第35話 『微粒光子』

 エスナとミルファは半島の中心地を目指して跳躍移動を開始する。


「狂っているわね」

 周囲の景色が足早に過ぎる中、内地を観察していたキュエリが呟いた。


「ユークさんの頭が?」

「半島の内部の環境よ。例えば地面に生えたあの高木。基盤地質が石灰岩で構成されている地形は保水力が低いし、この半島は周辺から潮風が吹いてくるから塩害が発生して普通は大きく育たない。耐塩性のあるマングローブとかは話が別になるけど。もう一つ気になったのは河川の存在。水に溶解しやすい石灰岩は雨水を地下に落とす性質があるから普通は地表に河川が存在することはないのに、この半島の環境は学術的な定説を全て覆している」

「それに半島の中心へ近づくにつれて植勢が強くなっていますね」

 エスナは葉を大きく伸ばした下草を見下ろした。


 三人は半島の中心部分にあたる島へ到着する。

 マングローブの木が密集したその場所は蛍の一大生息地のように光の粒が溢れていた。


「キュエリさん、どうしますか。地面に降りて調べます?」

「いえ……先へ行きましょう」

 ミルファとエスナは着地することなくマングローブ林と大川の上を移動する。

「やっと姿が見えたか……」

 空を跳躍してきたユークリウットは足に力を込める。

「くっ」

 ――ドカッ!

 両足を包む光の能力の加減が狂ってユークリウットはマングローブ林に突っ込んだ。

「くそ……何なんだ一体」

 それからユークリウットは能力の出力に苦労しつつ移動を続け、程なくして三人に追いついた。

「遅かったですね、ユークさん。拾い食いはよくないですよ」

「……」

 ユークリウットはミルファの軽口に反応せず、首を捻っていた。

「ありがとう、エスナ。ここで下ろして」

「はい」


 四人は島の中央を覆う密林の中へ入る。

 湿潤な気候の中にある鬱蒼うっそうとした熱帯雨林。くさす大地はなだらかな曲線を描いて窪地状になっていた。地面はまるで波をうつように歪んでいて、その地表には亀裂の入った小さな穴が水をためた状態で点々と存在していた。

 キュエリは指先を穴の中に突っ込み、濡れた指先を口に含んだ。

「真水だなんて……」


「何だこの環境……」

 ユークリウットは周囲の環境に疑念を覚える。

「湿潤な気候の中で広大な窪地があるのに湖が形成されていない。それに半島の真ん中にだけに密林が形成されている。ジエチルノイアで半島はいくつか見てきたが、少し歩くたびに植生が様変わりするような島なんて無かったぞ」


 ユークリウットは答えを求めるように視線をキュエリに向ける。

 キュエリは何かを考える表情で小さく頷いた。


「それにしても静かですね」

 エスナは周囲を見回す。生え広がる植物に対して昆虫や小動物が活動する音が一切ない。上空には鳥の姿も見当たらず、ときおり風を受けて発生する葉が擦れる音が鮮明に聞こえてくるなど廃墟のような雰囲気が漂っていた。


