10.そして出会う(2)


 リルカはばっと男の顔を振り仰いだ。

 血の気が引いたリルカに、男は「やはり実際に触るのは怖かったか?」などと見当違いの気遣いを向けて、剣をそっと取り上げた。

 男の気配を注意深く探る。そこに、ティル=リルのような違和感も、隠された神力もないように思えた。


(ヴィシャス様では、ない……)


 ほっと胸を撫でおろす。けれど今度はどうして剣に――そして男にも若干の神力が存在しているのかが問題になってくる。

 この問題を放置しては心の安寧が保てない。リルカは直接聞いてみることにした。


「あの……間違っていたら申し訳ないのですけど……【英雄神ヴィシャス】様を拝神していらっしゃったり……?」

「……! ああ、そうだが……なぜわかったんだ?」


 ここでヴィシャス様の神力が……とか言ったら間違いなく面倒なことになる。リルカは頭を働かせた。


「先日、『魔術学院』を見学した際に【英雄神ヴィシャス】様の〈器〉が確認されているという話を聞いて――剣士様が『魔術学院』に呼ばれたのなら、そういうことなのかと思ったのですが……」

「ああ、知り合いの講義を受けたのか。それとも別の講師だろうか? ……確かに、俺は現代には珍しい神の〈器〉となった事象が原因で、『シャーディーン魔術学院』に呼ばれることになった。……俺としては、本意ではないんだけどな」

「本意ではない、とは……」


 男は困ったように眉尻を下げた。


「【英雄神】の〈器〉になったことだ。俺はただ、剣の道を究めようとしていただけだったのに」

「そう……なのですか……」


 確かに、【英雄神ヴィシャス】の〈器〉の条件を考えれば、そういうこともあるだろう。基本的に神は人間の事情を斟酌しない。望もうが望まなかろうが条件を満たせば選ばれてしまう。


「すまない、神を奉じる者としてあるまじき発言だったな」

「いえ、私は敬虔な神徒ではないので……」

「? ということは、貴方も神に拝神している? このあたりの地域では拝神というのは廃れていると聞いていたが……」

「確かに、私も自分以外に拝神している人にはほとんど会ったことがありませんが……。私は【死と輪廻の神ローディス】様と【癒しの神ユースリスティ】様に拝神しております」

「なるほど、だからすぐに俺が拝神しているのではないかと思ったのか」


 そういうわけでもないが、リルカは曖昧に肯定しておいた。詳しい説明をする必要はない。


「ミズハの国でも拝神というのは主流ではなくなっている。こんなところで同士に会えるとは思わなかった。……貴方さえよければ、名を教えてもらえないだろうか? ――ああ、俺はエセルナート・ミェッカという」

「ミェッカさん……」

「エセルナートでいい。ちょっとあってな。家名には馴染みがないんだ」

「では、エセルナートさんと。……私はリルカ=ライラといいます」


 ミズハの国の出身にしては名前がこちらの大陸風だな、と思って、ああ今は前世と違うのだ、と気づく。

 ミズハの国は三千年の間に国を開き、異民族との婚姻を推奨して変わっていったと聞いている。名づけも変わってしまったのだろう。


「ライラ殿、と呼んでも?」

「ライラは孤児院の者共通の苗字なので、リルカと」

「そうだったか……すまない、リルカ殿」

「いいえ、この都に住んでいないとわからないことですから、お気になさらず」


 微笑みながら、リルカは心中でひとりごちる。


(それにしても、妙なことになってしまった気がする……)


 ただ道案内をしただけなのに、妙に親愛を持たれ始めている気がする。遠い異国での神を奉じる同士というのが琴線に触れてしまったのだろうか。


「俺はしばらくこの宿に滞在して、『魔術学院』に出向することになっている。もし機会があれば、また会ってもらえないだろうか?」

「剣士様が楽しめるような話などできませんが……」

「俺の知り合いは多忙でな。都の案内なんて暇はないと言われてしまった。だが、せっかくだから現地の人に案内してもらって都を見てみたいと思っていたんだ」


 そう言われては、都に住む者としての意識が断るのも悪い気にさせてくる。


「私も仕事がありますので、都合が合えばでよろしければ……」

「! ありがとう! 滞在する楽しみが増えた」


 喜ぶエセルナートに連絡先を教える。エセルナートはしばらくこの宿に滞在するとのことなので連絡は容易だろう。この宿は宿泊者向けの連絡魔術具も置いているはずだ。

 赤く染まり始めた空を見上げて、エセルナートが申し訳なさそうな顔をした。


「引き留めてしまってすまなかった。気を付けて帰ってくれ」

「いいえ。エセルナートさんも、宿でゆっくり旅の疲れをとってください」

「ああ。今日は本当にありがとう。またよろしく頼む」


 会釈を交わして、リルカはエセルナートに背を向けて歩き出した。

 ここから家はそう遠くない。暗くなる前に帰り着けるだろう。


 ――と、突然声が降ってきた。


(『リルカ』)


 完全なる超常現象だ。しかし、かつて覚えのある頭がふわふわする感覚に、リルカはすぐに事態を把握した。


(ローディス様?!)


 そう、声の主は【死と輪廻の神ローディス】だった。前世と今世の初めに聞いただけの声だが、聞き間違えるはずがない。

 深みのある穏やかな声が、心配する響きをもって紡がれた。


(先程の男は、ヴィシャスの最新の〈器〉だ)

(存じております)

(……あまり、付き合うのは勧めない。ヴィシャスが貴女に気付くかもしれない)

(降臨の場に立ち会わなければ大丈夫かと思ったのですが……いえ、それ以前に、ヴィシャス様はまだ私のことを?)


 てっきりもう諦めたのだと思っていた。正確には、ヴィシャスは熱しやすく冷めやすい性格だとされているので、リルカを――『アイシア』を追い求めるのに飽きたのかと。


(わからない。私はヴィシャスと交流がないからな。だが、私の神格を落とすほどに執着していた貴女を、そう簡単に諦めるとは思えない)

(その節は大変ご迷惑を……)

(貴女のせいではない。私がうまく立ち回ればよかっただけの話だ)

(ローディス様……)


 これだからリルカはローディスへの畏敬の念をますます高めてしまう。


(とにかく、気を付けるように。……貴女は平穏な日々を願っているようだから)


 それを最後に、ローディスの声は止んだ。特有の、頭がふわふわする感覚も消える。


(ローディス様が警告してくるほどだなんて……約束、早まったかしら……)


 そう思っても後の祭りである。

 まあ、案内するだけだし、とリルカは前向きに考えることにした。……前向きに考えるしかなかったともいう。



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