近代は神々の〈器〉の数自体も少ないので、例が少ないと言われてしまえばそれまでだ。
リルカにはユハを十分に説得できる方策が見つからなかった。なので、ユハの言の、間違いだけを指摘することにする。
「……信憑性って言われると、難しいわ。ただ一つ、訂正したいのだけど」
「うん?」
「『心根の卑しい人間には神々が〈降り〉ない』のであって、『心根の正しい人間に〈降りる〉』わけじゃないわ」
「……それは、同じように聞こえるけど、違うの?」
「いついかなる時も『心根の正しい』人間は希少でしょう? 誰だって、他人に後ろ暗い気持ちを抱いたりすることはあるわ。いつだって誰かを羨んで、憎んで、傷つけたいと考えているような人間に神々が〈降りる〉ことはないけれど、理由あって誰かを強く羨んだり、あるいは憎んだりするような人間に、神々が〈降りる〉ことはあるの。……微妙な違いと言えばそれまでだけれど……」
前世、国と国との戦乱の最中、神が〈降り〉、〈器〉となった人々には、国一つを滅ぼした例もあった。多くを殺した例も。
神々は基本的に人間の善悪に頓着しない。ただ、神が心地よく感じる人間性というのはそれぞれにあり、それは総じて、『心根の卑しい』とされる者以外となるのだ。
しかし、それを判断するのは神々である。それがどこまで人間社会での人間性を担保するかというのは、正直リルカも前世から疑問に思っていた。
(それに、私にも三千年の空白がある)
もしかしたら今の神々が〈降りる〉基準に、心根は関係なくなっているかもしれない。
……そう考えると、前世知識と感覚と、実際に会話を交わした心証でエセルナートを『安全』と判断した自分が少々うかつだったかもしれない。
「……なんか、ますます心配になってきたんだけど。僕もついて行こうかな……」
あの試験をどうにかずらしてもらえればなんとか、などと呟くユハに、自分の言い募った内容を振り返って、ユハがそう言うのも仕方ないと納得できてしまう。
できてしまうが、さすがにそれは、なんというか、あからさまにエセルナートを警戒していますよ! という感じなので、できれば避けたい。
「ユハもエセルナートさんとお話したんでしょう? そういう心配をしなくてはならない人に見えた?」
「見えなかった。だからといって、大丈夫だと確信できるほどの交流をしたわけじゃない。……僕はリルカが心配なんだ」
じっと、真剣な表情でユハがリルカを見る。リルカは居住まいをただした。
「リルカは魔術を使えない――使わない。女の子だから力も強くない。いざというときに場を切り抜けられるような力がないじゃないか」
「それは……そうだけど」
「それで、ほとんど初対面の剣士と、どこに行くかもしれない都案内をするってなったら、心配にもなるよ」
「…………」
ユハの言うことはもっともだ。自分の危機感が足りなかった、と思う気持ちと、けれどエセルナートにそういう警戒をしなくてもいいだろうと思ってしまう気持ちとがぶつかり合う。
最終的に勝ったのは、後者だった。けれど、ユハの気持ちを無碍にしてはならないのもわかっていた。
「……都の案内を辞退することはしないけど……」
「…………」
「有名な、なるべく人が多いところを案内するだけにするわ」
「……まあ、それが一番折り合いがつくところだね。僕の」
わかってて言ってるでしょう、とジト目で見遣るユハに、長い付き合いだもの、当然でしょう、とリルカは返したのだった。
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