5.『魔術学院』からの帰り道(2)


「講義で聞いたでしょ? ヴィシャスの〈器〉の話」

「何でもお見通しですね……」

「神だからね。驚いた?」

「ええ、すごく驚きました。ヴィシャス様への信仰はそれほどまでに残っているんですね」


 ティル=リルはおかしそうに笑った。


「ローディスに比べて違いすぎるー、って?」

「……その気持ちもなくはないですが」

「ローディスについては仕方ないね。君も知っての通り神格が一度落ちたんだ。元々影の薄い神だし。君のおかげでだいぶ力も戻ってきてるみたいだけど」

「それは……よかったです」

「でも神格が落ちたのも元はと言えば君のせいだよね」


 グサッときた。事実だけれど、改めて指摘されると痛い。

 悄然とするリルカに、ティル=リルは笑みを深める。


「ま、君のせいっていうのはちょっと言いすぎか。君がきっかけになったのは確かだけど」


 ヴィシャスも困ったものだよねぇ、とティル=リルは続けた。


「ちょっといろいろ邪魔されたからって神格落とすまで喧嘩するなんてさ。大人げないよね」

「それを煽ったのはティル=リル様でしたよね?」

「だってその方が面白そうだったから、ね?」


 てへ、とかわいらしく舌を出す姿には騙されない。ティル=リルはすべての基準を『面白いか面白くないか』で判断する、倫理観なんて微塵もない神なのだ。神に倫理観なんて求めるなと言われたらそれまでではあるが。

 そして、【死と輪廻の神ローディス】がこれほどまでに現世で忘れられ、影が薄くなっている原因の一端を担っている。……それはリルカにも当てはまるのがつらいところだが。


「……ローディス様は、お元気ですか?」

「元気だよ。きみのこと心配してた。無理してるんじゃないかって。ユースリスティもね」

「ローディス様やユースリスティ様にお変わりがないのならいいんです」

「本当、奇特だねぇ。毎日ギリギリまで捧げてるんでしょ、魔力」

「私には、それくらいしかできませんから」

「いっそ神子になっちゃえばいいのに。そうしたらいつでもローディスと話せるよ? ローディスも、言わないけどそう思ってると思うけどな」


 とても簡単なことのようにティル=リルが言うのに、リルカは慌てて首を振った。


「私なんかが神子様になんて、恐れ多い……」

「昔ほど難易度高い立場でもないよ、神子は。そもそも主神として崇めてる人間が少ないから、いけるいける」


 『神子』とは特に神に近しく、神のお言葉を授かれる者のことだ。

 ティル=リルはこう言うが、『神子』とはそう簡単になれる立場ではない。三千年前はその神を主神として崇める中でも特に魔力の質が良く、そして多くを捧げることのできる人間が神子となることが多かったし、現在の神子はその神を崇める宗教の総本山に在る者から選ばれる――ということになっているらしい。

 ローディスを祀る宗教の総本山は、同じ大陸にあることはあるが、とても遠い。そしてリルカは同士と共にローディスを崇めたいわけではないし、神子になりたいとも思っていない。ただただ、ローディスとユースリスティに拝神する日々を送れればいいのだ。


「いいんです、私は。ローディス様とユースリスティ様に拝神できればそれだけで」

「転生するのにお世話になったから? それだったらぼくにもちょっとくらい魔力くれたっていいと思うんだけどな」

「拝神できるのは二柱だけなんですよ」

「そのシステム、今となっては何の得があるんだって感じだよねー。一応『客神』って抜け道があるけど、無条件で魔力捧げられるのは二柱だけってさぁ」


 『客神』というのは、主神と副神以外の神の力を借りたいというときに、一時的に力を借りる際の神の呼び名だ。リルカは主神と副神にローディスとユースリスティをいただいているので、それ以外の神に祈る場合は客神としてになる。

 客神との関係はいわばギブアンドテイクの関係だ。魔力を捧げた分だけ、少しの神術を扱えるようになったり、わずかな加護が得られたりする。それも大きな術は使えないし、加護だって『気の持ちよう』よりはマシ、というレベルだ。それ以上を求めるのなら主神や副神とするしかない。


 今世のリルカは神術を目的に魔力を捧げることはないので、客神に力を借りることもない。だからティル=リルに魔力を捧げることもない。それは申し訳なく思っているけれど――しかし諸々の事柄から少しだけだ――そもそもティル=リルを客神として得られる神術も加護も、基本使いどころがないものなので、客神とする理由もないのだった。

 それはティル=リルもよくわかっている。本神様で在られるので。そのうえでリルカにあてこすってくるのは、実はいつものことだった。


 曖昧な笑みで躱すと、それ以上ティル=リルも言い募っては来なかった。

 ただ、浮かべられた笑みが意味ありげなものになって、リルカはぎくりとした。


「でもぼくはきみを気に入ってるからね。きみの運命が転がっていくのを、これからも楽しく見守らせてもらうよ?」


 『いえ結構です』と言えればどんなにいいか、とリルカは思った。

 この場合の『見守る』は『見守る(手を出さないとは言っていない)』なのは、前世でよくわかっている。

 わかっているけれど、人が神に何を言えようか。

 だからリルカは、彼の神と出会ったときはいつも伝えることを、また伝えるだけだった。


「私は平凡に生きて死ぬ予定なので、ティル=リル様の興味にそぐう何かが起こるとは思いませんが――見守っていただけるのはありがたく思います」

「ふふ、本当は見守るのもやめてほしいくせに。でもまあそういうところが好きだよ」


 『好きだよ』の一言にすら言霊が宿る。その意識がティル=リルには足りないとリルカは常々思っていたりする。その言葉が、リルカの運命を少しずつ変えていくような感覚がするからだ。……けれどたぶん、ティル=リルはわかっていて口にしているのだろうとも思う。彼はそういう神だ。


 リルカは懸命に「……ありがとうございます」とだけ告げたのだった。



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