第23話 狩猟


 ミルファは盾に変形させた両手で体を隠しつつ梢の中を高速で抜けると、大きな崖がある渓谷に出た。谷間の上流から白い霧が流れるように降りてくる。中空にいたミルファは左腕を伸ばす。手の先が紐状に変形して矢尻の形になった尖端を断崖に向けて発射して突き刺すと、紐を巻き取りながら体を断崖の壁面に着地した。


「何だ、獣か?」

 先に到着していたマシン・ヒューマンの一団が崖の上から渓谷を覗き込む。


「どいて、どいて!」

「うわあああっ!」


 急浮上したミルファが崖を覗きこんでいた者たちを咄嗟にかわす。空中で数度回転したあと崖の縁に着地した。


「あんた……さっき村にいた娘じゃないか?」

「皆さんの仕事ぶりを見たくてやって来ました」

「何も知らず狩りの現場に来るとは……」

「でもこっちは魚の収穫が主だから別にいいんじゃないか」

「それにこの娘すごいんじゃないか。すごい複雑な変形をやってたぞ」

「あなたもマシン・ヒューマン?」

 ミルファは右手を顔の高さに上げると、五本の指をそれぞれ小刀、突き匙、匙、小皿、御猪口に変形させた。

「すげえ!」

「器用だなあ」

「村の中でも一度にそんな複雑に変形させられる人なんていないわよ」


 ミルファと同じことを挑戦している者が何人かいたが、一度に指の二、三本を変形させることが精一杯だった。


「足手まといにはならないと思いますよ」

「むしろ頼りにするかもしれねえな」

「人を助けることに関してはやぶさかではありません」

「頼もしい嬢ちゃんだ」

「先ほど決めたとおり水辺班と陸地班に分かれて狩猟を行ってもらう。太陽があの山の頂点に触れたところで各自帰村してくれ。解散!」


 男がそう宣言すると、マシン・ヒューマンたちはそれぞれの班に分かれていく。


「君はこっちにこないか? 陸上班は集団で狩りを行うから簡単だよ?」

「あのね、こういう器用な人こそ水辺の狩猟に向いているのよ」

「能力が高いといっても初心者の女の子よ。まずは体験程度にするべきだわ」

「マシン・ヒューマンに男も女も関係ないさ。村じゃ女のほうが多いんだから」

「それに変形能力は俺ら男よりも女のほうが優れているからなぁ」

「男の癖に情けないことを言って! 腕力があるでしょ腕力が」

「で、あんたはどっちへ行きたいんだ?」


 質問を受けて、それまで考え事をしていたミルファが顔を上げる。

「皆さんが私に対して多大な期待を寄せている事はわかりました。なので、どちらの期待にも応えたいと思います。まずは水辺班に参加します!」

「おう、よろしく頼むぜ!」

「助力ありがとう。でも水辺はあんまりなめない方がいいわよ」

「ご心配なく。私、何でもできます」



 ユークリウットは樹木の上から渓谷にいるミルファの様子を眺めていた。


「あいつ調子に乗ってないか?」

「この世界では天真爛漫てんしんらんまんな人は貴重よ」

「ミルファは水辺へ向かうそうですが、先生、私たちはどうしましょう?」

「離れたところからミルファの活躍ぶりを観察する、でいいんじゃないかしら。エスナはともかく、私とユークリウットの存在は彼らにとって好ましくないから」

「私が先生に新鮮な魚を釣って贈りたいところですが、この男と二人きりにさせるわけにはいきませんからね」

「何もしないさ」

やましさを抱えている者は決まってそう言う」

「善良が一切無いという前提で話を進めるのもどうかと思うぞ」

「自分が竜人だということを忘れているわけじゃないだろうな?」

 

 竜人という単語を聞いて、ユークリウットは鼻を鳴らして引き下がった。


 マシン・ヒューマンたちは二つの隊に分かれる。

 一方は下流へ向かい、もう一方は山側へ向かっていく。

 ミルファは水辺の班と共に渓谷のほとりを下っていく。霧が薄くなったところで跳躍を始め、程なくして下流に到着した。礫が川辺を覆い、植物もほとんど生えていなかった。川中には大きな岩石がたまっていて上流からの川水を蛇行させていた。霧は完全に晴れていて、頭上を隠す枝葉も無いため山中にいながら太陽光を全身に浴びることができた。

 マシン・ヒューマンの青年は川水を左右に分ける岩の上に乗り、木で作った銛を構えながら水中をじっと観察する。しばらくして餌を探す岩魚を見つけた。


 ――ボッ!


