3.『魔術学院』見学(2)
「リルカ、行くよ」
「あっ待ってユハ、このページ、このページだけ……」
「さっきもそう言って1ページ読んだだろ。もうダメ」
ひょい、と手の中の本を取り上げられて、リルカは悲嘆にくれた。
すごくいいところだったのだ。さっと読むつもりだったのに、初めて知る神の逸話が面白くて夢中になって読んでしまった。……ゆえに、ユハに本を取り上げられる羽目になったのだが。
「そんなもの欲しそうな顔しない。……この章の区切りまでだったら、許可もらって写本してあげるから」
「えっ……いいの!?」
「その代わり、ちゃんと見学して行って。気もそぞろにされたんじゃ意味がない」
リルカは飛び上がって喜びたくなった。ユハは本当に優しい。
「ありがとう、ユハ!」
「……。うん、どういたしまして。さ、行くよ。休憩時間だから講義棟に入れる」
「あ、でも魔術書は?」
「魔術『書』が見たいのはリルカであって、僕は普通にリルカを見学させたい」
そう言われてしまうと、魔術書は諦めざるを得ない。確かに『魔術学院』に来て、図書館にこもっていてはあまり意味がないだろう。一応これは、スカウトの一環なわけなので。
元来た道を戻って、講義棟に向かう。リルカに微笑みかけた美しい人は、もう見た場所にはいなかった。
(あの耳飾り、もう一度見たかったんだけど……)
いないものは仕方ないので、リルカは大人しくユハの後についていった。
そうして辿り着いた講義棟で、ユハはまずリルカを講義室の一つに案内した。授業の後そのまま休憩に入ったらしき生徒がちらほらいる。
「ここが学院の中で一番広い講義室。魔術学の中でも学ぶ人が多い講義の時に使われる」
「ここが一番広いの? なんていうか、思ったより……小さくないかしら」
小さい、と言っても50人程度は入れそうな講義室である。しかし、『魔術学院』そのものの規模からすると小さく感じる。
「多すぎると全体が把握しにくくなるから、上限を設けてるんだって聞いた。簡単な魔術だったらこの講義室で魔術を発動させることもあるし。四大属性の授業で使われることが多いみたいだね」
四大属性とは『火』『水』『風』『土』の四つの属性を指す。人々が最も扱いやすい――誰でもどの属性かには適性があるとされるのがこの四つなのだ。ちなみにユハは全属性に適性があるという。四属性すべてに適性があるのは希少とまではいかないが珍しくはあり、全属性を扱えるということはすなわち才能があるということである。
「ユハもここで授業を受けたことがあるの?」
「あるよ。最初の一ヶ月だけだけど。そこからは四大属性は中級魔術にうつったから、人数が減ってここは使わなくなった。だから入るのは久しぶり」
魔術は基本、難易度と規模で初級・中級・上級に分けられる。『魔術学院』に通わない人々が教わることができるのは初級だけで、中級以降は『魔術学院』で学ばなければ扱えない。
入学までに学ぶ初級魔術も人それぞれなので、最初はみんなおさらいを兼ねて初級魔術の授業を受けることになるのだ、とユハが以前言っていたのを思い出す。ユハはそれを一ヶ月で終えたということで――本人は言わないが、恐らくは早い方なのではないだろうか。
「僕がよく使う講義室はこっち」
言って、別の講義室へと向かうユハ。と、そこで親しげにユハに声をかける人があった。
「よう、ライラ。それが例の幼馴染か?」
「……ヴァリス」
ヴァリスと呼ばれたその人は、年齢にしては若干小柄なユハより頭一つ分は背の高い、快活な笑みを浮かべた青年だった。夕焼けの空のような朱色の髪が目を惹く。
目が合って、リルカはとりあえず頭を下げた。
「僕は今忙しいんだけど」
「っつっても、学院の案内だろ? ちょっと話すくらいの暇はあるだろ。……へえ、これが、ねえ」
意味ありげに見られて、いったいユハはどんなふうに自分のことを話しているのだろうと気になってくるリルカ。
ユハは仕方ないとばかりに溜息をついて、ヴァリスを手のひらで指し示し、紹介してくれた。
「ラッセ=ヴァリス。僕の一期上の……一応先輩」
「こら、一応ってなんだ、一応って。あんなに世話焼いてやったのに恩知らずなやつだな」
「君が勝手にしたことだろう。僕は頼んでない」
「まーそりゃそうだけどさぁ」
言いながらも、ヴァリスは笑っていた。その様子に、いつものやり取りなのかもしれない、とリルカは思う。
「――で、一応紹介しておくけど、僕の幼馴染のリルカ=ライラ。今日は学院の見学に来てる」
「つまり、お前が口説き落としたわけだ。……お噂はかねがね。ラッセ=ヴァリスだ。よろしく」
手を差し出されて、リルカも差し出す。力強く握られて、ユハとは違う固く大きな手にリルカはちょっとどぎまぎした。何せ身近に接する男性が、ユハと老齢の孤児院長くらいなので免疫がないのだ。
「リルカ=ライラです。よろしく……することがあるかはわかりませんが、よろしくお願いします」
「おっと、その言い方、やっぱまだ乗り気じゃないんだな? 聞いた通りの頑なさだ」
