2.『魔術学院』見学(1)



 視界に広がる本の群れを見て、リルカはほう、と恍惚の溜息をついた。横からユハに若干呆れた視線を向けられているが、気にならない。本好きの思い描く至高の楽園に勝るとも劣らない場所を訪れた感動がリルカを満たしていた。


 『魔術学院』の図書館は円形をした建物で、どうやら階ごとに書物の分類をしているようだった。案内板には1階から3階が魔術関連本、4階からがそれ以外の本、地下に閉架書庫があると書かれていた。


「ここにあるのはすべて本の形をしたものなの?」

「巻物とか石板はないのかってこと? 閉架書庫にあるらしいよ。僕は借りたことはないけど。手続きがすごく煩雑らしいし、必要になるのはもっと上の学年だから」


 ユハの言葉に胸を高鳴らせる。本の形をしたものももちろん好きだが、リルカはそうなる前の書物も好きだった。というか馴染みがあった。前世では石板が通常だったので。


「『古き神』にまつわる本はあるかしら……宗教……土着伝承の方かしら? どちらにせよ4階ね。行ってみましょう、ユハ」

「ぶれないね、リルカは。一応僕は『魔術学院』に君を誘うために連れてきたんだってことを忘れないでほしいんだけど」

「忘れてはいないわ。『古き神』に関する書物を確認したら、魔術書も見てみたいし……本格的な魔術が記された本は市井に出回っていないもの。興味があるわ」

「……まあ、いいよ。4階だね。魔導昇降機で行こう。こっちだよ」


 なんだかんだとリルカの要望を汲み取って、親切に案内してくれるユハに感謝しつつついていく。と、閲覧スペースに座っていた人がふと顔を上げ、リルカに微笑みかけた。リルカも反射で微笑みを返す。


(綺麗な人だわ……。でもあの耳飾り、どこかで……)


 美しい人だった。男なのか女なのか、一見しただけではわからない容貌で、銀の髪をゆるく結って、肩に流している。その左耳に装飾の施された板状の耳飾りが光っていて、それがリルカの心に残った。どこかで見たような気がするけれど思い出せない。


「リルカ?」


 考えるうちに歩みが少し遅れてしまっていたらしい。離れてしまったユハが怪訝そうにリルカを呼ぶのに、慌てて足早に駆け寄る。魔導昇降機で上階へ向かいながら仕組みを聞くうちに、胸にひっかかった疑問についてはどこかへ消えていた。


* * *


「ああ……! 神々についての書物がこんなに! こっちには挿絵まで……これは逸話を集めたものね! ああ、懐かしい……」

「懐かしい?」

「ねえ、ユハ。これって外部者は借りられないのよね。ここで読んでしまってもいいかしら」

「ダメって言ってもここから離れなさそうだからね……。いいけど、ただし3冊までだよ。昼からはちゃんと見学させるから」

「3冊も!? ありがとう、ユハ! あなたって、本当にいい幼馴染だわ!」

「だから、その笑顔はもっと別のところで向けてほしいところなんだけど……。あ、分厚いのをじっくり隅々まで読むなら1冊にして。リルカは読むの速い方だけど、さすがに僕もそこまで付き合って待てないから」

「……とても残念だけど、わかったわ。これとこれと、……これはさっと読むだけにする」

「そうも消沈されると良心が疼くな……」

「じゃあ、じっくり読んでもいい?」

「ダメ」


 そんなやりとりを経て、リルカは神々について書かれた文献を読み始めた。ちなみに会話はきちんと小声で行っている。

 ユハも何冊か本をとってきて、リルカの横で読むことにしたらしかった。気配を感じつつ、リルカはまず1冊目に目を通す。


 1冊目に選んだのは、挿絵つきで各地で祀られる神々についてをまとめた書物だった。

 置いてある中で一番新しそうなものがこれだったのだ。挿絵に色もついており、目にも楽しい。


(ええと、【死と輪廻の神ローディス】様についての記述は……これだけしかないの……)


 挿絵を含めてもページの片面のみだ。権能については書かれているが、エピソードについては省略されている。リルカはあまりの扱いに悲しくなった。


(新しい書物のようだから、三千年の間に生まれた新しい神々についてが多いのね……。【癒しの神ユースリスティ】様については……ああ、よかった。見開きでページがとってあるわ)


 【癒しの神ユースリスティ】―-リルカが拝神しているもう一柱の神。

 拝神というのは、三千年前には当たり前だった神への信仰の形態であり、最大でも主神と副神として二柱しか拝神することはできない。他の神も信仰するだけならできるのだが、魔力を奉納し、その代わりに神術や加護を賜れるのは二柱のみなのだ。


(ユースリスティ様は人前にお姿をよくあらわすお方だったから、挿絵も似ている気がするわ……きちんと伝承されてはいるのね)


 【死と輪廻の神ローディス】の方の挿絵は、別の意味で悲しくなるくらいに似ていなかった。やはり恐ろしいイメージが強いのだろう、実際の穏やかな彼の神の姿を知っているとそのかけ離れっぷりに抗議したくなる程度には恐ろしげな、それでいて陰気な容貌にされていた。しかも扱いが小さい。


 他のページにも目を通す。知っている神――前世で広く信仰されていた神も、前世のときにはいなかった神もいた。


(この新しい神々は、実際に『在られる』神なのかしら……)


 ぼんやりと考える。

 三千年前は神々が人間界に降りることもあったし、人が神界に召し上げられることもあった。それくらい当たり前に神々は『在った』。人々に近しかった。

 けれど今世は、神というのは『信じる』ものだ。一部の、神子と呼ばれる特別な存在には神々のお言葉が聞こえるというが、一般の人々には神の存在は身近ではない。故に信仰も薄いし、もはや拝神という行為も廃れていた。

 今世、そのことを知った時は、三千年前とのあまりの違いに驚いた。三千年前は、拝神しないなんてことは考えられなかった。誰もが一定の年齢までには拝神する神を決め、魔力を捧げて神術を賜ったものだった。


(環境の違いも、あるのかもしれないけれど……)


 三千年前は、国と国とが争う戦乱の時代だった。だからこそ神術が必要だった。拝神すれば誰であっても手に入れられる、強力な力が。

 かくいうリルカ――前世ではアイシアという名だった――も、【癒しの神ユースリスティ】を主神として拝神し、癒しの能力を得て、前線の兵士たちを癒す役に従事していた。

 その頃は【癒しの神ユースリスティ】を主神としている場合は、戦争などへの召集義務が課せられていたのだ。そうでなくとも、戦争で家族を亡くした自分は渦中と身を投じていただろうけれど。


(その中で……会ってしまったのよね)


 できれば忘れていたい思い出が蘇って、慌ててリルカは脳内から思考を払った。

 転生したリルカにはもう関係のない話だ。あえて思い出す必要もない。


 リルカは2冊目の本に手を伸ばし、それに没頭することにしたのだった。




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