1.日常と魔術学院


 リルカは今日も、出身の孤児院の片隅にある【死と輪廻の神ローディス】の祭壇をせっせと整えていた。小さな石積みの祭壇に、『神印』を刻んだ大きめの石を設置しただけのそれは、リルカの精一杯だった。

 【死と輪廻の神ローディス】は、とても人気のない神だ。は「死とかついてるし、怖いし、エピソードも暗いし……」という感じで不人気だったのだが、現在、そしてこの地ではもはや「そんな神いたっけ?」レベルの影の薄さだったりする。その原因の一端を担う者としては、少しでも布教に努めたいところだ。

 なのでこうして、まずは祈るための祭壇を作ったのだったが、やはり個人で作るには限界があり、簡素なものだ。そもそも、個人で祭壇を作る――そこから為さねばならないことに涙が出そうになるが、そこは堪えて。


 できる限りのことをした後は、日課の祈りを捧げる。祈りとは、つまり拝神する神に魔力を捧げることに他ならない。少なくとも、リルカにとってはそうだった。

 祭壇を前に、『神印』――神そのものを表す記号のようなもののことだ――の力を借りて、己の中の力……つまり魔力を意識して、強く、拝神する神を思い描く。かつては絵物語の中で描かれていた姿を思い描いていたが(なにせ【死と輪廻の神ローディス】は人間の前に姿を現さないことで有名だった)、実際に目にしたことのある今は、その時の姿を思い浮かべることにしている。

 すぅっと魔力が流れ出でる感覚に、祈りが届いたことを確信した。


 じゅうぶんに祈り、魔力を捧げたところで、目を開く。と、背後から声がかけられた。


「また『古き神』に祈ってるの、リルカ」

「……ユハ」


 リルカは振り返り、そこに立つ幼馴染を見遣った。

 茶の髪に、揃いの茶の瞳。ありふれた色彩――けれど整った容貌を持つ彼の目に非難じみたものが浮かんでいるのに苦笑する。孤児院出身仲間であり幼馴染でもある彼は、リルカが『古き神』――【死と輪廻の神ローディス】と【癒しの神ユースリスティ】という、リルカが拝神している二神に魔力を捧げるのを快く思っていない。というのも、現世では魔力を使った『魔術』が一般的になっていて、『魔術』以外に魔力を使うことは、無駄である――魔力を無為に消費するのと同じようなものだ、という考えが普通になっているからだ。

 それは考え方の違いなので、リルカは気にしていない。そもそも、拝神することによって、神々からは『神術』という強い力を得られるので、無為に消費しているわけではない。――リルカは『神術』を目的に拝神しているのではないので、これはユハを説得するのに使ったことがある方便なのだが。

 けれど、この幼馴染は、リルカが『神術』を使う様子がないことから、リルカの考えを正しく察して、リルカが『古き神』に魔力を捧げることをもったいないと感じているらしかった。


「先に言っておくけれど、何度言われても、ローディス様たちに魔力を捧げるのはやめないわ」

「……せめて、器にある分をギリギリまで捧げるのはやめない?」

「やめない。魔力を他に使えない状態でも、日常に支障はないもの」

「その感覚が、もうおかしいと思うんだけどね……」


 ユハが溜息をつく。しかしこれはもはや『いつも』のやりとりなので、リルカは気にせず立ち上がった。

 人間には生きるのに必要な魔力というものがある。リルカはその分だけを自らの魔力の器に残して、他はすべて拝神している『古き神』に捧げる毎日を送っている。よって、どんなに少ない魔力で発動できる『魔術』であっても、使うことはできない。それを常として許容している、それこそがおかしいとユハは言っているのだった。


「それで? それを言うだけのためにここまで探しに来たの?」

「リルカが家にいないときは大抵ここだから、探したとまでは言わないよ。……この間から言ってる、魔術学院の見学、どうかと思って」


 ユハは、実際に魔術に深く触れればリルカの考えが変わると思っているらしく、事あるごとに彼の通う『魔術学院』の見学を勧めてくる。それに根負けして、一度だけなら、と答えたのが先日のこと。彼はさっそく、その段取りを整えてきたらしい。

 仕事でも入っていれば断る選択肢もあったが、ちょうど今日の仕事は休みだった。ユハはそれを知っていて誘いに来たのかもしれない、と思うリルカ。リルカが日々受けている仕事についてはユハもおおむね把握している。情報を得るのは難しくはないはずだ。


 一度付き合って、それでもリルカの考えが変わらないとなれば、ユハも考えを改めるだろう。

 半分くらいは願望だとわかりつつも、リルカはそう考えて、ユハの提案に頷いたのだった。




 魔術国シャーディーンの都リュリュー。それが、リルカの住まう街の名前である。

 名の通り魔術の盛んな国で、国民は日常の些細なことでも魔術を使用する。料理に火を使うのにも、花に水をやるのにも。簡単な魔術ならば『魔術協会』に行けば教えてもらえるし、協会で得た知識を他者に教えるのも禁止されていないから、こんなにも魔術が広がったのだろうとリルカは思っている。


