ルールー
湖ノ上茶屋(コノウエサヤ)
第1話
「ガキンチョ。ぬいぐるみ手放せないとか、いつまで子どもでいる気?」
私のお気に入りのぬいぐるみ、ルールーを睨みながらお姉ちゃんが言った。
綿が顔を出したら縫った。汚れたら洗った。洗っても染み込んでしまったコーヒーをどうすることもできなくて、まだら模様になったけれど、それでも私のお気に入りであることに変わりはない。
そんなルールーをお姉ちゃんはある時から「ブラックジャック」と呼んだし、ゴミみたいに扱った。
「大事なものだから捨てないよ」
「そんな汚ったないのに執着してるの、気持ち悪」
私は「ブラックジャック」と呼ばれるこのぬいぐるみよりもずっと、お姉ちゃんの方が汚いと思った。
香水の甘い香りを撒き散らしながら、お姉ちゃんがどこかに行った。今という時間にぽっかり穴があいた。
ルールーを抱きしめてクンクンする。
洗ったって何したって、ちょっと埃っぽいにおい。毛布とかクッションからこのにおいがしたら嫌なのに、ルールーからすると愛おしい。
ぎゅうってするとあったかい。
まるで生きているみたいに。
ルールーに出会ったのはゲームセンターだった。
UFOキャッチャーの機械の中で、トロンとした目でゴロゴロしてた。
「あの子可愛い!」ってガラスに張り付くようにして見ていた。
「連れて帰る! あの子を連れて帰る!」
駄々をこねた。泣き喚いた。お母さんはイライラしてた。
「ねぇちゃんがとったげる!」
お姉ちゃんは腕まくりをすると、百円玉をカチャン、カチャンと機械に入れて、ボタンをポチポチして泣いた。
うわーん、うわーんってガキンチョみたいに泣いて、店員さんが飛んできて、すごーく取りやすいところに移動させてくれて、やっとぬいぐるみに手が届いた。
「まったく」
お母さんは呆れてた。お母さんはぬいぐるみを手に入れられたことを、少しも喜んでいなかった。
お姉ちゃんは私にグイってぬいぐるみを押し付けた。
ぐしぐしと涙を拭う様は、すごくかっこよかった。
2歳差だからお姉ちゃんだって子どもだったのに、それでも大人みたいにかっこよかった。
ぬいぐるみを手に入れるのに、私は一円も払っていない。お姉ちゃんのお小遣いと、お母さんが嫌々払ってくれたお金で手に入れた。
それなのに、私のものになって、私が名前をつけた。
ルールー。
お姉ちゃんがララで、私がリリだから、この子はルールー。
お母さんはキキで、お姉ちゃんがララだから、私だけ仲間外れだと思ってた。でも、ルールーがお家に来てくれてから私は、仲間外れじゃなくなった。繋がりができた。そんな気がした。
時々、「私にもルールー貸してよ」ってお姉ちゃんが駄々をこねた。そういう時に限ってなのか、独占欲なんだか分からないけれど「貸さない!」って怒鳴って喧嘩になった。
そのたび、お母さんはルールーをどこかに隠した。
ルールーがいなくなっちゃうのは嫌だから、だんだん「貸して」って言われたら「どうぞ」ってできるようになった。連れ去られるくらいだったら、少しのおままごとに派遣した方がいいと思ったんだ。
お姉ちゃんはルールーと遊ぶたび、トロンと優しい顔をした。
すごく可愛い顔をした。
いつからだろう。お姉ちゃんに「貸して」って言われなくなったの。そうだ、ルールーが怪我をした頃だ。
私がルールーを連れて散歩してたら、木の枝にひっかけちゃって、綿が少し顔を出した。
学校で裁縫を習った頃だったから、私はルールーの手術ができるって根拠のない自信をチクチクとルールーに刺した。色味の合ってない、ガタガタの縫い傷がルールーのほっぺに出来た。
傷のあるルールーはお姉ちゃんの心の中の何かを変えた。心の中は見えないから、それがなんだか分からない。だけど、お姉ちゃんは言った。
「もう、ぬいぐるみ卒業する歳だし」
それから、お姉ちゃんはぬいぐるみを避けるようになった。クラスのみんなが流行りのキャラクターのぬいぐるみキーホルダーを付けてるのに、お姉ちゃんだけ付けなかったりした。本当は付けたいくせに。いじっぱりだなって私は思ってた。
ルールーにコーヒーをかけたのはお姉ちゃんだった。私は怒らなかった。でも、すごく我慢してて、ゴミ箱に捨てられた時はいよいよ我慢が限界で、うわーん、うわーんって高校生のくせにガキンチョみたいに泣いた。
今では懐かしいなって笑えるけれど、あの時はすごく、胸がチクチク痛かった。
気づけば靴の踵が高くなって、お姉ちゃんの話をする時「姉」と言うようになった。ルールーの存在など関係なく、もう子どもではなく大人だ。
私はブラックジャックとたくさんのお花を、窮屈そうな箱に納めた。
強引に色を消そうとして心を汚したあなたに。
あの時、意地を張っていた、心の中でうわーん、うわーんと泣いていただろうあなたに。
いつかまた、ルールーを抱いて笑ってほしくて。
姉の香りを纏い歩き出す。
涙が溢れないようにと見上げた空に、ルールーと無邪気に遊ぶお姉ちゃんがゆらめいていた。
ルールー 湖ノ上茶屋(コノウエサヤ) @konoue_saya
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます