第30話 系統樹の異物


 その日は空が灰色の雲に覆われて小雨が降っていた。

 ユークリウットたちは数度の野宿を経て北東へ進み、現在は水流の勢いが盛んな山川の近くを歩いていた。


「キュエリさんの傘、お洒落ですね」


 四人の先頭を歩くミルファが背後にいたキュエリの傘を見やる。

 キュエリが持つ傘は竹で骨組みをつくり、大きな葉を骨組みの節に挟んだもので、エスナも同じものを持っていた。


「エスナが作ってくれたの。上手でしょ?」

「先生、そんな……私ごときが作った傘を名宝だなんて」

「そこまでは言ってないと思いますが」

「ミルファはいかにもマシン・ヒューマンって感じね」

 ミルファは右手の先を大きな葉っぱの形に変えて体を雨から隠していた。


「それにひきかえユークさんは」

 ユークリウットは表面がイボで覆われている肌色の合羽かっぱを羽織っていた。

「ユークさん、その服すごく気持ち悪いです」

「ダチョウの皮だぞ。耐水性にも優れていて輝石五つでようやく買える代物だ」

 キュエリが残念そうに溜め息をつく。

「輝石が五つあれば半年は食に困らないというのに、どうしてそんな見た目の悪い雨よけを選んだのかしら」

「ユークさんですから」

「その一言で片付けようとするな」

「でも、ここは気温が下がりやすい高山盆地だからユークリウットの雨よけも理には適っているけどね」

「さすがキュエリ、この上着の重要性をよく分かっているな。後で着せてやるよ」

「あ、それは嫌」


 林の葉がふいに擦れる。

 木々の奥から巨大な怪鳥が姿を現した。体高は約四メートル。厚い下毛に覆われた檸檬型の体からは瞬発力のありそうな三本指の両足と長い首が伸びている。大きな体の上部には小さな頭部とくちばしがある巨大鳥類モアが首をキョロキョロと動かしていた。


「な、何ですかあの大きな鳥は」

「あれはモアという鳥類だ。ダチョウの仲間で大人しいやつだよ」

「鳥といっても羽が無いですよ」

「鳥類の中でも進化の過程で羽を獲得しなかった種は大勢いて、モアはその内の一羽だ」

「うーん。スズメやカラスは一目で鳥類って分かるけど、あのモアっていう生物は体が大きいから鳥というよりも恐竜って感じがします」

「そりゃそうだ。恐竜が進化した生物が鳥類だから似ているのは当然だよ」

「ユークさんは何を言っているのですか。あんなに大きくて強い恐竜がどうして小型化して非力になるんですか。大型化するならまだ分かりますけど」

「ユークリウットが言っていることは事実よ。地層を調べるとこの惑星が過去にどんな歴史を辿ってきたのかが分かるのだけど、地球は度重なる海退かいたいや気候の寒冷化、火成かせい岩石区がんせきく(火山帯台地)の形成、海洋の無酸素状態など生物が大量絶滅してしまうほどの過酷な環境変化が何度も起きていて、その度に生物は進化の選択を迫られたの。恐竜だと大規模な寒冷化の影響でそのほとんどが死に絶えたけど、生き残った種は寒さに耐えるために下毛を発達させた。それに、今まで餌にしていた他の生物の多くも死に絶えたことで食料確保が難しくなったから食を細くして徐々に小型化していったの」

「キュエリさんのおかげで説得力が段違いになりましたが、それでもにわかに信じられません」


「翼竜からの進化を想像すると分かりやすいかも。翼竜は皮膜(鳥でいう翼)を使って空を飛び、嘴に似た長い前顎骨ぜんがくこつ(前に突き出た口の骨)を持っていて、下毛が発達している種も多い。体の内部では頭蓋骨、上腕骨、骨盤や大腿骨、手の骨、足の骨などの骨格が鳥類と酷似している点や、哺乳類のような横隔膜の収縮による肺呼吸ではなく、気管と直接繋がって呼吸をする気嚢きのうや、卵で生命が誕生する有洋膜卵ゆうようまくらんなどが共有きょうゆう形質けいしつとして恐竜と鳥類のどちらにも残っているの」


 エスナが今の話に付け加えるように話し始める。

「生物種はある日突然発生するわけじゃない。研究者が使う用語の一つに適応てきおう放散ほうさんという言葉があるが、これは周囲の環境や生活に応じてより生き延びやすい性質を獲得し、長い年月をかけて形質を変える進化をすることで、恐竜が適応放散した結果があのモアのような鳥類というわけだ」