 青年は銛を勢いよく放つ。

 刃先は川底に突き刺さり、岩魚は下流の方向へ逃げていった。


「あちゃー」

「道具なんか使うから逃がすのさ」


 岩の端にいた女性は右手を細長い槍に変形させる。息を静かに吐き、少し離れたところを泳いでいた魚に狙いを定め、槍の先を一気に伸長させる。

 魚が水面で跳ねる。日光で輝く横腹には女性が伸ばした槍が突き刺さっていた。


「どうだい」

「槍への変形が苦手でどうもすいませんねえ」

 勝ち誇った笑みを浮かべる女性の後ろで青年はそうぼやいた。


「面倒なことをしていますね」

 川辺にいたミルファが岩の上に飛び移る。


「こうすると楽ですよ」

 ミルファは川の上空に跳び、圧縮空気を体の真下に放出して浮力を得ながら両手を前に出す。十本の指が先の尖った細長い線に変形して、川の中へ勢いよく飛び込む。圧縮空気を放出して空中を回転しながら岩の上に戻った。

「よっと」

 ミルファは両手を上げる。川から戻した指の先端全てに魚が突き刺さっていた。


「魚の入れ物はどこですか?」

「えっと、川辺に置いてある。でも、血抜きをしなきゃ」

「すごいわ……あ、私、手伝ってあげる」

「あたしも行くよ」


 マシン・ヒューマンの女性たちが集まってきてミルファから魚を受け取る。


「俺は獲物が掴まるまで岸には戻らねえからな……ああ、また失敗だ」

「頑張ってください」

 ミルファは岸に飛び移りつつ、指を元に戻した。


「大漁だねえ」

 女性たちは指を変形させた刃物を用いて魚の血抜きを始める。

「魚をこんなに取ってしまいましたが大丈夫ですか?」

「心配ご無用。ちゃんと保冷庫を持ってきたから」

 女性が指さした先には棺に似た木製の木箱が置かれていた。

 ミルファは木箱を開ける。内壁を覆った植物の葉の上に固められた雪の板が敷き詰められていた。


 女性たちが血抜きに精を出す中、手持ち無沙汰になったミルファは散策を始める。

「何をしているんですか?」

 ミルファは川辺で麦藁帽をかぶった二人の老父に尋ねる。

 老父たちはそれぞれの釣り糸を川に垂らしたまま黙していた。

「永眠したんですか?」

「……」

「あ、真向かいの岸辺に胸の大きい女性が」

「何?」


 老父たちの両目がカッと見開いて対岸を見た。

 そこには全長十七米の魚食恐竜スピノサウルスが水を飲んでいた。


「見間違えました」

「クソ小娘が」

「外道じゃな」

「そこまで言いますかこの爺たちは」

「お譲ちゃん、すまんがあっちへ行ってくれ。俺とこいつは長年釣りを競い合っていて、今も闘いの最中なんじゃ」

 柔和な顔つきの老父は細い紐に変形させた人差し指を川の中に落としていた。

「……女人禁制、一竿風月いっかんふうげつ竜攘りゅうじょう虎搏こはく。釣りとは男の闘いなのだ」

 むっつりとした老父は枝先につけた蔓を糸代わりにして釣りを行っていた。


「釣れませんね」

 川に足を投げ出して座っていたミルファが欠伸をかいた。

「お嬢ちゃんがさっき指さした恐竜がいるじゃろ。あいつは有名な釣り場荒らしで、魚ばっかり食べる悪い奴なんじゃよ。今は水を飲んでいるだけじゃが、魚にもあの大きな姿は見えているからどこかへ逃げちまう」

