第32話 スノウドラゴン


 白雲が空を覆い隠し、凛冽たる寒気に支配された高原の峰には銀色の世界が広がっていた。急勾配の斜面には餅雪が層を成し、大地のでこぼこした起伏が飛び石のように顔を出している。身を切られるような突風が吹く度に雪が舞い上がり、飛雪と共に景色を隠す様は山そのものが来る者を拒んでいるようだった。


 降雪が空に舞う中、ミルファは跳躍を繰り返して雪から顔を出している岩肌を足場に頂を目指す。その姿は冷厳な気候に似合わず平素と変わりない。全身の肌の表面から圧縮空気を微かに散布し続けることによって体温を保っていた。その影響でミルファの周囲は絶えず薄い蒸気に包まれている。


 圧縮空気を繊細に使いつつミルファは僅かな時間で山の九合目に達する。

「ユークさんの合羽、借りてくればよかった」

 ミルファの顔には疲労の色が浮かんでいた。保温を少しでも怠れば極寒に襲われる。それに加えて高山特有の酸素の薄さが生物としての活動能力を大きく低下させていた。


「うわああああっ!」

 叫び声を耳にしてミルファがハッと見上げた。

 山頂から人間の男性が降って来た。

 ミルファは左腕を網状に変形させて男性を空中で捕獲する。

「うっ」

 ミルファは男性の体から異様な冷たさを感じ取る。

 男性は体半分が薄い氷に覆われていた。

 更に二人の男性が山頂側から降ってきて、ミルファは先ほどと同じように助けた。その二人も体の一部が氷づけになっていた。

 

 ミルファは助けた三人を一箇所に集めると、両手を先端の広い管に変形させて、体内に貯蔵していた圧縮空気を氷結した患部に吹き付けた。氷が徐々に融解して血流が戻ると、男性たちは凍傷に見舞われて悲鳴を上げた。

「何があったんですか?」

 ミルファはもがき苦しんでいる男性たちに強い口調で問いかける。

「ドラ……ドラゴ……襲わ……」

「みんな……まだ……ちょうじょ……に」

「立てるでしょ。立ってください。さっさと下山してください」

 ミルファは体の各部にある空気孔から吸気を試みるも酸素が薄い高山であることと、空気そのものが冷たい影響で圧縮するにも更に熱量を要するという悪循環に陥り、上手く補充できなかった。

「もういいや」

 ミルファは十分な圧縮空気を得られないまま跳躍を繰り返して山を登っていく。


 ミルファは山頂へ到着する。勾配が緩やかになったが、地勢が平らに近づいた影響で積雪は更に深くなり、ミルファの下半身が雪で埋まった。

 

 その雪深い場所に数名の人間とドラゴンがいた。


 前に張り出た流線形の頭部。ほりの深い鋭い眼光。しなりのある長い首。全長二十メートルほどで、丸みのある体のほとんどは下毛で覆われている。両足が巨木の幹のように太い反面、両腕が細い歪な形の四肢。短い尻尾がちょこんと伸びている背部からは全身を覆い隠せるほどの幅広で羽毛の多い両翼が生えていた。


「あれがスノウドラゴン……」


 ドラゴン――スノウドラゴンは右腕で積雪の中にいる人間の死体を転がしていた。体内に熱を持つ生物を雪の中で十分に冷やした上で丸呑みをする。それがスノウドラゴンの食事方法で、たった今その食事が行われた。