 四人はしばらく歩いて密林を抜けると、小さな草原地帯に出くわした。 


「きゃっ!」

 ミルファが悲鳴を上げる。

 大量のグンカンドリが草生す地面の上に横たわっていた。


 キュエリが足元にいたグンカンドリを観察する。

「……死んでいるわね」

 エスナがグンカンドリを一羽一羽見て回る。全て絶命していた。

「病気……か?」

「死因の特定は後回しでいいわ。今は先へ進みましょう」

「キュエリさん、心臓が強いんですね……」

「そう?」

 体を抱きすくめるミルファの横でキュエリは鳥の死骸を平然と跨いだ。


 四人は再び現れた密林の中を進んでいく。

「また植生が変わったな……」

 列の最後尾を歩くユークリウットはふいに呟く。

 先頭を歩くキュエリは何かに駆られるようにひたすら草木を掻き分けていった。

「幻想的ですねー」

 そう述べたミルファの視界には宙に漂う大量の光の粒が映る。

「島に入った時は一つ一つの光が小さかったのに、このあたりの光は蛍のように大きいです」

「地面の傾斜もきつくなってきましたね。先生、疲れなどはどうですか?」

「大丈夫よ」

「まるで蟻地獄の住処に来たみたいで楽しいですね」

 ミルファは周囲の環境の変化を楽しみながら進んでいく。


「なあ、キュエリ……もう教えてくれていいんじゃないか。この半島の正体を」

 ユークリウットは前方にいるキュエリに問いかける。


 キュエリはふいに足を止めると、一考してから口を開いた。

「……そうね。まず、この不思議な環境。それを作り出したのはおそらく隕石よ」

「隕石って、空から降ってくる石のことか?」

「そう。私たちが住む地球のはるか上空から稀に大きな石が降ってくることがあるの。それも凄まじい速度で。物体が速度を得るということは落下時の衝撃も比例して大きくなるから、隕石が落下した地点にはこの半島のような大きな窪地ができることがある――エスナ、地質の結果はどう?」

 エスナは筒状に変形させた右手を回転させて地面を掘り進めていた。

「この地層、上から強い圧力をかけられていますね。あと、地下には広い空間があります」

「空間……セノーテかしら」

「セノーテ?」

「地下水脈のことよ。地下の中に開けた空間があって、そこに水が溜まって泉を形成するの。石灰岩で構成された地層にはよくあることね」

「鍾乳洞みたいなものか」

「だいたいはそんな感じ。エスナ、調査はもういいわ。ありがとう」


「ここが隕石の落下地点ということは理解できたが、連盟がここへ大挙する理由と、キュエリが言う『この世界の真実』とやらがまだ分からん」

「昨晩、私が『恐竜がいる時代で人間は文明を築くことはできない』と言ったこと覚えてる?」

「ああ」

「それでも古代文明の足跡は現代にある。この矛盾を解決するために私は一つの推論を考えた。、と。巨大な外敵である恐竜さえいなくなれば、人間は知能の高さから生態的地位の頂点に立って文明を築くことができるでしょ」

「その理論はおかしくないか。恐竜は絶滅せずにこうして現代にいるぞ?」

「順を追って説明するわね。恐竜が誕生した数億年後、地球全天が極寒で覆われた『氷河期』という時代を迎えるの。恐竜は恒温動物だけど低温に特別耐性があるわけじゃない。他の陸棲生物もそう。だとしたら、食べ物が不足した恐竜が徐々に小型化し、羽毛を発達させて氷河期を生き抜いたという説は理に適っているじゃない」

「そうだな。空を飛ばないのに羽を持っている鳥類がいるが、あれは空を飛ぶというというよりも気候変化に対応するために羽を獲得したと考えた方がしっくりくる」

「そこで昨晩の問題に行き当たるのよ。恐竜は劇的な環境変化にさらされて鳥類に進化した。けど、その十数億年後の現代にも恐竜は存在している。なら、恐竜という巨大な存在を現代に復活させた原因は何か……それが、これ」


 キュエリは目の前に浮かぶ『光る粒』を指差した。


「ユークリウット、少しの間でいいから光の剣を出してくれないかしら?」

 ユークリウットは右手の先から光の剣を出現させたが、右手が無意識に暴れ始める。

「くっ!」

 慌てて光の剣を消失させる。

「さっきマングローブ林に突っ込んでいたけど、やっぱり制御が難しいのね」

「……ああ。この半島に来てからこんな感じだ。この光っているやつが原因なのか?」

「おそらく、ね。私たち研究者はこれを『微粒びりゅう光子こうし』と名付けて呼んでいるわ」


「もうすぐ島の中心地に辿り着くと思われますが――先生、あれを!」

 エスナが前方を指差す。木々の向こうに眩い光が溢れていた。

 四人は密林を抜ける。まるで切り取ったように植物が無い広大な岩盤地形。石灰岩の白い岩肌がむき出しになった地面はなだらかな窪地になっていて、宙には大量の光の粒――微粒光子が漂っていた。