 『魔術学院』は、正式には『シャーディーン国立魔術学院』という。入学には一定の魔力保有量が必要になるが、積極的にスカウトを行うなど、優秀な素質のある生徒を受け入れるのに余念がない。――そのせいでリルカはユハに目をつけられてしまったのだが。

 在学中に少なくとも一人以上のスカウトを試みること、というような決まりがあるらしく、ユハはそれに則ってリルカを魔術学院に誘っているらしい。魔術に興味のないリルカには迷惑なことだが、その考えが特異であることもリルカは理解している。

 なんといっても、『魔術学院』を優秀な成績で卒業して、国付きの魔術師になるのがこの国でのエリートコースの定番であるうえに、国付きの魔術師になるのに身分は関係ないとされているのだ。誰でも入学できるものではない以上、チャンスにとびつかない人間は奇異に見られる。


 リルカは事情を知る者に奇異の目で見られてもいいから、平穏に【死と輪廻の神ローディス】と【癒やしの神ユースリスティ】に拝神する日々を送れればそれでいいのだが、それを阻むのがユハだ。孤児の身から魔術学院に入学し優秀な成績を収め、エリートコースを着々と進んでいる彼は、リルカの考えがどうしても理解できないらしい。

 リルカも孤児なので、身分に関係なく出世できる魔術師を目指すのが安定した道なのは理解しているが、それとこれとは別だ。なにせ、リルカがローディスとユースリスティに拝神しているのは、の誓いによるものなので。



 ともあれ、ユハに連れてこられた魔術学院は、国立の名にふさわしく立派なものだった。実用的すぎず、かといって豪奢すぎもしない絶妙なバランスで造られた建物は、これを見られただけでも来た甲斐があったとリルカに思わせるほどの職人技だった。

 しかし建物を外から見ただけでユハが帰してくれるはずもない。


「申請していた見学の件で、候補者を連れてきました」

「はい。話は伺っています、ユハ=ライラ。候補の方にこちらの許可証をつけていただければ、生徒区域はどこにでも入れるようになりますよ」

「わかりました。ありがとうございます」

「新たな学徒が誕生しますよう、お祈りしています」


 そんな会話を受付らしき場所で済ませたユハが、渡された許可証――ブローチのような見た目をしている――をリルカの襟元につける。


「つけるくらい自分でやるのに」

「在学者の手からじゃないとつけられないようになってるんだよ。不正防止で」

「そ、そうなの……」


 なかなかに厳重だ。ちょっと及び腰になったリルカを知ってか知らずか、ユハは迷うことなく歩き出した。

「ここが講義棟。授業を受けるところだね。今は授業が始まったばかりだから入らないでおこう。あっちに見えるのが実験棟。危ないから見学者には解放されてない。見ていて面白いのは演習場かな。授業以外にも自主練習で魔法を使っている人が見られるよ――行ってみる?」


 ユハの問いに、リルカは少しばかり考える。『面白い』というからには、普段目にすることのない、日常では使われないような魔法を見られるのだろうが、それより。


「ここ、『学院』というからには、図書室――ううん、図書館、あったりしない?」

「……あるけど。リルカ、図書館に入ったら絶対に出てこなくなるでしょ」

「それは否定しないけど。でも、あるのね? 見たいわ。すごく見たい」


 リルカは書物が好きである。しかし孤児の身ではまだまだ安価とは言えない書物に触れる機会は少ない。貸本屋から安い娯楽本を月に数冊借りるのがせいぜいだ。

 しかしここは『魔術学院』だ。貸本すら高価で手の届かない学術書がたくさんあるに違いない。もしかしたら、歴史本なんかも揃っているかもしれない。本という形態になる前の書物すらあるかも――考えるうちに、リルカはそわそわしてきた。早く図書館に行きたくて気がはやる。


 そんなリルカの様子に、これはもう他の場所の案内は無理だと悟ったのか、ユハはひとつ溜息をついた後、「いいよ、行こうか」と言ってくれた。


「ありがとう、ユハ!」

「その笑顔は『魔術学院』に招待した時に浮かべて欲しかったものだけど。本当にリルカは本が好きだね」

「だって、書物は人間の生み出した最たる叡智よ。時を超えて言葉が残るなんて、本当に素敵。ああ、【智の神ウィステーリア】様に感謝を!」

「そこで人間じゃなくて『古き神』に感謝するところがリルカだよね……」


 人に文字を与え、書に綴るということを教えたのは【智の神ウィステーリア】だ。彼の神に感謝を捧げるのは当たり前である。しかしやはり現世では信仰が薄れているので、リルカが異端だということもよくわかっている。

 だからリルカは反論はせずに、弾む足取りを隠さずユハの案内についていったのだった。



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