第33話 前夜


 虚空の中に無数の星々が輝いていた。

 海岸線から突き出るように形成された群島の尖端にはユークリウットが胡坐あぐらをかいて北東の景色を眺めていた。


 目的地である半島の輪郭が海を挟んだ向こう側に見える。竜人の特殊能力からなる迅脚を持ってすれば半日程度で到着できる距離だったが、今はこの場に天幕を張ることを選択していた。岸壁の下からさざなみの音が発生する。海の近くとあって冷涼な空気が漂い、亜熱帯地域の中でも比較的気持ちの良い場所だった。


 ユークリウットが人の気配を察知して振り向く。

 キュエリが料理を持ってやって来た。


「体調は大丈夫か?」

「私ならご心配なく。高山病に少し当てられただけだから。ただ、ミルファのほうは、ね」

 高山地帯を抜けた後、これから目的地へ向かうというところでキュエリが体調を崩し、ミルファに至っては高熱を出して倒れた。


「ミルファだが目の色はどうだった?」

「目の色? まあ、普通だったと思うけど。これ、遅くなったけど晩御飯」

 キュエリが木目調の大きな皿とくしをユークリウットに渡した。

 皿の中には湯気を燻らす赤みがかった汁の中にめんと野菜の具が入っていた。


「その麺は小麦を乾燥させたものよ。汁は高山で採れたトマトを水と塩で煮込んだの。あとはジャガイモや黍も一緒に入れたわ」

 ユークリウットは皿に口をつけて汁を飲んだ。塩加減が絶妙にきいたトマトの煮汁が口腔へ入っていくと舌が喜んだ。


「なぜ汁料理になったんだ。俺がさっき見た時、エスナは動物の肉を調理していたが」

 キュエリがユークリウットの隣で膝を抱え込むように座る。

「私が作り直したの。エスナは料理が人一倍苦手だから。それとも黒焦げの肉が食べたかった?」

「いや、いい。あそこまで器用な変形ができるあたりとても不器用には見えんがね」

「戦い方や勉強は連盟にいたときに学んだけど家庭的なことを教わる機会は無かったから」

「連盟がマシン・ヒューマンをどう扱うかなんて知れたことだからな」

「そういう意味では彼女を連れ出して良かったのかもしれないわね。本人から感想を聞いたわけじゃないけど」

「あいつならキュエリの傍にいられるだけで喜びそうだが」

「人の奥底って分からないものよ。もしかしたら連盟の研究者の身分を剥奪した私を恨んでいるかもしれないし」

「研究、か。そんなに楽しいものなのかね」

「あら、ユークリウットも研究者の一人でしょ?」

「俺が?」

「大陸を股にかけて恐竜やドラゴンと向き合ってジベスの遺産に新たな項目を書き加えているじゃない。先日のスノウドラゴンとかね。ユークリウットにしてみれば何気なくやっていることかもしれないけど、あなたが記したその書き物はこの世界ではとても貴重な物よ」

「そんな高尚なものじゃないさ……故郷を焼いたあの悪夢は今でも脳裏によぎるんだ。俺がドラゴンに傾倒しているのはきっと親父へのつぐないなんだよ」

「それでもいいじゃない。だから私たちについてきて、ジベスの目的地であるあの半島へ行こうと思ったんでしょ」


 ユークリウットとキュエリは半島の方を静かに眺めた。


「連盟の別動隊も目指しているそうだが、あの半島に何があるんだ?」

「……ユークリウットは自分がなぜ光を操る能力を持っているか考えたことある?」

「気になったことはあるが、考えても答えが見つかるわけじゃないからな」

「なぜ竜人が『竜人』と呼ばれているかは知ってる?」

「古代文明の言語だと『竜』は『ドラゴン』っていう意味で、竜人もドラゴンも異能を持っているからそう呼称されるようになったんだろ」

「正解。じゃあ、この世界にはなぜドラゴンはいるの?」

「さあ。大方、恐竜が進化したんだと思うが」

「それなら、なぜこの世界に恐竜がいるのかしら?」

「昨日も話したが、鳥類の祖先が恐竜だからだろ。親父の本を見ると遺伝学的にはティラノサウルスはわにやアリゲーターよりもダチョウのような鳥類に近いと書かれていた。エスナの言葉を借りれば、生物はある日突然誕生するわけじゃなく長い歴史の中で進化を繰り返して特徴を変える。要するに祖先がいなきゃ進化なんて起きないさ」