 窪地の真ん中に一際強く発光している地面があった。土壌の表面からは微粒光子が少しずつ浮かび上がり、半島の上空に達したところで空気に溶け込むように消失していく。


「遂に見つけましたね!」

 大量の光を発生させる地面を前にしてエスナは興奮気味に叫んだ。

 キュエリは険しくなっていた表情を柔和な微笑で隠して、そうね、と返事をした。


「キュエリさんたちにはこの場所がそんなに貴重な所なのですか?」

「世紀の大発見よ。あれが、なのだから」

「え?」

「隕石ってそのほとんどは硬い金属でできているの。純度の高い鉄やニッケル、イリジウムとかがその一例。研究者たちの間では『隕鉄いんてつ』なんて呼び方をしているわ」

 キュエリは話を続ける。

「でも、隕石の中には金属の塊とは異なる物が見つかった例もあるの。――鉱物の中から光が漏れ出していた、という例がね。光を内包する鉱物なんて聞いたことがないから発見当時は眉唾物として扱われていたらしいけど、その後の……特に生物進化を専攻していた研究者たちが、恐竜、ドラゴン、竜人、マシン・ヒューマンの発生について疑問を抱き、調査を行った結果、ある仮説を打ち立てた。『この光の粒子こそが生物を歪な形に進化させた』……という仮説をね」

 キュエリは、ユークリウットを見る。

「きっかけは竜人の光を操る特殊能力だった。竜人が能力を使う際に発する光の粒と、隕石から漏れ出た光の粒がとてもよく似ていたの。人間と竜人は生物としては似通っているのになぜ能力差が大きいのか。人間と竜人の違いは何か……そう考えたとき、その仮説に行き着くのは自然な流れだった」


 ユークリウットがハッとして、昨晩聞いた生物の発生年代のことを思い出す。恐竜の化石は十数億年前から約一万年前までの間に出土した例が無い。それは、恐竜は現代になって急に出現したとも言える。その一方で、ドラゴン、竜人、マシン・ヒューマンもここ最近で発生したといわれている。この四種は境遇が非常によく似ていた。

「……この光の粒子が新たな種を誕生させた?」

「ええ。巨大隕石と共にこの地球にやって来て、長い年月をかけて大気中に拡散し、生物の遺伝子の中に入り込んで従来の進化では獲得できない『能力のうりょく進化しんか』や、実質的な退化にあたる『可逆かぎゃく進化しんか』をもたらした。鳥類を恐竜に可逆進化させて、恐竜をドラゴンに、人間を竜人に能力進化させた。それらの事象の中心がこの半島というわけ」


 人間が麒麟のような長い首を獲得することは理論上可能だ。長い年月をかけて『首』という器官を発達させていけば長い首を獲得することができる。人間が『羽』を獲得することもできる。両手の重量を減らしつつ表面積を広げていけば形質が『腕』から『羽』に変化する。進化とは『形質変化』であり、形質変化以上のものは得られない。もしも形質変化以上のものが得られたとすれば、それは進化として歪んでいるという証左になる。ユークリウットの脳内では従来の進化論と新説がない交ぜに巡っていた。


