9.そして出会う(1)
『魔術学院』の見学から数日。リルカは平穏な日々を過ごしていた。
ユハもとりあえず見学をさせたことで気が済んだのか、それともまた機を窺っているのか、勧誘はなりを潜めている。約束通り、図書館で読みかけていた本を一部写本したものももらえて、リルカはそれだけで一日付き合った甲斐はあったと思った。現金にもほどがあると自分でも思うが。
リルカはおおむね知り合いから依頼を受けて日々の糧を稼いでいるのだが、今日は子守りの仕事だった。馴染みのお姉さん家のやんちゃな五歳児と大人しい三歳児の面倒を見るのはもう幾度目かになるので慣れたものだ。ついでに五歳児の方にちょっとばかり文字と計算を教えておいてほしいと言われていたので今日は簡単な教材も作って持っていった。三歳児の方も興味津々だったので、一緒に教えてみた。今理解できなくても、知的好奇心を満たし、育てることが重要なのだと思っているので。
――転機は、その帰り道に訪れた。
「すまない、道を尋ねたいのだが」
その人は一見して剣士だとわかる姿をしていた。精悍な容貌の男の人だ。青年、と呼ぶには雰囲気が似合わない。もう少し年上かもしれない。このあたりには珍しい、わずかに緑がかった暗い青の髪色をしている。
シャーディーンに剣士はあまりいないため、観光で来た人かな、と思いつつ、リルカは笑顔で応対した。
「どちらに行かれたいんですか?」
「『シャーディーン国立魔術学院』の傍の宿に予約をとってあると言われたんだが、それがどこかわからなくてな……」
「『魔術学院』の傍の宿……っていうとあそこかしら。合ってるかはわかりませんが、案内しますね」
「いや、そんな。道を教えてくれるだけでいい」
「口だけで説明するにはここからだとちょっと遠いので。……観光でいらしたんですか?」
その人は申し訳なさそうな顔をしたが、それ以上固辞はしなかった。
リルカの問いに、少し難しい顔になる。
「観光というか、知り合いに呼ばれて……。だが、『シャーディーン魔術学院』に呼ばれたのだから、観光のようなものか」
「『魔術学院』に? ……ええと、剣士の方とお見受けしましたが、魔術も堪能なのですか?」
「いや、俺は魔術はほとんど使わない。その……俺に起こったある事象を研究したいと言われてな……」
男が言葉を濁したので、リルカはそれ以上つっこんでは聞かないことにした。世間話の一環なので、さっさと次の話題に移る。
「先日、私も『魔術学院』を見学しましたが、建物だけでも一見の価値があると思いました。ぜひ、ご用事のないときに散策してみてください」
「見学……というと、貴方は『シャーディーン魔術学院』の生徒ではない、が、誘われてはいる?」
「そうですね。そういうことになります」
「貴方が入学するんだったら、また会うこともあるかもしれないな」
リルカは曖昧に微笑んだ。ここで「いえ入る予定は微塵もありませんので」と言って理由まで聞かれると、ちょっとややこしいなと思ったからだった。
「あ、ここを曲がります。……どちらからいらしたのか、お聞きしても?」
「ああ、ありがとう。……隠すようなことでもないしな。東のミズハの国からだ」
「ミズハの……それでは、旅路は大変だったのではないですか?」
ミズハの国と言うのは、極東にある島国の名前だ。シャーディーンからは海路か魔術による転移でしか渡れない。だからこそのリルカの言に、男は首を横に振った。
「知り合いがかけあってくれて、魔術の転移でこちらの国境までは来れた。入国審査があるからそれ以上は使えなかったが……」
なるほど、それならば長い旅路というわけではなかったのだろう。これから宿に行く旅人にしては軽装なはずだ。
「それはよかったです。海路で来ようとすると大変だと聞きますから……」
「海路は天気に左右されるからな。個人的に船が苦手だから、有難かった」
「船、苦手なんですか?」
「あの地面が揺れる感じがどうしても慣れなくてな……」
リルカは今世では船に乗ったことはないが、前世ではある。たしかにあの独特の感覚は、慣れる人間と慣れない人間にはっきりとわかれる代物だった。
「ちょっとわかります。地面がゆらゆらするのって、どうにも慣れませんよね」
「それに、俺は一応剣士だからな。十全に戦えない環境がどうにも。船は感覚が狂う」
男は溜息をついた。リルカは男の腰に帯びられた剣を見る。