 その光景を目の当たりにしたミルファの頭に血が上る。右手を大剣に変形させると、背部の空気孔から圧縮空気を放出して積雪を飛び越え、スノウドラゴンに襲い掛かる。


 スノウドラゴンが両翼で体の前方を覆う。

 ミルファが突き立てようとした剣先が、両翼の表面に発生した氷の層によって止められる。

「――っ⁉」

 翼と接触していた剣先が氷結すると、氷結の範囲が徐々に広がっていく。

 ミルファは大剣を高速で回転させて氷を吹き飛ばし、後ろに引いた。

「逃げてください!」

 ミルファは周囲にいた者たちに叫ぶ。

 越冬用の格好をした人間とマシン・ヒューマンが氷結した体の一部を引きずりながら逃走を図る。

 スノウドラゴンの双眸が逃走者たちを目聡めざとく捉える。首を伸ばし、口腔の奥から収束された冷気を周囲に吐き散らした。

 ミルファは跳び上がって冷気をかわしたが、その眼下では、ドラゴンに背中を見せた者たちの体が雪像のように氷結し、そのまま山頂から転落していった。


「このっ!」

 ミルファが槍に変形させた右手でスノウドラゴンを突くも、表面が氷結した両翼で防御される。

「だったら!」

 槍の先が高速で回転をはじめ、氷の層をガリガリと掘り進んでいく。

 スノウドラゴンの体がフッと沈みこむと、その反動を利用して大きく跳ねた。

 つんのめりになったミルファの頭上にスノウドラゴンの巨体が降ってくる。ズシンと音を響かせて着地すると、周囲の積雪が地震に見舞われたように崩れた。


「危なかった……」

 間一髪のところで後退していたミルファが息を吐いて状況を整理する。

 敵はマシン・ヒューマンの得物が通らない防御力と、人間を一瞬で氷結させる攻撃力を兼ね備えている。自身が攻撃を行うには逐一跳躍をしなければならないほど積雪が深く、空気の補充もままならない。逃げるのが一番の選択肢だが、スノウドラゴンが人間を食料とする生物で、この山頂のすぐ下には凍傷を負った足の遅い者たちがいる以上、退転はできない。

「倒すしかない、か……」

 ――ゴオッ!

 一際強い吹雪が山頂を覆い、ミルファの全身が白色に隠れる。

「うっ……」

 ミルファが態勢を崩す。空気孔の周りが氷結していて痛覚が鋭く反応した。

「凍ってる……」

 ミルファは全身の空気孔から圧縮空気を瞬間的に放出する。

 体に付着していた氷がすべて吹き飛んだ。

 

 そこで新たな寒波がミルファを真正面から襲う。目陰をつくったミルファは指の間から前方を注視する。移動して寒波を下風に変えていたスノウドラゴンは口を開け、冷気を吐き出そうとしていた。

 ミルファは残り僅かになった圧縮空気を放出して後退し、部分的に隆起した岩の後ろに隠れると、すぐに吸気の動作に入る。

 スノウドラゴンは口から吐く冷気を収束させて氷塊を勢いよく吐き出す。ミルファの隠れ蓑になっていた岩を破壊した。


「コオオオオオッ……」

「まずい……!」

 スノウドラゴンが吐く冷気の帯がミルファに直進する。

「きゃっ!」

 右足を引っ張られたミルファがその場に転ぶ。その上を冷気の帯が通り抜けていった。

「大丈夫か?」

 山頂に降り立ったエスナはミルファの足に絡ませていた体の変形物の線を解いた。


 スノウドラゴンの背後に影が落ちる。

 山頂に飛び出したユークリウットが光の能力で作り出した大槍でスノウドラゴンの頭部を狙う。

――ガキン!

 氷結したスノウドラゴンの両翼がユークリウットの攻撃を防ぐ。

「なるほど……これは厄介だ」

 ユークリウットはスノウドラゴンを見上げる。五十メートル級もいるドラゴン族の中では比較的小さい体躯だが、竜人特有の光の能力でできた得物を簡単に防ぐその特殊性はどのドラゴン種よりも巨大な存在に感じた。

「俺が引きつける。お前らは下山しろ!」

「山頂の下に連盟の人たちがいるんですよ!」

「こんなときでも人間が大事か!」

 ユークリウットは淡い光に包まれた両足で走り出す。熱を帯びたその両足が足元を踏みしめるたびに積雪を融解させて、ある程度の敏捷性が確保できた。

 スノウドラゴンはユークリウットに対して執拗に冷気の放出を繰り返す。そして五度目の冷気放出が終わった後、首を落として足元にある積雪をガツガツと食べ始めた。

「……冷気の源を補充しているのか?」

 ユークリウットは雪を摂食し始めたこの瞬間が好機だと本能的に察知すると、両手の先から光の大剣を伸ばして反撃に転じる。

 

 スノウドラゴンは瞬時に顔を上げて、口から吸気を行った後、口腔から冷気の帯を発した。

「何っ?」

 冷気の確保で攻撃の開始が遅れると踏んでいたユークリウットは咄嗟に積雪の中へ飛び込んだ。

「周囲の寒気すら能力の材料になるだと……だが、さっきの冷気は今までより出力が弱かった……もしかして取り込んだ物質の質量が出力に左右しているのか?」

「攻撃を集中させろ!」

 そう叫んだエスナが剣に変形させた左腕でスノウドラゴンの左側面を襲う。

 即座に反応したユークリウットも光の大剣で反対側の腹部を狙う。

――ガキン!

