第37話 姉の記憶、妹の想い

 

 エスナが圧縮空気を使って空中で方向転換を繰り返し、細線の攻撃をかわしていく。

 リセリアの両手が左右に開く。

 両手から伸びる細線の量が更に増してエスナを全方位から囲んだ。

「はぁ……はぁ……」

 息を切らして空中に浮かぶエスナは細線を睨む。


 無数の細線が餌に群がる小魚のようにエスナを襲う。


 エスナは圧縮空気を放出して細線の隙間を縫うようにかわし、分子振動させた右手の剣をリセリアの脳天に振り下ろした。

 ――ガキィン!

 剣がリセリアの頭部表面で止まる。皮膚はおろか毛先まで灰色に覆われていたリセリアの体は鎧のように硬かった。

「――っ⁉」

 エスナは背後に異変を感じて咄嗟に身を引く。

「ぐうっ!」

 かわしきれなかった細線の一部が、エスナの右足首、左肩、脇腹を鋭く貫いた。


「はあああああっ!」

 ミルファが空中を高速跳躍してリセリアの前に出る。指を絡めた両手を大槌に変えて、剥き出しになっているリセリアの上半身を叩いた。激しい衝撃と共にリセリアの体が沈む。下半身と同化した岩の底部が地面にめり込み、エスナを貫いていた細線の変形が解かれる。

 エスナは圧縮空気の放出量を調整して姿勢を保ちつつ溝の底に着地した。

「大丈夫ですか?」

 溝のほとりに着地したミルファが問いかける。

 エスナの患部のまわりが一瞬光ると、傷口がみるみる塞がっていく。マシン・ヒューマンの変形能力を応用して組織細胞を増やして再生させた。

「――問題ない」

 エスナは顔を歪めながら応答する。マシン・ヒューマンの変形能力を応用して患部を塞ぐことはできたが、痛みまでは取り除くことができなかった。


「どうするミルファ。何度呼びかけても人間らしい返事はかえってこないが」

「倒しましょう」

 エスナはミルファを無言で見やる。

「私は救世連盟の連盟員で人を助けるのが責務だから、人の命を平気で奪うような者とは相容れません」

「……分かった。私も手伝おう」

「すいません」

「私も憧憬を抱いていた者の醜態しゅうたいをいつまでも見ていたくはないからな」


 リセリアの大量の細線が空中を蛇のように進み、二人をあらゆる方位から狙う。


 ミルファとエスナは高速跳躍を行って散開する。迫りくる細線の速度は全速力で跳ばなければ掴まってしまうほど速かった。

 ミルファは身をひるがえして細線をかわすと、左足を長剣に変形させる。体の左側面から圧縮空気を放出して全身に勢いをつけて、鋭角な刃になったその足でリセリアを蹴った。

「刃が刺さらない……」

「体はダメだ、硬いぞっ!」

 そう叫んだエスナは両手足を剣に変え、飛んでくる細線を次々と弾いていく。


 軌道が逸れた細線が空中で方向転換する。


 その一瞬の隙を見計らってエスナは両手の指全てを細線に変形させて、激しい分子運動を発生させながら前方へ飛ばす。細線は一定の高さに達すると花が開くように散開してリセリアの周囲の地面に突き刺さり、地層をガリガリと穿孔せんこうしていく。


 エスナは地中を掘り進む細線に穴をつくり、そこからありったけの圧縮空気を地層内に放つ。

 地層に大量のひびが発生して、周囲の地盤がリセリアごと崩落した。


「行きます!」

 ミルファはリセリアが落ちた穴の中へ降下していく。岩盤地層を抜けると、一面を純白の石灰岩に覆われた地下空間に出た。天井が高く、広々とした空間内には多数の鍾乳石が柱のように垂下し、地面には透明度の高い水が浅く溜まっていた。生物らしい生物は見当たらず、粛然たる未開の空気が漂っていた。


 リセリアが地下空間の水面に墜落する。その衝撃で砕けた岩の底面から微粒光子が水中に漏出していく。続いて地下空間に到着したミルファは、リセリアから距離をとって水面に降り立つ。鼻腔が微かな海の潮気を感じだ。岩壁のどこかに外界と繋がっている隙間があることがうかがえた。


 地面を覆う水が煌々と点滅を始める。

 水面から微粒光子がぽつぽつと出現して、空間内が小さな光源に彩られていく。


「つっ……え?」

 空間内で微粒光子の濃度が上昇を続ける中、ミルファが強い頭痛を覚える。痛みに支配されていく脳裏に、自分のものとは違う意識が混ざるのを感じた。

 見たことのない景色。

 知らない思い出。

 未知の感情。

 そんな他人の視点が、穏やかな川水のように流れ込んでくる。

 ミルファは脳内へ去来するこの意識がリセリアの意識であることを本能的に理解した。



 微粒光子の情報を秘匿ひとくしようとした連盟への不信感。


 人間、竜人、マシン・ヒューマン問わず、人類全てに向けていた慈愛。


 フィザとの恋仲としての思い出。


 ニュエルホンにいつか移り住みたいという夢。

 

 微粒光子の支配を受けて竜人の町で虐殺を行ったことへの悔悟かいご


 自分がいつか大切な人たちを傷つけてしまうかもしれないという恐怖。


 マシン・ヒューマンとしての自分と向き合うためにアリメルンカへ渡った決意。


 他者を殺害するために生存する今の自分を殺してほしいという心願。


 微粒光子が生物のみならず地球そのものを侵食しようとしていることへの嘆き。


 微粒光子の宿主として微粒光子による生命への冒涜の一端を担がされている悲哀。



「お姉ちゃん……」

 ミルファは唇をギュッと噛む。閉じた瞼の奥からは一筋の涙が零れ落ちた。

 圧縮空気を放出して地下空間に降下してきたエスナがミルファの隣に立った。

「今さら泣き虫が出たか?」

「いいえ。お姉ちゃん、今まで辛かったんだろうなと思って」

 ミルファは掌で目元の涙をグイと拭うと、決意を湛えた双眸でリセリアを見た。


「――決めたよ。この地球をお姉ちゃんの子宮になんてさせたくない」

「……」

「だから私、お姉ちゃんを殺すね!」



 リセリアの口角が大きく歪む。瞼が開き、灰色に染まった無感動の瞳がミルファを見据えた。

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