「……フン。見苦しい言い訳などするな。技術が足りないのだ、技術が」

「たくさん釣ったほうが勝ちなのですか?」

「……そうだ」

「今のところは互角ですね」


 ミルファは老父たちが持ってきた保冷庫の蓋を開けて、それぞれに釣果がないことを確認した。


「釣りって魚を獲るには効率悪い手段ですよね」

「効率じゃなくて闘いじゃ」

「あ、上流側にお尻の大きいお姉さんが」


 二つの麦藁帽子の下で両目に鋭く動く。

 血走った眼に映ったのは大岩が横に二つ並んでいる景色だった。


「天狗じゃ、人化かしの天狗がおる!」

「……悲憤慷慨、不倶戴天、九腸寸断!」

「あはは。この勝負、お爺ちゃんを二人釣った私の勝ちですね」


 ミルファは立ち上がると圧縮空気を放出して大きく跳躍し、林の奥へ向かった。


「そろそろ陸地班のほうへ行ってみようかな」

 ミルファは空中で一度吸気したあと跳躍を続け、濃霧が立ち込める山の斜面の上を移動する。

「農務は流石に冷たい……けど、もう少しで終わりかな」

 寒気の中に温い空気が混じってくるのを感じ取る。それからすぐに広大な平野が出現した。


 ミルファは上空から景色を一望する。平野は樹木などの遮蔽物が無く、地面の多くは土肌が露出していて埃が空中に舞うほど空気が乾燥していた。


「少し移動しただけでこんなにも気候が変わるなんて……あれ?」

 ミルファは平野の奥を見やる。数時間前に渓谷で別れたマシン・ヒューマンの一団が大型肉食恐竜マプサウルスの群れに追われていた。


「おい、あんた!」

「え?」

 地面に降りたばかりのミルファが背後へ見向く。

 息を切らしていた中年の男性が負傷した青年に肩を貸していた。

「村に来た譲ちゃんだろ。頼む、あいつらに力を貸してやってくれ!」

 中年の男性が恐竜に追われている一団を見る。恐竜の群れからひたすら逃げ惑っていた。

「最初は草食動物を中心に狩っていたんだが、運悪くあの恐竜どもに見つかっちまった。二、三頭は倒したが、その時にこいつの他にも何人か負傷しちまった」


 中年男性の後ろに二人の男女がいた。若い女性は骨折した腕を逆の手で押さえ、地面に横になっていた男性は上半身の左側が欠損していた。

「きゃあ!」

 女性が叫び声を上げる。少し離れた草薮から、背部の表面に細かな突起物が生えている全長五メートルほどの恐竜の群れが顔を出した。


「こっちにも恐竜かよ!」

 中年男性が苦い表情を浮かべる。

 ミルファが右腕を剣に変形させた。


「待て!」

 空中で縄抜けしたユークリウットと、キュエリを抱きかかえるエスナが降ってきた。

「あいつらはサウロペルタという草食恐竜だ。近づいたりしなければ襲ってこない」

 恐竜――サウロペルタの群れは攻撃する素振りもなく草薮の奥へ逃げて行った。


「おい、大丈夫か?」

 遅れてやって来たジュエが横たわっていた男性を揺する。

 エスナがジュエの服をぐいと引っ張って男性から引き剥がした。

「何すんだよ!」

「うろたえるな。息さえ止まっていなければ延命は続けられるし、欠損した部分も体細胞の変形修復によって元に戻すこともできる。マシン・ヒューマンなら分かるだろ」

「あ、ああ、そうだった。すまん……」


 ユークリウットは平原を走る恐竜の群れを見て顔をしかめた。

「マプサウルスか……厄介だな」

「すごい恐竜なんですか?」

「恐竜種の中でも特に危険な奴らだよ。恐竜種では珍しく社会性を持ち、群れで攻撃を仕掛けてくる。体長は十メートル程度だが小回りがきいて持久力もある。数人程度の竜人やマシン・ヒューマンが相手だったらおそらく負けるだろうな」


「それじゃあ早く助けないと……」

 ミルファは堰を切ったように駆け出した。

「はっ、ここでも人間大事かよ」

「エスナもミルファの助力に行ってあげて」

「先生を残していくのが心苦しいですが、ご指示となれば向かいます」

 エスナはキュエリを地面に下ろすとミルファの後を追っていく。


「二人をお願いね」

 キュエリはユークリウットの臀部をポンと叩く。

「竜人なんか連れて行けるか」

 ジュエが釘を刺す。

 負傷したマシン・ヒューマンたちもユークリウットに警戒の目を向けていた。


「ジュエさん、彼は竜人でも信用に値する人物よ。見逃せないかしら」

「竜人だから信用ならねえって言ってるのさ」

「人の命が懸かっているのに自尊心ばかり膨らませていったい誰が助かるっていうの?」

「やめろ、キュエリ」

 ユークリウットが手を伸ばして二人の会話を止めさせる。


「竜人のくせに物分りがいいじゃないか」

「そんなに竜人の厄介になるのが嫌なら俺を止めてみろよ」

 不敵に笑ったユークリウットは、ジュエに見向いたまま背後に跳躍した。空中でひるがえり、光に包まれた両足で平野の上を疾走し、マプサウルスの群れへ向かっていった。


////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る