第15話 遺品を渡す相手


 樹林の奥に木漏れ日が落ちる湿地帯があった。地面に広がる沼の上澄みの水は透明度が高く、小魚が泳いでいる姿も見えた。

 ミルファは沼の奥にいた恐竜の集団をまじまじと眺める。

 太い首を持ち、体が鱗で覆われた全長四メートルの四足恐竜イスキガラスティアが群れを成してたたずんでいた。


「何かいますね。襲ってくる系の恐竜ですか?」

「雑食だが口が小さいから人間みたいな生物は食べないぞ」


 イスキガラスティアの群れはクリッとした双眼で湿地帯に来たばかりのユークリウットとミルファを静かに眺めていた。

 

 ユークリウットは沼に張り出た岩の上に立つと、背負い袋と黒革で装丁された本を足元に置いた。


「服を洗えばいいんだろ?」

「そのまま入ればいいんです、よっ!」

 ――ドカッ!


 ミルファはユークリウットを沼地に蹴り落とした。水面を叩く音にイスキガラスティアの群れが反応したが、何をするわけでもなく二人をじっと眺めていた。


 全身が水で濡れたユークリウットは顔にへばりついた前髪をかき上げた。


「お前、本当に滅茶苦茶だな」

「ユークさんは目の前に腐乱死体があったらどうします? 私なら捨てるか埋めます」

「そんな物と一緒にするな。しかし水が冷たい」

「ちゃんと全身浸かった状態で千数えてくださいね。いーち、にーい」

「鬼か」

「鬼じゃなくてミルファです」

「はい、はい」


 ユークリウットは全身を沼に浸ける。背泳ぎをして水深の深いところに行き、水中で体を何度か回転させて全身の汚れを落とした。


「ユークさん、これ何ですか?」

 ミルファは岩の上に置いてあった本を手に取る。


「それは親父の遺品だ」

「……ごめんなさい。勝手に触れて」

「構わないさ。図鑑を兼ねたただの日記帳だからな。中も見ていいぞ」


ミルファは本のぺーじを捲っていく。


「これ、すごいですね」


 ミルファは感嘆を漏らす。本には恐竜とドラゴンの特徴や生態系、攻撃方法、防御方法、進化論といった学術的資料が図解で事細かに記されていた。


「ユークさんのお父さんって本当に何者ですか?」

「親父のことはあまり知らないんだ。俺が知っているのは親父が村の長をしていたことと、恐竜とドラゴンに詳しかったこと。あとはジベス=ローヴェルという名前だけ」

「シベスって……もしかして救世連盟にいた学者のジベス=ローヴェルですか?」

「おそらくそうだろう。村じゃただの物知り爺さんだったけどな」

「だからドラゴンの倒し方とか知ってるんですね……でも、ジベス=ローヴェルって悪い噂もあるんですよね。十数年前に学者たちと一緒に連盟を脱退したし」

「脱退……か。おそらく、その後にニュエルホンをつくったんだろうな」

「人間、マシン・ヒューマン、竜人で構成された村でしたっけ。本当に平和だったのですか?」

「世間と比べれば長閑のどかな村だったと思うぞ。奴隷とか、差別とか、殺伐としたものとは無縁だった。ただ、七年前に俺一人を残して村が滅んだからもう拝むことはできないけどな」

「……その村で何があったのですか?」

「それを知る事も含めて今、とある人物を探している」


「……」

 ミルファはふいに視線を落として考え事を始めた。


「今度は俺から質問していいか?」

「お断りします」

「俺は答えてやっただろ?」


 ユークリウットは気だるそうな顔のミルファを無視して話を続ける。

「キュエリ=フェイプラインはどこにいる?」

「……なぜユークさんがその名を?」

「親父が死ぬ間際、その本を渡せと言った相手がキュエリという奴だからだ。そいつが連盟とは別でこのアリメルンカ大陸へ渡航したことを知って追って来たはいいが、いかんせん情報不足でな」

「私もユークさんとそう変わりませんよ。えーと、確か二十三歳の若さで連盟の研究機関を任されるような天才博士。確か一ヶ月前に助手と失踪したとか言っていたかな。あ、それと、年代的にユークさんのお父さんと同輩だった時期があるかも」

「親父の?」

「博士は五歳の頃から連盟で研究員をしていたらしいので。まあ、おそらくですが」

「そいつを見つけるために隊の貴重な戦力を割いているらしいな」

「もしかして私たちの話を聞いてました?」

「連盟の施設近くに隠れていたときに兵隊たちがそんな話をしていたぞ」

「機密も何もあったものじゃないですね」

「単刀直入に聞くが、連盟の目的は何だ?」

「さあ。少なくとも私は人探しをするためにこの地へ渡ったわけではないので」

「人間が大好きなミルファらしい答えだ。だが、何かはあるんだな。連盟が急ぐような何かが」

「昔はもっと違った組織だったんですけどね……」


 ミルファは小さくため息をついた。


「それで、この本を渡すことがユークさんの目的みたいですが、達成したら後はどうするんですか?」


 そう言われてユークリウットの目が点になる。


「どうしました?」

「村が滅んでからこの七年、親父の遺言を果たすことしか考えてこなかったからな……まあ、今はそれを果たすことが俺の人生だ」


 ユークリウットは自分に言い聞かせるようにそう呟いた。


「そろそろ行きましょうか」

「服を乾かす時間は?」

「空を飛んでいれば勝手に乾きますよ」

「他人事だと思いやがって」

「他人事ですから」


 ユークリウットは水面から飛び跳ねて岩の上に立つとミルファから本を取り上げる。水分を大量に含んだ衣服を絞り、背負い袋をいだ。


「ついてきて下さい」

 ミルファは両足を変形させて体に空気孔をつくり、圧縮空気を使って一足先に跳び立った。


「本当に行くのか……」

 ユークリウットは両足に淡い光を宿して出発する。

 


 移動するミルファの後方では、くしゅん、と寒そうな声が上がった。


 

 

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