「それよ」

 キュエリが目聡い顔つきになる。

「恐竜の進化の最終形が鳥類なのに、どうして鳥類と恐竜は同じ時代に生きているの?」


 それはこの世界に漂う漠然とした違和感だった。

 生物が環境変化に適応して劇的な進化を遂げたのなら、環境に取り残された始祖たる存在が淘汰されて滅亡するのは必然だが、それに反して、この世界には恐竜と鳥類が同時に存在していて、そのことはユークリウットも気になっていた。


「進化の過程で分岐したんじゃないのか。例えば猿と人間のように」

「私も最初はそう考えた。でも、それだと人間が文明を築き上げたことに対して矛盾が生じるの」

「どういうことだ?」

「人間が工業を行えるほど繁栄した足跡である古代文明はこの世界の至る所で発見されているじゃない。虐殺があった竜人の村や高原にあった建造物もその一つ。恐竜の進化が分岐して恐竜種が昔から存在していたというのなら、恐竜の捕食に常に晒されるか弱い人間が高度な文明なんて築けるわけないわ。文明なんて安全な環境が整ってないと築けないものだから」

「恐竜に対抗できるマシン・ヒューマンが過去に大勢いたんじゃないか?」

「私たち研究者が過去の文献を調べた限りではマシン・ヒューマンの記述がどこにも無かったのよ。マシン・ヒューマンはおそらく、ここ数千年の間に突如発生した種だと思うの。竜人とドラゴンもそう。これらの存在が生物として地球上に生息していたという過去の記述が約一万年前を境に痕跡が一切残っていない」


「……人間や恐竜が発生した年数は分からないのか?」

 仮に人間が恐竜よりも早く誕生していたのなら高度な文明を築いた後に現在の環境に移行した。ユークリウットはそう考えた。


 キュエリは上着の衣嚢から黒い鉱石と茶色い鉱石を取り出してユークリウットに渡した。

 二つの鉱石はそのどちらにも骨の欠片が埋まっていた。

「黒い石の方はティラノサウルスの骨で、茶色い石は人間の骨。黒い鉱石は今から十数億年前の地層から出土したもので、茶色い鉱石は数億年前の地層から出てきたもの」

「ということは、恐竜の誕生は人間よりも先ということか……」

 二つの化石は恐竜が人間よりも先に誕生していることを証明していて、ユークリウットの推論は呆気なく崩れた。


「恐竜の手の届かないところで文明を築いた可能性は?」

「不可能よ。翼竜、恐竜、魚竜。恐竜種はこの世界の隅々に分布しているのだから」

 恐竜種は力こそドラゴン種に劣っていても、その種類と数が豊富で、棲息範囲も生物界の中では群を抜いて広い。生態的地位という観点ではドラゴン種よりも恐竜種の方が生物の頂点に君臨しているのがこの世界の実情だった。


「しかもね、不思議なことに十数億年前からここ一万年前の間の地層からは、恐竜の化石が一切出土しないの。まるでその年代だけ切り取られたように」

「それは人間が誕生した年代に恐竜はいなかった……ということか?」

「その可能性がある、という話ね。進化が逆行するなんてことは生物学上有り得ない。なら、あの巨体を有する恐竜種が進化もせずどうやって過酷な環境変化を何度も耐え抜くことができたのか」


 それはまるで地球の歴史そのものが歪曲したような、ぼんやりとした疑点だった。


「キュエリは前に言っていたな。この世界の真実を解き明かすと。その答えがあの半島にあるのか?」


 キュエリは静かに頷いた。


「ジベスや私たち研究者が辿り着いた結論。あの半島はおそらく『微粒びりゅう光子こうし』の根源の地よ」



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