「俺らの体の中にある光の粒子の正体は一体なんだっていうんだ?」

「それにマシン・ヒューマンの説明がまだされていませんよ?」

「二人とも落ち着いて。二人の質問はもう一つの仮説で立証できるわ」


 前のめりになっていたユークリウットとミルファは体勢を直し、キュエリの話に耳を傾ける。


「ミルファ。連盟内におけるマシン・ヒューマンの男女比率は知ってる?」

「えっと……七割が女性です」

「私とエスナはマシン・ヒューマンのいる村に立ち寄ったら必ず男女比率の調査を行っていたの。結果はどの村でも女性のほうが多かったわ。何故だと思う?」

「ユークさん。さあ、言ってください」

「俺に振るなよ……まあ、女特有の何かがあったんだろう」

「女性特有ってどんなことがあるかしら?」

「例えば子供を産むとか……まさか」

「そう。女性は胎盤を通して新たな生命を生み出すことができる。『微粒光子』はそこに目をつけたのでしょうね」

「なぜそこで微粒光子が出てくるんだ?」

「進化というのは『生存戦略』の一つの手段なの。環境に適応したい。天敵から身を守りたい。長く生きたい。仲間を増やしたい。種を残したい……先ほど述べたとおり微粒光子は生物進化に密接に関わっていて、隕石から外の世界へ散らばろうとする『拡散』の性質も持ち合わせている。この半島内の様子がその例ね。植物の中。グンカンドリの中。所構わず遺伝子内へ入り込み、本来の性質を自分たちの都合の良い環境に組み替えようとする。まるで意思があるかのように」

 キュエリは一呼吸置いてから再び話し始める。

「微粒光子という存在はおそらく『生物』なのよ。進化と繁殖。収斂と選択。そして拡散。それらを全て満たすには、着床するかも分からない男性の遺伝子よりも、生命が誕生するとき確実に通過する女性の器質を利用したほうが遥かに効率が良い」

 絶滅した生物の復活。生態系の不自然な変化。摂理の環を外れた異系の能力の出現。善か悪か。正しいか否か。勝者か敗者か。そんな二極論が通用する相手ではない地球が本来歩むべき道を根本から変えた微粒光子という存在はこの青い惑星の歴史に今もなお寄り添っていた。


 各々が状況を整理しようとする中、ミルファは表情を強張らせた。

「それって、マシン・ヒューマンも人間が進化した生物……ということですか?」

「そうなるわね」

 キュエリの返答はミルファをひどく動揺させた。

「マシン・ヒューマンと竜人が同類……私は今まで何を――えっ?」


 地面がふいに大きく揺れる。

 微粒光子を浮かび上がらせていた地面を中心に、大きな亀裂が地面に伸びていく。

 ユークリウットが離れろ、と叫ぶ。

 窪地の真ん中の岩盤が弾けて、大穴があくと、は穴の底からゆっくりと浮上してきた。

 肩まで伸びた髪。整った顔立ちは目と口が閉じられている。何も身につけていない細身の上半身と、微粒光子を発生させる巨大な岩と同化している下半身。岩を含めたその全身が灰色に覆われた一人の女性が出現した。


「――お姉ちゃん!」

 ミルファはふいに叫ぶ。

「お姉ちゃん、ミルファだよ! 昔よりも大きくなったけど覚えてるよね?」

 ミルファは姉の出現に驚きつつも、再会に喜び、身振り手振りで話しかける。


 しかしリセリアは返事をかえすどころか無反応だった。


「何でそんな格好してるの? 脚も岩にはまっているし……出られないのなら私が――」


「近づくな!」

 ミルファは叫び声を上げたユークリウットを不機嫌そうに睨んだ。

「久しぶりの再会を邪魔するなんてどういう了見ですか?」

 それまで微動だにしなかったリセリアの右手の表面に光の線がはしり、先の尖った細線に形を変える。細線が宙を高速で移動し、その尖端が無防備になっていたミルファの背中を狙った。


 エスナが脚部の空気孔から圧縮空気を放出してミルファの体を掻っ攫う。

 細線が速度を維持したままグンと上昇すると、空中で先端が分裂して、その場にいた四人を頭上から襲った。


「くっ――先生!」

 エスナが高速で迫りくる細線をかわしながら視線を横に向ける。

 キュエリはユークリウットに抱えられて難を逃れていた。

「何するの、お姉ちゃん!」

 ミルファはエスナの腕の中でそう叫ぶも、リセリアから返事はこなかった。



「あそこだ!」

 窪地の外側を囲む草木の奥から、武装した大勢の人間が現れた。


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