第19話 遺言を果たすとき

 

 ユークリウットは霧が立ち込める湖のほとりで顔を洗っていた。

 昨晩、キュエリの提案で四人は村から離れることに決めた。村人を殺害した犯人とその目的が不明のため、村内で夜を明かすのは危険と判断し、村から六里ほど離れた湖の近くで野営をした。


「お疲れ様」


 髪をぼさぼさにしたキュエリが欠伸あくびを噛み殺しながらユークリウットの下へやって来た。

「よく眠れたか?」

「あんまり。考えることも多かったからね……」

「他の二人は?」

「今は寝てるわ。ユークリウットは寝なくていいの? 見張りを長時間やらされたみたいだけど」

「眠りが浅い体質なんでね。それに深い眠りについたら七年前の悪夢に出会っちまう」


 キュエリはユークリウットの隣に来ると水筒の水で口をゆすぎ、洗顔した。くしで髪をかし、小箱に入っていた椿の油を手のひらに乗せて髪を軽く整える。


「村の調査はどうだった?」

「犯人を断定できる痕跡は見つからなかったけど、ユークリウットたちの話や、死体が完全に硬直していなかったことから、犯行が行われたのはおそらく昨日の昼過ぎであることは確かね」

「俺とミルファが村から出たのが昨晩未明だ」

「私とエスナが村に到着したのは昨日の夕方頃」

「じゃあ殺人が行われたのはお前らが到着する前ってことか?」

「もしかしたら入れ違いかもしれないわね」


 ユークリウットは周囲に不審な人物がいないか暗に探った。


「昨日の夜、見張っていて何か変わったことはあった?」

「特に無かったよ」

「竜人のユークリウットに高位のマシン・ヒューマンのエスナとミルファがいるのだから、もしも追っ手がいればすぐに見つけられると思うけど」

「……なあ、一つ聞いていいか?」


 ユークリウットは周囲に他の気配がないことを確認した上で話を切り出した。


「なに?」

「何で連盟を脱退してまでこのアリメルンカ大陸に渡ったんだ?」

「私の思想が連盟の思惑と不一致だったから。アリメルンカに移ったのは私の仮説を裏付けるため」

「連盟に熱心に追われているそうじゃないか」

「仕方の無いことよ。私が今の研究を進めていくと連盟にとって重大な不利益が生じるから」

「何の研究をしているんだ?」

「表向きは考古学。でも本当に研究しているのは生物発生学。あなたの父ジベス=ローヴェルが専攻していた分野よ」

「親父が専攻していた……?」

「ユークリウットは救世連盟のことをどれだけ知ってるの?」

「人間種が三百年前にジアチルノイア大陸で設立した組織のことだろ。長らく竜人に奴隷化されていた人間が竜人に対抗するために徒党を組んでマシン・ヒューマンを取り込み、今では数万人を抱える巨大組織になった……それが今の救世連盟だと親父から聞いている」

「そう。そもそもは人が人を救済することを唯一の教義に掲げた組織だった。でも、特にここ最近はジアチルノイア大陸のみならずアリメルンカ大陸への布教を積極的に行っていて、連盟としてはとにかく組織を拡大したいみたい」

「人間を取り込むことは連盟の教義に反していないと思うが」

「人が増えると思惑も増える。そして、人の思惑は時に組織の原理を歪めてしまうこともあるわ」

「救世連盟で何が起きた?」

「……いずれ分かるわ」


「……まあいいさ。親父があんたに渡せと言っていた物を持っている」

「私に?」

「その前に聞かせてほしいんだが、親父とはどんな関係だったんだ?」

「非公式な研究仲間よ。救世連盟が竜人を人類の宿敵と見なしているのは知っているわよね。ジベスはその連盟を脱退し、ニュエルホンという村で竜人やマシン・ヒューマンと共同生活を送っていたから、連盟に所属していた当時の私がジベスと公に接触することはできなかった。でも、学術というものは人が集まって見識を深めるものだから、人目につかないところで自然とそういう繋がりができて文通相手になったってだけ」

「ニュエルホンはすごく閉鎖的だった。入植者一人を認めるのも村全体で協議するくらいだったな」

「ニュエルホンはジベスたちの理想だったのよ。人間、竜人、マシン・ヒューマンが差別せず、助け合って生きていくことを目的とした夢の国。でも、それも七年前に突然終焉を迎えた……ごめんなさい。あなたにとってはいい話じゃなかったわね」

「気にしなくていい。ただ、昔のことを思い出してね。俺はどこかの山中で倒れていた子どもだったらしいが、親父に拾われてニュエルホンの住民になった。村のみんなは優しかったよ。数十人程度の小さな村だったけど、人間のおっさんが遊んでくれたり、きさくな竜人たちと狩りに出かけたり、マシン・ヒューマンの女の人に木彫り細工をつくってもらった。親父も色んなことを教えてくれた。喧嘩や差別も無くて本当に良いところだったよ」

