沈黙の書店シャーク

みとけん

沈黙の書店シャーク

「ワオ、ここが日本の書店なのね!」


 一行の中で一番年若いミシェルは、建物に入るなり大手を拡げて大量の本棚の間を駆け回った。


「ハハハ……転ぶなよ、ミシェル。ダン、カメラの調子はどうだ?」


 浅黒い長身のダンは、眼鏡をくいと上げて答える。


「問題ないね。ここ、灯りは付かないのかい?」

 

「管理者の話だと電気は通っていないらしい。露出を上げておいた方が良いかもな」


「オーケー」


 ダンは軽く答えて手に持ったカメラをフロアのあちこちに向けてチェックし始めた。彼は、この旅の記録係なのである。


「この建物がまるごと放っておかれているなんて信じられないな」とケネス。「オリビア、時差ぼけは?」


「大分ましになったわ。ありがとう、ケネス」


「よう、ダン。この廃墟みたいな書店に稀少本があるってのは本当なんだろうな?」


「本当さ。賭けてもいい」


 マッド、ダン、ケネス、ミシェル、オリビアの五人が訪れたのは西日本は京都――そのとある町の大書店だった建物だ。この建物は今では廃ビルとなっているが、とある理由によって本を置き去りに、しかも取り壊されもされないまま残っている。


「それにしても、ケネスとオリビアが俺たちの動画撮影旅行に付いてくるなんてどういうつもりだい」


「興味があったのさ。この本屋、呪われているっていうじゃないか。それにな……」


 ケネスはマッドの肩に腕を回して、強引に本棚の影に連れ歩いた。


「実は俺たち、今回の旅行が終わったら結婚を決めているんだ」


「なんだって? こいつは驚いたな……」


 マッドはケネスの肩を叩いて笑った。


「すると、俺たちは知らない間に新婚旅行に付き合わされていたわけだ」


「いや、それを言うなら婚前旅行だろ」


「ハハハハハ!」


 マッドとケネスは大笑いして肩をたたき合う。そこに、撮影係のダンが本棚の隙間から姿を見せた。


「二人とも、何を笑っているんだい?」


「聞いてくれよ、ダン。ケネスのやつ結婚するんだとさ!」


「オーマイガー! そいつはビックニュースだな」ダンも笑って肩を組んでいるマッドとケネスをカメラで撮影した。「待てよ。ここに丁度良い本がある。『良い夫婦の11の法則』だとさ」


「そいつはいい!」


 ケネスはぎっしりと詰まった本棚からダンの言った本を引き抜いて、背表紙に積もった埃を一息で吹き払う。


「オリビアに愛想尽かされる前にこいつに出会ったのは運命に違いない。おお、神よ」


「おいおい、まだ結婚もしていないじゃないか」


「ハハハハハ!」


 三人の笑い声が大きく響く中、ケネスが手に持った本を開いた――その時、信じがたいことが起こったのである。


 マッドはダンが開いたページの中から、何か、とてつもなく大きく、恐ろしいものが真上の天井に向かって飛び出すのを見た。


「ワッツ!?」


 ダンも驚いたように、その「何か」の影を追って天井にカメラを向ける。


「ワッツハプン!?」


 ケネスは、呆然と今自分の手元から飛び出た巨大な影を見上げ、「ホーリーシット」と呟く。次の瞬間、ケネスの上半身がその巨大な影にすっぽりと覆われた。


「――サメだ!」


 マッドが叫ぶ。


 ケネスは上半身を、本の中から出現したサメに喰われていたのだ。体長六メートルもあろうかというその巨大な怪物は、ケネスの腰から下だけを口から生やしたようにしてびちびちと尻尾を震わせている。


「ケネスが!」とダンが悲鳴を挙げた。


 最早サメに喰われ掛かっているケネスは声にならない叫び声を挙げて、噛みついているサメごと闇雲に走り出した。一体となったサメとケネスはダンを突き飛ばし、真っ正面の壁に衝突して仰向けに倒れた。


「逃げるぞ、ダン!」マッドは助け起こしながら叫んだ。


「でもケネスが!」


「……今は逃げるんだ!」


 背後から甲高い悲鳴が聞こえる。異変に気が付いたミシェルとオリビアだ。


「ケネス! ああ、そんな」とオリビア。


「全員階段を上がれ!」


 マッドの叫びに、恐慌に陥っていた三人は一斉に階段へ殺到した。


「どうしてサメが!?」手足で階段を駆け上がりながらミシェルが言う。「おお、神よ!」


「管理者の言っていた呪いに違いないぞ。おお、神よ」


 一足先に二階に到達したダンは十字を切りながらそう言った。


「ケネスが……。ああ、そんな」


「オリビア」マッドは彼女の背中を叩いて励ました。「俺も残念だ。ケネスは良い奴だった」


「私、家に帰りたいわ」ミシェルが泣きながら呟いた。「こんなところ来るんじゃなかった」


「ミシェル。君は絶対家に帰すよ……約束だ」


「ありがとう。マッド」

 