 スノウドラゴンの両翼が閉じて左右からの攻撃を防ぐと、バッと開いて二人の体を弾き飛ばした。


 スノウドラゴンが口先を窄めて回頭し、冷気を自身の周辺へ吹きかける。空気が凍てつき、積雪の上では霜が大量に発生していた。

 ユークリウットとエスナは体の前面を覆った大量の霜を手で払う。ユークリウットは圧縮空気のような保温能力が無いため四肢が悴み、エスナは気体が結晶化して空気を取り込めなくなった影響で体の鈍さを感じた。

「あのドラゴン、マシン・ヒューマンの構造を理解しているのか?」

「スノウドラゴンは人間だと思え。知能が高いぞ」

「まともに戦っても勝ち目は無さそうだな」

「だったらまともに戦わなきゃいいだけさ…………作戦開始だ。援護しろ!」


 ユークリウットが駆け出した。前方から飛んでくる収束した冷気をかわし、右手の先に出現させた光の大槍でスノウドラゴンを斬りつけるも、両翼に防がれる。

 エスナは跳躍を繰り返して山頂の外周に辿り着くと、右手を紐状に変形させて射出し、スノウドラゴンの羽の根元に巻きつける。圧縮空気を体の前面に放出して羽を強く引っ張ると、スノウドラゴンの巨体が横に傾き、右足が浮いた。

 ユークリウットはスノウドラゴンの浮いた右側面の体を両手で掴む。

「はああああっ!」

 ユークリウットの両手から光の粒子が激しく放出され、スノウドラゴンの傾いた巨体を更に押し込む。

 スノウドラゴンはユークリウットに冷気を吐きつける。

「ぐうぅ……ッ!」

 地面一帯の積雪が更に凍てつき、ユークリウットの全身も氷結していく。

 

 エスナは空中へ跳ぶ。細い線に変形させた両手の指を高速回転させて、スノウドラゴンを全方位から襲った。

 スノウドラゴンは全身の鱗を凍結させて防御する。

「意識を逸らしたな……!」

 ユークリウットは光に包まれた拳でスノウドラゴンを翼の上から殴った。激しい衝撃音と共に鱗を覆う凍結部分に亀裂が入ると、すかさず次の拳で殴りつけた。

 スノウドラゴンが片足立ちになる。


 ユークリウットは地面をドン、と殴りつける。周辺の積雪が爆発を起こしたように上空へ飛び、ユークリウットとスノウドラゴンの間の地面が大きく割れた。


 スノウドラゴンの巨体が分断された足場と共に崖のほうへ傾いていく。崩壊する地面から離脱しようと屈んだ瞬間、ユークリウットの光の大槍とエスナの高速回転する線が同時に叩き込まれる。

「グウウウッ!」

 スノウドラゴンは両翼を使って防御には成功したが、代わりに離脱する機会を失い、崩落する地面と共に崖から落ちていった。

「やったか?」

「いや、まだ落ちていない」

 スノウドラゴンが積雪の多い山の斜面に何とか留まっていた。

「落ちろ!」

 ユークリウットは光に包まれた両手で山頂の地面を上から押した。

 山頂全体が大きく揺れ、その振動は積雪を揺り動かして雪崩なだれを誘発させた。

 大量の雪がスノウドラゴンを飲みこんで山の西側へ落ちていく。落下地点には山脈の間に形成された湖があり、スノウドラゴンの巨体が湖面に叩き落ちると大きな水柱が発生した。