「お二人にそう言われると恐竜の進化形が鳥類だって思えてきました」

「あくまでユークリウットには耳を貸さないのね」

 キュエリは横目でユークリウットを見る。

 ユークリウットは険しい表情で川の向こうを眺めていた。


「どうしたの?」

「あいつらがいる」

 ドスン、と遠くで鈍い音が鳴った。

 モアが林の中へ逃げ去っていく。


「これ、何の音ですかね」

「いったん木の中に隠れましょう」

「濡れちゃうなぁ」

 ミルファは雨で濡れた枝葉を見て困った表情を浮かべる。

「エスナ、この傘、袋に入る?」

「捨ててください。また作ります」

「素敵な傘だったわ。ごめんね」

 二つの傘が木陰に捨てられる。

 エスナはキュエリを背中に背負うと、左手をミルファと同じ要領で二人分の雨よけをつくった。


 四人は林の中を進んでいく。

「あれか」

 ユークリウットが木々の間から山川のほうを眺める。

 全長十五メートルの草食恐竜トリケラトプスが、二倍以上の大きさを誇るメドウドラゴンに襲われていた。


「メドウドラゴンって標高の高い高山地帯にも来るのね」

「川辺を住処にしている奴だからな。上流にだっていることもあるさ」

「ユークさん、あっちの灰色の恐竜は何ですか?」

「トリケラトプスといって草食恐竜の中で最強と言われている種だ。頭に生えている二本角を使えばこの前のマプサウルスのような肉食恐竜でさえ一撃で仕留めることができる」

「草食恐竜のほうが肉食恐竜より強いんですか?」

「草食恐竜は草食だから肉食よりも内臓が大きくなりやすいから肉食恐竜と比べて体も大きく育つし、それに簡単に捕食されないよう防御力に特化して皮膚も厚くなる」

「生物の特徴や性質を観察すると、その本質って結構見えるのよ。あのトリケラトプスもそうだけど草食恐竜には利点がある反面、四速歩行の影響もあって恐竜種の中では足が遅い。その逆に、肉食恐竜は狩りを行う側だから基本的に二足歩行で足がはやい」

「でも、一見しても草食と肉食の違いって分からないですよね」

「一番簡単な見分け方は歯を見ることね。肉食は肉を効率よく噛むために歯が鋭くなっていて、草食は硬い植物を消化しやすいようすり潰すために平らなの」

「他には海洋に生息している魚竜なんかもいるぞ」


「だいたいは分かりました。でも、それなら歯が尖っているドラゴンも肉食恐竜に分類されるんですかね」

 ミルファのその質問は、それまで饒舌だったユークリウットとキュエリを閉口させた。

「どうしたんですか。二人して急に黙って」

「ドラゴンに関しては進化がよく分かってないのよ」

「姿や形、体の構造なんかは恐竜に似ているが、どう進化したのかと言いたくなるくらい恐竜とは性質が違うからな」

「どういうことですか?」

「あれを見てれば分かるさ」


 ユークリウットはメドウドラゴンとトリケラトプスを指差す。


 トリケラトプスは頭部の二本角の先端をメドウドラゴンに向けて突進した。

 メドウドラゴンの首の付け根がぷっくりと膨らむと、口の奥から水の銃弾を吐きだし、トリケラトプスを轟音と共に吹き飛ばした。

 山川の淵で仰向けになったトリケラトプスがもがき苦しむ。

 メドウドラゴンは頭部を川の水面につけると、水面に渦ができるほど水を大量に飲み込む。頭部を戻し、首の付け根を再び膨らませる。水柱が高速で吐き出されてトリケラトプスの腹部を貫いた。

 勝負が決すると、メドウドラゴンはトリケラトプスの体に牙を立てて、その肉を食べ始めた。


「メドウドラゴンは体内に水を蓄える器官があって、その水を自在に操る特殊能力を持っている」

「進化というものは基本的に『収斂しゅうれん』と『消失しょうしつ』を繰り返す。例えば人間とオランウータンは共通祖先をもった生物で、共に尾骶骨びていこつという相同そうどう(同じ祖先から受け継いだ構造)があるけど、樹上生活を行うオランウータンは姿勢を保つために尾骶骨をよく動かすから今も長い尻尾を持っている。それに対して、陸上で生活する人間は二足歩行で移動するため尾骶骨を使わなかった結果、尾骶骨という器官そのものが廃れたの」