「シャーディーンには剣士の方が少ないのですが、剣士の方はいつでも剣を帯びてらっしゃるのですか? 寝る時も?」
「寝る時はさすがに外すが、枕元に置くな。すぐに使えるように。貴方は剣士に興味があるのか?」
「興味……と言っていいものか迷うのですが……。伝聞や物語の中でしか知らないので、気になって」
これは半分本当、半分嘘である。
リルカは確かに剣士を伝聞や物語でしか知らないが、『アイシア』の頃は共に戦う仲間だった。ただ、今世の『剣士』という人間はどんなものなのかわからないので、いい機会であることだし聞いてみたのだった。
「確かにこの国では剣士は物珍しいらしいな。興味の視線で見られることが多い」
「ご不快に思われたのなら申し訳ありません」
「いや、俺も魔術国が珍しくてじろじろ見てしまったりしたしな。この国は本当に魔術が盛んだ。小さい子供まで、その辺で魔術を使って遊んでいるのを見て驚いた」
「他の国では、もう少し魔術の取り扱いが厳しいといいますものね」
少なくとも年齢制限を設けていたりするという。シャーディーンにはそういうことがない。教えられ、使えるようになればあとは自己責任の範疇で好きに扱える。もちろん、『魔術学院』で教えられるような等級の高い魔術は別だが。
「あ、見えてきました。……たぶん、あそこのことだと思うんですけど」
ここは首都であるので宿屋は多い。言い振りからして『魔術学院』に一番近い宿だろうと見当をつけたのだが――それに、『予約』が可能な宿はかなり絞られる――果たして。
「……なんか豪華じゃないか?」
「この街で一、二を争う宿なので……。予約をとったという方からは何もお聞きでないんですか?」
「滞在費は払うから気にせず泊まれ、とは言われたが……そういう意味だったのか……?」
「というか、その予約をとった方とあなたを呼んだという方が同じ方でしたら、迎えに来てもらったりとかは……?」
「その予定だったんだが、急用が入ったとか言われて直前で無しになってな。だからこそろくに説明も聞けなかったんだが」
「そうだったんですか……」
それはご苦労様である。
宿の前について、男は「少し待ってもらっていていいか」と中へ入って行った。リルカも、もしここが違っていたら別の宿を案内しようと思っていたので言われた通りに待つ。
「ありがとう。合っていたようだ。俺の名前で予約が入っていた」
出てきた男が笑顔でそう言ったので、リルカも笑顔になる。
「それならよかったです。どうぞ、ゆっくり休んで、この都を楽しんでください」
それでは、とそのまま別れようとしたリルカの肩を、男がはっしと掴んだ。
「? どうしました?」
「お礼を、」
「そんなこと、ただ案内しただけなんですからいいんですよ。街に住む者の、旅人の方に対する義務です」
「そうは言っても……」
「……。それじゃあ、剣を見せてもらえませんか?」
とても使い込まれた、とてもいい品だというのは鞘におさまった状態でも察せられた。
リルカは剣に造詣が深くないが、良い品を見るのは好きだ。知的好奇心が強いのかもしれないし、美しいものが好きなだけかもしれない。
「剣を?」
「はい。とても良い品だとお見受けしたので、気になって」
「そんなことでよければ……」
と、男が剣を引き抜く。すらりと抜かれたそれは、美しい刃の輝きをリルカに見せてくれた。
手入れも丁寧にされているのだろう。刃こぼれもない。冴え冴えとうつくしい。
ほう……と見入ったリルカに何を思ったか、男は「持ってみるか?」と言った。
「え、いいのですか?」
「貴方のような女性には重いだろうが……もっと近くで見たいかと思って」
見たいか見たくないかで言えば、見たい。他人が持ったままの刃を近くで見るのには勇気がいる。それに対しての気遣いも感じ取って、リルカはありがたくお言葉に甘えることにした。
――しなければよかった、と思ったのは、その直後だった。
男がそっと柄をリルカに向け、剣を手渡してくれた。それはいい。支えるように刃の部分を熟練の手つきで持ってくれたのもいい。
問題は、触れた瞬間にどうしようもなくわかってしまった事実だった。
(この剣、神力を帯びてる……!)
それもなんだか前世でちょっと馴染みがあるというか、そうなりたくはなかったというか、そんな神力だった。――つまり、【英雄神ヴィシャス】の神力だった。
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