「ふう……」

 膝を折ったユークリウットはエスナと共に湖を眺める。

「先生を東側へ待機させたのはこのためか。だが、雪山から落としたくらいであの巨体が死ぬのか?」

「ただ落としたわけじゃない。重要なのは水中に落ちたということだ」

 湖の中に入ったスノウドラゴンは溺れた子どものようにもがき苦しんでいた。

「水が弱点だったのか?」

「熱だ。生物の大半は体内に熱を抱えていて冷気に当たると弱くなるが、スノウドラゴンは違う。全身が氷で覆われても凍傷も発生せず普通に活動し、大量の雪を体内に取り込んでも何の体調変化も起こさなかった。生物の観点から考えれば真逆の性質こそが弱点になっても不思議じゃない」

「玉雪の山頂、踏むべからず――この言葉が示すように、スノウドラゴンの発見は雪山でしかない。餌なら陸地のほうが多いのに雪山から離れようとしないのは温度差のせいか」

「極寒を日常にした生物が不凍の水の中へ落ちたんだ。普通の生物からすれば熱湯の中に入れられたのと同じだろう」

「先生の入れ知恵があったとはいえ、さすがジベス博士の息子といったところだな」

「ああ。親父やキュエリのおかげで、スノウドラゴンなんていう生ける伝説を倒すことができた。この功績は歴史になるぞ」

「私にとっては状況を目の当たりにしただけで研究しがいのない歴史だがな。私は先生を迎えに行く。ミルファを頼むぞ」

 エスナは息を深く吐くと山の東側に向かって跳躍した。


「さすがにあいつも疲れたか」

 ユークリウットは疲労感の強い体を動かして山頂の隅に隠れていたミルファの下へ向かう。

「おい、ミルファ。ミルファ」

「……ああ、どうしたんですか?」

 しゃがみ込んでいたミルファが首を上げる。唇が紫色に染まり、顔色も悪く、ぼんやりとした瞳は灰色がかっていた。

「そっちがどうしたんだよ」

 ユークリウットは一瞬身構えるも平素を装って返事をした。

「ちょっと疲れただけですよ。空気も薄いし。山を下りればどうということはないですが……」

 ミルファが立ち上がる。その体がふらりとよろめいた。

「無理するな」

 ユークリウットはミルファを背中に負ぶった。ミルファも素直に応じた。

「いいんですか。『竜殺し』がドラゴンを仕留めにいかなくて」

 ミルファは今も湖面で暴れているスノウドラゴンを見やる。

「人間は調べたい生物を標本にするとき結果的に殺すだろ。俺がドラゴンを殺すのはそれと一緒だ。憎くて殺しているわけじゃない」

「ドラゴンを見つけたら普通は逃げますからねえ。私も進んで立ち向かっていく奇特な人なんてユークさんしか知らないです」

「スノウドラゴンなんていう伝説級のドラゴンに立ち向かっていった奴が何言ってんだよ」

 ユークリウットは足の底に角度をつけて積雪のある斜面を滑るように下っていく。

「……好き嫌いで行動をしているわけじゃないんですよ」

 ミルファは顔を横に向ける。

 積雪の表面に山を下っていった足跡を見つけると安堵した。

「分かってる。現地人を尖兵に使っている連盟に比べりゃミルファは立派だよ」

「そんな私も連盟員の一人です」

「広大な青空の中に小さな虹が発生してもその七色はちゃんと色を示すだろ」

「詩人気取りですか。今日のユークさんは調子に乗っていますね」

「そういうミルファは覇気が無いな」

「疲れているって言ったじゃないですか。耳の中にヤドカリでも飼っているんですか?」

「標高が低くなってきたらキレが戻って来たな。頂上に戻るか」

 ミルファはユークリウットの背中を叩いた。その打撃は弱々しかった。


「自己犠牲なんて考えはもう捨てろ。他人を助けられても自分が死んだら何にもならん」

「私の感情を決めるのは私です」

「こんなになってもまだ言うかね」

「何度でも言いますよ。私のお姉ちゃんがそうだったから」

「以前、この大陸で姉の存在を近くに感じるとか言っていたな」

「ええ。早く会いたいです」

「まるでもうすぐ会えるような言い方だな。根拠でもあるのか?」

「さあ、何故でしょう。でも、このままみんなで旅をすれば必ず会える気がするんです」

「みんな、ね」


 斜面を降りていくユークリウットは東側の向こうに広がる大海原を眺めた。


////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る