「えっと……つまり、特定の恐竜がドラゴンに進化したと仮定した場合、特殊能力のはしりのような器官が備わっている恐竜がいるはず、ということですかね?」

「そう。でも、その恐竜とドラゴンの生物進化を繋ぐ『中間の生物』がジアチルノイア大陸のどこを探しても見つからなかった」

「キュエリさんたちがアリメルンカ大陸に来たのって、その『中間の生物』を探すためですか?」


 その問いに対してエスナが首をふった。

「私たちの目的は『中間の生物』ではなく、その奥――」

「エスナ」

 キュエリがエスナを制する。

 エスナはハッとした表情を浮かべると閉口した。


「……私、お二人の癇に障るようなこと言いましたか?」

「そういうわけじゃないの。推測を無闇に公言するのは研究者のする事じゃないってだけ」

「これぞ真の研究者って感じですね。片や、すぐに知識をひけらかすユークさんは頭でっかちにしか見えません」

「なぜ矛先を俺に向けた」

「難しい話あまり好きじゃないので」

「ただの嫌がらせかよ」

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 山川を抜けたユークリウットたちは厚手の外套を着て高原地帯を歩いていた。

 地面には高山植物が生え広がり、高山の隙間からは遠くの山々が一望できた。


「気圧の影響で寒いわね」

 キュエリの吐いた息が白く染まった。

 日光が差す中、四人は山間の窪みに大きな湖が見える丘で一息つく。


「これ、何ですか?」

 高原の端にいたミルファが二つに折れた円柱の建造物を指差す。

「古代文明の名残じゃないかしら。材質もセメントだから」

 キュエリは建造物を端から端まで眺める。外壁の劣化が激しく、折れて横たわっている先端部分は鳥類の休憩地になっていた。

 エスナが建造物に手を置いて感触を確かめる。

「山の麓にもこれとよく似た建物の残骸がありましたね。監視塔なのか、それとも高低差を利用して荷物の運搬手段なのか」

「運搬じゃないかしら。風羽をつけて風車にすれば発条を巻く要領で仕事の力を得られるから」


「くしゅん!」

 ミルファが体を両手で抱きすくめる。鼻柱が少し赤くなっていた。


「亜熱帯地域といっても高山に来れば寒帯に様変わりするのよね。体調が悪い人いない?」

「心配するのはキュエリのほうだろう。マシン・ヒューマンなら能力を使って好きに暖気を得られるはずだ」

 ユークリウットは足元を観察しつつそう答えた。

「さっきからユークさんは何をしているんですか。心でも落としましたか?」

「うるせえよ」

 ユークリウットは懐からジュエに貰った地図を取り出す。

「少し困ったことが起きた」

「どうしたの?」

「この辺に馬車や人の足跡がある。しかも大所帯だ」

「じゃあ連盟かもしれないわね」

「ミルファが所属していた部隊が俺たちよりも先にこの高山地帯を越したのか?」

「おそらく別働隊ね。アリメルンカに渡った連盟の部隊は二つのはずだから」

「私がいた部隊の他にもう一つ部隊が組織されていたってことですか?」

「そうなるわね」

「救世連盟は困っている人を助ける組織なのに何で……」

 ミルファは苦々しい表情を浮かべた。


「しかし、困ったとはどういうことだ?」

 エスナの問いに対して、ユークリウットは地図を広げた。

「キュエリたちの目的地はここから北東にある半島だよな?」

「ええ」

「地図を見ると、現在地から半島に続く道が東側と北東側の二つがあるが、連盟の連中は轍から推測して東の道へ行ったはずだ」

「東の道は高原が続くけど、山を大きく迂回しちゃうからちょっと遠回りになりますね」

「北東の道は半島と一直線だが山を一つ越えなければならん」

「半島に到着する速さを考えれば北東の道のほうがよさそうですが」

「北東の道は駄目だ。『スノウドラゴン』がいる可能性が高い」

 ユークリウットは北東に聳える頂が白く染まっている山を険しい表情で眺めた。


「ドラゴンだったらユークさんが倒せばいいじゃないですか」

玉屑ぎょくせつの山頂踏むべからず」

 キュエリがふいに呟く。

「何ですか、それ?」

「連盟の研究者たちに伝わる箴言の一つで、雪がある山の頂上には行くなっていう意味の言葉ね」

「この際はっきり言うぞ。もしもスノウドラゴンと遭遇したら俺たちは全滅する可能性が高い。ドラゴン種の中でもこいつはと呼べる存在だからな」


「そんなまさか」

 ミルファは笑うも、ユークリウットの真剣な表情に気圧されて口を閉ざした。


「なら、連盟と接触するかもしれないけど東の道へ進むの?」

 キュエリの問いに対してユークリウットは頷いた。


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