よあけのまたたき(奏良&葵衣)

『向日葵の季節だね。綺麗に咲いてるかなあ』


 それは突然のことで、奏良は驚きのあまりに手に持っていたボールペンをとり落とした。

 視線を上げると、確かに奏良がみていたパソコンの画面の端っこに、向日葵の写真が載っている。視線を誘われるように窓際へと視線を向けると、明るい光を零すカーテンの隣で、壁にかけてあるカレンダーにも広大な向日葵畑が写されていた。

 どこかで鳴いているセミの声が、耳に馴染む。

 まるで遠くを見つめるかのように瞼が狭まったのは、奏良がそうしたからではない気がした。

 とても、綺麗だった。恋しくて、懐かしくて、温かくて、切ない。

 久々に感じた葵衣の心に、奏良は泣きたくなった。


 最後に葵衣を感じたのは、勝真と共に外出したあの日だった。それから十日近く。葵衣の気配は小さく小さくなっていって、奏良はもう二度と葵衣に会えないかもしれないとすら考えていた。

 奏良は勝真と話し合い、秋になれば通信制の高校に入学することに決めた。

 それからは、葵衣を感じられない不安を追い払うかのように、必死で勉強していた。葵衣が与えてくれたものを、その成果を、葵衣に伝えたかった。そんな機会が訪れることを願い、ただひたすら頑張った。


 けれど星の輝きは、もう目を凝らしても見えないほどに小さくなっていた。

 確かにまだそこにあるのはわかるけれど。まるで夜明けの眩さに姿をくらましてしまったかのように、わずかに感じ取ることしかできなくなっていた。


 だから、奏良はわかってしまった。


 燃え尽きる直前に、明るく光る線香花火のように。

 流れ星は消えてしまう前に、鮮やかな軌跡を残すのだ。一瞬の鮮烈な、そこに存在していたという軌跡を。


 きっと、人の魂も。そうやって最期にひときわ眩く光り輝くのだろう。



「奏良くん、ありがとう」


 穏やかに葵衣は言った。自分の唇が言葉を紡ぐ感触を不思議に覚えながら、奏良はその唇を震わせた。


『葵衣さん、葵衣さん……』


 慕う心が抑えられずに、奏良は言葉を詰まらせる。

 伝えたいことがたくさんあった。


 葵衣に出会ってから、奏良は今まで知らなかったこの世界の優しさや温かさ、綺麗で輝かしいことを、たくさん教えて貰った。

 とてもとても、大切にしてもらった。親身に、心から、奏良を想ってくれた。


 諦念で鈍った自らの心の内に気づくことなく、だた何となくと生き延びてきて。奏良はあの日、煩わしいだけの世界から逃げ出したくて、橋の上から飛び降りようとしていたのだ。

 何もかも、終わるはずだった。

 それなのに、葵衣に出会って初めて、生きる喜びを知った。まだ曖昧なものだけど、人生に目標もできた。


『………ありがとう』


 一言だけ紡ぎ出す。

 奏良は、心の中の全てを伝えられる時間がないことを知っていた。

 だったら。それならば。

 今、一番大切なことは何かを理解している。


『ねえ、葵衣さん。俺は葵衣さんに会えて本当に幸せになれたよ。だから、俺のことはどうなったっていいんだ』


 祈るような思いで、奏良は葵衣に語りかけた。

 これで最後かもしれないのならば。どうか、葵衣に少しでも幸せを返したい。

 どうか、どうか。少しでも、大切な人に悔いがないように。


『勝真さんと過ごしてあげて。俺は眠ってるから』


 大切な人を大切にしたい気持ちを、奏良はもう知っていたから。

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