「みんな、見てみろ!」とダンが階下を指差す。


 今し方駆け上がった階段の下では、水もないというのにサメが――口元を赤く濡らした巨大なサメが、今も獲物が自分の口先に足を降ろすのを待ち構えているように回遊している。


「悪魔め」憎しみを込めてマッドが言う。「奴は階段は昇れないらしい」


「私の家――」ミシェルが涙ながらに呟く。「私の家のプードルも、階段を上がれないの……おお、神よ。私が何をしたというの?」


「落ち着くんだ。三人とも、よく聞け――」


 涙を流すミシェル、呆然と階下のサメにカメラを構えるダン、それに立ち上がれない様子のオリビアが一斉にマッドの方を向く。


「まずは落ち着くんだ」


 それで三人は――いや、マッドも含めてようやく少しだけ冷静さを取り戻すことが出来たのだった。


「ダン。助けは呼べないか? 警察、軍、なんでも良い」


「駄目だよ、マッド――携帯が通じないんだ」


「なんだって?」


「私のも駄目」オリビアも肩をすくめて言う。


 マッドも自分の携帯を確認したが、やはり不通になっていた。


「ワッツハプン?」ミシェルが天を仰いだ。


「あのサメさ」ダンが眼鏡の位置を直して言った。「きっと、妨害電波を発しているんだ」

 

「ホーリーシット」マッドは思わず吐き捨てるように呟いた。「どうすれば良いんだ?」


「あのサメに弱点はないのかな」さっきからサメを撮影しているダンが言う。


「奴を仕留めるつもりか?」


「出来るならね」


「待って」オリビアが立ち上がって本棚に近づいた。「見て、丁度このフロアは生き物関係のフロアみたい。『世界のサメ図鑑』があるわ」


「そいつは良い!」


 オリビアが棚から図鑑を引き抜いてページを開いた。すると、図鑑の中から現れたサメが階段近くに立っていたダンへと恐ろしい速度で追突したのである。


 直ちにオリビアがこの世のものとは思えない悲鳴を挙げて図鑑を落とす。

 

「サメよ!」ミシェルが叫んだ。

 

 サメに追突されたダンはそのまま階段を転げ落ちる。「オーマイガー」という哀れな悲鳴が暗闇の中に落下していき、彼が落としたカメラは、その持ち主が二頭のサメに喰い漁られる瞬間を録画したのだった。


 マッドは階下に向かってダンの名前を叫んだ。しかし、背後から「マッド!」というオリビアの悲鳴が挙がる。


 振り返ると、オリビアが取り落とした図鑑の、天井に向かって開かれたページから次々とサメが射出されていたのだ。


「オーマイガー!」

 

「マッド! オリビア! 階段があるわ!」


「畜生! 悪魔め!」


 三人は、次々と増え続けるサメを背後に必死で階段を駆け上がる。


「畜生! 畜生! ダンのやつを……おお、神よ!」


「お願いだから冷静になって!」ミシェルはまた泣きそうになりながら必死になってマッドを宥めた。「マッド……マッド! 見て! 良い本があるわ――『アンガーマネジメント 理想の上司になるために』」


 勢い込んで本を開こうとするミシェルを、「待って!」と慌ててオリビアが止める。「またサメが出てくるかも知れないわ」


「本からサメが出てくるわけないでしょう!?」とミシェル。


「さっきから本からサメが出てきているじゃない!」


 マッドは思考が怒りに支配される一方で、二人のやり取りを聞いていた――そして、人というのはパニックに陥っている他人を見ると案外冷静さを取り戻す生き物なのである。


「ミシェル。オリビアの言うことは正しい」息を整えながら言う。「本から、サメは出るんだ」


「そんな……おお、神よ!」


「奴らの罠だったんだ……。あのサメは俺たちの知的好奇心を嗅ぎつけるのさ――悪魔め!」


「みんな死ぬんだわ――」ミシェルは怯えて言った。「本を読まずにいるなんて、無理だもの」

 

「くそ!……二人とも、武器はないか? 銃、スタンガン、なんでもいい」


「私のデザートイーグルは空港で没収されたわ」とオリビアが言う。「日本では銃が持てないなんて知らなかった」


「オリビア。君は結構世間知らずだな……」


「分解すれば持ち込めると思ったの。ケネスも、きっと大丈夫だって」


「私達、日本に来るべきでは無かったのね」とミシェル。彼女は悲観がって泣きながらフロアに眼を向けた。「待って。あれは何かしら……」


 ミシェルの視線の先には、レジの前に置いてあるショーケースがあった。書店と言いながらもレジ前の小さなコーナーでは様々な雑貨が売られているのだ。ノートに万年筆、果ては鋏、トートバッグ、それに……


