6.『アイシア』(1)


 リルカの前世――『アイシア』の祖国は、隣国と戦争をしていた。

 当時、戦争をしていない国の方が少ないくらいだった。そもそもの発端は何だったか――それすらもみな忘れるほどに、長く戦争をしていた。

 そんな中、アイシアは【癒しの神ユースリスティ】を主神とし、癒しの神術を得、前線の兵士を癒す役に従事していた。

 【癒しの神ユースリスティ】を主神と崇めている場合は、強力な癒しの力を使えるため、戦争への召集義務があった。アイシアはそれを承知で【癒しの神ユースリスティ】を主神に――それも唯一として――選んだのだ。


 アイシアは戦災孤児だった。戦災孤児なんてありふれていたけれど、家族すべてを奪った戦争に対して思うところがあったからこそ、戦争に従事することにした。少しでも自分のような境遇に陥る人を減らしたかった。

 それには癒しの力が絶対に必要だった。アイシアは人を傷つけて戦争を終わらせたいのではなく、少しでも傷つく人を減らして戦争が終わるまでをしのぎたかった。

 【癒しの神ユースリスティ】を主神として唯一崇めている場合、広範囲の癒しの神術と、瀕死の状態からでも一命を取り留めるだけの強さの癒しが使えるようになる。もちろん、無尽蔵にではない。捧げる魔力に見合った回数しかそれは扱えないし、癒しを受ける本人たちの気力や体力の問題もあった。


 ともあれ、アイシアは前線にいつでもいる、貴重な癒し手であったのには違いない。

 ふつう、癒し手は後方で待機している。しかしアイシアは、それでは間に合わない重傷者が出た時のために、できるだけ前線にいるようにしていた。戦いには巻き込まれないように注意しながらだが。


 そうしてある日――それに立ち会ってしまったのだ。

 【英雄神ヴィシャス】が、〈器〉へ降臨する場に。


 それはまったく、不幸な偶然というしかなかった。

 いつもならそこまでは近づかない激戦区に、重傷者が出たとしてアイシアが呼ばれた。その癒し自体は問題なく済んだ。

 問題は――その重傷者の親友だったという男が、親友の負傷をきっかけに、鬼神のごとき働きで敵を切り捨てており――それが英雄神の〈器〉の条件に合致したことだった。

 まさに一騎当千。そう思えるほどの働きを前にした敵も味方も、その男に恐怖を見た。希望を見た。その剣技は神にさえ匹敵すると、そう感じた。


 ――だから、神が降りたのだ。

 剣の一振りで地面を割き、その一突きは大岩をも砕くという、神が。


 カッと、天から光が落ちてきたのは覚えている。

 あまりの眩しさに反射的に目を瞑り、誰か雷の神術が使えるものがいたのだろうかとそう考えながら目を開いて――。

 奇跡を、見た。

 敵が一人残らず倒れていた。戦っていた相手が一瞬のうちに地に伏していて戸惑う自軍の者たちがいた。

 その中、ただひとり剣を振りきった体勢でいた男が、姿勢を正し――そして、アイシアと目を合わせた。

 ありふれた茶髪だったはずの髪は輝かしい金髪に、そして瞳の色は血のような赤に変化している。〈器〉に神が降りたとき特有の現象だ。降りた神の色彩が、〈器〉に反映される。


「……前線に、女。しかも戦う者ではないな。癒しの神の眷属か」


 剣をおさめ、男は悠々とアイシアへと近づいてきた。


「なぜこんな前線にいる」

「……必要だと、言われたから」


 答えが返るのが当たり前だと思っている――思っているというレベルではなく、それが彼の常識なのだとわかったから、リルカは震える唇で答えた。 


「必要とされればおまえは死地へも赴くのか?」

「そのために、癒しの力を得たのだもの」

「――ふっ、ははっ! いい目をしている。おまえもまた、武力ではない手段で戦う者か。……気に入った」


 アイシアは目を瞬いた。やっと男の発する威圧に体が慣れてきたところだったので、油断していた。


「おれはヴィシャス。おまえらが戦神と、英雄神と呼ぶモノ。――女、名前は」

「あ、……アイシア・メルヴィ。……英雄神、様?」

「そうだ。――おまえ、おれの妻になれ」


 アイシアは一瞬何を言われたかわからなかった。一拍の間を置いて、内容を理解し、絶句する。


「私は、ただの人間です……!」

「愛の神もよく人間を召し上げる。おれが召し上げてはならないという道理はないだろう」

「私はこの地で人を癒して生きていきたいのです!」

「おれの目に留まったのが運の尽きだ。諦めておれのものになれ」


 ぐいっと腕を引っ張られて、唇すら触れそうな距離で、男は――英雄神はにやりと笑った。


「予定外の降臨だったが、いい拾い物をした。行くぞ、『アイシア』」


 途端、アイシアの体から抵抗の力がふっと消え去る。


(言霊……!)


 名はそれだけで力を持つ。神に問われて名を告げた。名を与えてしまった。

 もはやアイシアの体は自分の思い通りにはならなくなっていた。


「は、い……。英雄神、様……」

「ヴィシャスでいい。おまえはおれの妻になるのだから」

「はい……ヴィシャス様……」

「いい子だ」


 自分の意思に反して、アイシアの体は従順にヴィシャスに身を寄せた。

 それに満足げに笑ったヴィシャスは、アイシアの肩を抱き、その身から神力を立ち昇らせる。

 それによって界と界が繋がれたのだと理解したのが最後。

 アイシアは、神力にあてられて気を失った。



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