「村の生き残りのあなたなら村が全滅した理由を知っているんじゃないの?」


 ユークリウットは首を左右に振った。


「あのとき俺は木材の材料調達のために村から離れていて、帰ってきたら村が一面火の海になっていた……だが」


 幼き過去を振り返る双眸に鋭さが混じった。


「村の中に犯人らしき奴がいた。火でよく見えなかったが、剣のようなものを携えて、村の皆を笑いながら斬って回っていた。親父が火の中から出てきて俺と一緒に逃げたけど、山を下る最中に親父は火傷のせいで死んじまったよ」

「火の中を歩き回れるなんて少なくとも人間じゃないわね。それに剣のようなもの……どんな剣かは見えたの?」

「大まかな形くらいしか分からなかったよ」


 ユークリウットははかなげでなさも混じった苦い表情を浮かべた。


「それで、ジベスが私に遺したものって何かしら」


 ユークリウットは懐から取り出した革装丁の本をキュエリに渡す。

 細い指が紙をパラパラと捲っていく。


「……前半は恐竜とドラゴンについて書かれた図鑑。後半は日記帳ね」

「ああ。日記は文面からニュエルホンにいたときに書き記したものだな」

「特に変わったところは無いけど……気になる点があるとすれば、日記の後年のほうで文章の行間がやけに広い部分があることかしら。これについてはジベスから何か聞いてた?」

「そんな暇なかったさ。死ぬ間際にこれをキュエリ=フェイプラインに秘密裏に渡せって。後にキュエリが連盟員だと知ったときは驚いたし、どう渡そうか悩んだな」

、ね……分かったわ。とりあえず受け取っとくわね」

「ああ。これで心置きなく死ねるよ」

「ジベスの後でも追うのかしら?」

「生きる目的が無くなったってことさ。この七年間、連盟の様子を窺いながら一人で生きてきた。味気ない人生だったが、それでも失ってみると案外困るようだ」


 ユークリウットは自嘲気味に前髪をかき上げる。

 キュエリは両手でユークリウットの手を包むように握った。


「だったら次の目的を見つければいいじゃない」

「故郷を滅ぼした奴に復讐しろとでも言うのか?」

「そんな悲しいことに人生を賭けるくらいなら私たちに付いてきてくれない?」

「護衛か?」

「それもあるけど、私たちの目的地はジベスが生前に行きたがっていた場所なの」

「親父が……」

「親が成し遂げられなかった事を子どもが成すというのも生きる目的にはならないかしら?」


 ユークリウットは静かに佇む湖面を見て思案した。


「……俺も恐竜やドラゴンを調べることに興味がある。それも兼ねていいのなら、キュエリたちについていこう」

「ありがとう」


 キュエリの屈託の無い笑みを前にして、ユークリウットも柔和に微笑んだ。


「ミルファも姉を探したいらしいから、このまま一緒に連れて行くけどいいよね?」

「あいつもそんなこと言っていたな」

「それじゃ、よろしく」


 キュエリは手を伸ばしてユークリウットに握手を求めた。

 しかし、ユークリウットは握手をするよりも先にキュエリの腰を掴んで持ち上げた。


「何で抱き上げるのよ?」

「キュエリと話していると子供を相手しているような感じがしてな、つい」

「……これでも二十歳こえているんだから子供みたいな扱いは止めてね」

「幼児体型のくせに胸だけは大きいのな」


 そう言ったユークリウットの背中がふいに強く蹴られて、頭から湖面に突っ込んだ。

 宙を舞うキュエリをエスナが抱きかかえた。


「私がいないことをいいことに淫らなことをして。そのまま湖のコケにでもなっていろ!」

「あら、エスナ。おはよう」

「おはようございます。すいません、私が油断していたばかりに先生を危険な目に遭わせてしまって……」

「それはそうと湖から出ようとしているユークリウットの頭を踏むのを止めてあげたら?」


 そこでミルファが眠そうな顔をしてやって来る。


「はぅ、おはようございます……あれ、ユークさんはなぜ足蹴にされているんですか?」

「こいつが先生に性的な関係を迫っていた」

「ユークさん見損ないました。最低です。魚の餌にでもなってください」

わにが寄ってきたわね」


 数匹の鰐が顔半分を湖面に出した状態でユークリウットに近づいていく。


「いい加減に……しろよ!」


 ユークリウットが湖のふちに両手をつけて水しぶきを上げながら立ち上がる。


「きゃっ」


 エスナが足元から転ぶ。宙に浮いたキュエリを今度はミルファが確保した。

 エスナは地面に打ちつけた背中を手で擦りながら上半身を起こす。


「あ」


 エスナが間の抜けた声を漏らす。尻餅をついた足が大きく開き、恥部を覆う下着が、湖面から這い出たユークリウットの顔と一直線に並んだ。


「下着見えてるぞ」


 ユークリウットは興味無さそうにそう呟く。

 エスナは顔と耳を真っ赤にして足を閉じると立ち上がり、


「この、バカ竜人がああああああっ!」


 ユークリウットを蹴り上げて再び湖に落とした。


////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る