「……ユハ、一体何を話してるの」
ユハをジト目で見遣ると、ユハは肩を竦めた。
「魔術の適性があるのに『古き神』に傾倒して魔力を捧げ続けている幼馴染をスカウトしようと思ってる、って話しただけだよ」
「信仰は個人の自由でしょう」
「それはそうだけどね。このご時世に、自分で使える魔力を根こそぎ神に捧げてる人間なんて神子くらいのものだよ。でもリルカは神子になるつもりがあるわけでもなさそうだし、それなら『普通』くらいには魔術を使えるようになってもいいのに、どうしてそこまで頑なかな」
ここでまさか『前世の記憶があるからです』と答えるわけにもいかない。頭の心配をされるのが目に見えている。
「魔術がなくても不便を感じないんだもの。別にいいでしょう」
「それがもったいないと思うって、僕は何度も言っていると思うけど」
そう、堂々巡りなのだ。お互いの意見がどうあがいても平行線なので、相容れるはずもない。
だからこそ、それを断ち切るためにリルカは見学の話に乗ったのだ。
「仲がいいのも、二人の主張が相容れないのもよくわかった。……でも、ま、今日のところは見学していくんだろ?」
問われ、リルカは頷く。図書館ではちょっと我を忘れたが、きちんと見学をしたうえで断るつもりで来たのだ。そうでないとユハだってあきらめてくれないだろう。
「『古き神』とかがお好みなら、オススメの講義があるぜ。ちょうど次から始まるやつ」
「オススメ?」
「そう、オススメ。『神々と〈器〉』って特別講義があってな。まあ、現役で信仰してる人間には知ってて当然の内容をやるだけかもしれないけど。どうだ?」
(『神々と〈器〉』――って、あの〈器〉のことかしら?)
考え込んだリルカに興味を抱いたと判断したのだろう、「まあ、何事も経験だ、行こうぜ」とヴァリスはユハとリルカの背を押して近くの講義室へと押し込んだのだった。
見学者が講義に参加して大丈夫なのかと聞いてみたところ、それは問題ないとユハは言った。何か1つ以上の講義に参加させることも決まりのうちであるらしい。
そういうわけで、リルカは『神々と〈器〉』の授業を聴講することになった。ユハも同じくだ。元々授業をとっていたわけではないため単位にはならないというが、特に気にしていないようだった。
本来は本職の研究者が講義を行う予定だったが、その研究者が親しい講師に講義を資料と共に丸投げしたらしく、その愚痴などが挟まれながら、講義が進んでいく。
生徒たちは慣れているらしく、その講師が講義を行うことに対して抗議などする様子はなかったので、リルカは内心それでいいのかとつっこみを入れたくなった。本職は研究者であるとはいえ、講義も仕事なのではないだろうか。
本来講師を務めるはずだった研究者の名前はリルカも知っている。そもそも、現代で『古き神』を研究している人間が少ないからだ。いろいろ逸話を持っている人なので、講義を丸投げしたと聞いても、ありえそうだと思ってしまうのが問題だった。
「――と、いうわけで、神々というのは〈器〉と呼ばれる適性のある人間に〈降りる〉ことがあるとわかっています。古代ではそれほど珍しくなかったようですが、現代で確認されているのは、【英雄神ヴィシャス】と――」
講師の説明の中に予想外の名前が出てきたのに、思わず肩が跳ねる。訝しげにユハがリルカを見た。それに何でもないと首を振って返して、リルカは心中で溜息をついた。
(さっき、思考から追い払ったばかりだったのに……)
【英雄神ヴィシャス】。それこそがリルカの――正確にはアイシアだったころの『できれば忘れていたい思い出』に付随する神の名前だった。
(……って、〈器〉が確認されてるの!? ヴィシャス様の?!)
〈器〉とは神が神のまま人間界に降りるのではなく、人間を依り代として降りるときの人間を指す言葉である。〈器〉となるためには、適性があるかどうかも重要だが、神によって様々な条件が存在することも多々あった。
【英雄神ヴィシャス】の〈器〉となる条件は、英雄神を主神として唯一崇めている、且つ、その戦闘力が神にも届くと信仰されることだ。
この場合の信仰は、神々に対するようなものではなく、『そう多くの人に信じられるほどの技量を持つ』という意味合いである。
(確かに、ヴィシャス様は他の神々より現代でも存在を残しているとは思っていたけど……まさか〈器〉が現れるほどだなんて)
【英雄神ヴィシャス】は、戦神である。戦乱の時代に特に重宝される神で、武人として至高に登りつめた人物が〈器〉の資格を得て、戦において英雄神を降臨させ、奇跡を起こす――そういった形で歴史にも現れている。よって、他の『古き神々』に比べて、近代まで人間界に痕跡が残っているのだ。
(そんな機会、巡ってこないとは思うけど……絶対、関わらないようにしないと)
リルカはそう固く心に決めたのだった。
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