「オーマイガー! 日本刀だ!」


 三人は一斉にショーケースに駆け寄った。


「真剣って書いてあるわ!」ミシェルが興奮した様子で言う。


「さすが日本の書店だ。レジ前の品揃えは一流だな! おお、神よ!」


「でも、私達に扱えるかしら? デリケートって聞くわ」


「私に任せて」二人の背後から、オリビアが慣れた手つきでショーケースから真剣を取り出す。「Youtubeの動画で毎日剣道ダイエットしているの。ケネスの仇を取るわ」


 オリビアの告白に二人は歓声を上げた。


「オリビア。君は最高の女性だ」マッドは良いことを思いついてちっちと舌を鳴らした。「ついでにさっき良い物を見つけたんだ――見ろよ!『OL武士道 世間の荒波に勝つために』」


「マッド! 駄目!」というミシェルの制止は、間に合わなかった。


 マッドが開いた『OL武士道 世間の荒波に勝つために』から、一匹の巨大なサメが日本刀を持ったオリビアに向かって物凄いスピードで飛び出たのだ。


「しまった! オリビア!」


 オリビアは一瞬驚いた顔を見せたが、落ち着き払って日本刀を上段に構えた。次の瞬間、「キエエエエッ」という怪鳥音を叫び、迫り来るサメを両断しようとする。


「オリビア!」


 日本刀を構えたオリビアとサメが交差する直前――サメの口から何か黒く光るものが突き出るのをミシェルは見た。あれは……


「銃だわ!」


 炸裂音と火薬の臭いがフロアを満たす。

 

 日本刀を振り上げたオリビアの腹に、醜い赤が滲んだ。


「なんてこと――」


 驚愕の表情で、力なく日本刀を落としたオリビアに容赦無くサメの顎が食いかかった。そのまま、凶暴にオリビアの体を振り回しながら本棚をなぎ倒してフロアを暴れ回る。


「くそっ……悪魔め! 銃を使うとは!」


「マッド! 逃げないと!」

 

 膝を突いたマッドを、ミシェルが肩を貸して階段を上がった。既にオリビアが引きずり込まれたフロアでは、本棚から散乱した書籍から出現するサメが次々と二人に襲いかかろうとしていたのだ。


「マッド、とうとう二人きりね――」


「ああ」


 マッドは、なんとか階段を登り切ったところで床に頽れた。おかしな感触が腹の辺りにあり、触った掌が真っ赤な血で染まっていた。


「オーマイガー」


「ああ、マッド……その傷は」


「どうやら、さっき奴が飛び出た時に撃たれたらしいな……」


「助けを呼ぶわ」


 無謀にも階段を降りようとしたミシェルを、マッドが掴んで止める。


「俺はもう、助からないようだ」


「そんなこと言わないで」


「すまない、ミシェル。最後に一つ言わせてくれ」


「何?」


「アイラブユー」


「おお、マッド!」


 ミシェルは血に濡れた手で涙を拭った。


「……諦めないわ。私、あのサメを殺してみせる」


「どうする気なんだ?」


「目には目を、よ。……マッド、死んでは駄目だからね」


 マッドは意識が途切れそうになるのを必死に堪えて、ミシェルがフロアを駆け回る様子を見ていた。そして、彼女が考えていることを理解した――「ミシェル。それは危険すぎる」


「やってみなくちゃ分からないわ。マッド、手伝って」


 ミシェルが用意したのは二冊の本である。『これで喋れる! イングリッシュテキストブック』の上・下だ。その上巻を壁により掛かって座るマッドに渡す。


「目には目を、歯には歯を、――サメにはサメをよ」


「まさか、サメにサメをぶつけようっていうのか!?」


「上手くいくって言って。あなたがそう言いさえすれば、私は何でも出来る気がするもの」


「ミシェル」


「サメは開かれた本から真っ直ぐ飛び出るはず――そうでしょ? 二人の息を合わせないと、どちらかが……いえ、二人とも死ぬことになる」


 マッドは、静かに『これで喋れる! イングリッシュテキストブック』の表紙を見下ろして口を閉じた。


 痛みを堪えて黙ったのではない。あの泣き虫で、可愛いらしいミシェルがいつの間にかこんなにも立派な女性になっていたことに驚き、感動していたのだった。


「――分かった。やろう」とうとうマッドはそう言った。


ミシェルは頷いて、マッドから数メートル離れて本を構える。

 

「準備は良い? マッド……平気?」


「……ああ。アイムファインセンキュー」


「エンドユー!」


 二人は同時に『これで喋れる! イングリッシュテキストブック』を開いた。


 放たれたサメは、亜音速で真っ直ぐ前の標的――マッドとミシェル――に向かって直進したところで、互いが目の前の同胞を認識する間もなく衝突する。


 そして、速度に対して巨大過ぎた質量の衝突は強大なビルをまるごと粉みじんにする程の爆発を引き起こしたのだった。


――終

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沈黙の書店シャーク みとけん @welthina

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