君は。君だけは。/after…

 かの賢王は、とても優秀で慈愛に満ち、全ての国民の誉れとすら称えられた。

 国は栄え、民は富を授かった。国の繁栄は長く、永らく続くものと思われていた。

 だがそんな予想に反して、かの王は息子が成人してすぐに退位して隠居した。


 王妃は、夫たる王を敬愛していた。

 彼は完璧な王であり、完璧な夫でもあった。

 王妃を慮り、尊敬し、尊重し、二人はとても仲が良い夫婦として知られていた。


 一夫多妻制であるにも関わらず、王は正妃以外の妻を娶らなかった。

 王と王妃の間には三人の息子が生まれ、王太子以外には、王を補佐する者としての心得を説いて育てられた。

 長い間水面下であった王権争いは、なりをひそめた。

 そこに根強く絡み合っていたはずの貴族の闘争も、いつの間にか火種を起こすことなくまとめ上げられていた。

 策謀や暗殺に怯えることもなく、日々安心して過ごすことができる。

 王妃は王を心から慕っていた。


 ただ、王には大事に召し抱えた侍従がいた。

 王妃は彼を憎んでいた。

 王はいつなんどきも彼を側に置き、愛人であるとまで噂されていた。

 王妃は彼のことを調べた。

 彼は、平民出身で王とは昔からの知り合いであった。能力に関しては非の打ちどころがなく、他者がどれだけ貶めようと仕掛けようとも、知にかけても武にかけても返り討ちにすらする実力があった。

 王が彼に爵位を授けて側に置き続けたのは、彼の能力を買ってのこととして矛盾はなかった。

 彼は、王の側に侍ることに文句のつけようがない人材だった。


 ただ、王妃は知ってしまった。

 人として、夫として敬愛する王が、礼儀を尽くして自分と閨を共にした後に、自室で彼を抱いて眠っている。

 決して自分の側で眠ることがない夫が、毎日のように彼の元へと戻って、彼を抱きしめて眠るのだ。

 そのことは、王に恥じぬようと努力を重ねていた王妃のプライドを傷つけた。


 王妃は暫く、彼を暗殺する術を探していた。

 彼ほど頭脳明晰で、類まれなるほどの身体能力をも併せ持った人間を暗殺するのは容易くない。

 苛立ちが募って、忸怩たる想いに胸がつかえていた。


 そんな王妃を、王はたいそう心配して労い、彼女のこれまでの努力を称えて、療養する時間や見舞の品を惜しまずに贈った。

 王妃は我に返り、自分が王の側近を奪おうと画策していることに気が付いた。

 知らなければいい。

 あの男と王との関係を知らずにいれば、自分は敗者ではないのだ。

 王妃はそう諦めを抱いて自らのプライドを慰め、憎きかの侍従の存在に知らないふりをすることにした。



 その選択が正しいことだったのだと、彼女は時を経て思い知ることになった。


 侍従が亡くなった。

 原因は明かされていない。病死だったと発表されたものの、それを信じるものはいないだろう。

 それからすぐに、王は療養が必要であるという口実で退位し、成人したばかりの長男に王位を引き渡して隠居した。


 王の隠居先は、別荘の一つであるとされていた。

 だが、そこに住まっていないことを、王妃は知っている。


 王が身を寄せたのは、とある山奥にある古い別荘だった。かつて王が王太子であった頃に孤児院を開いた建物で、今は子供はほとんどいない。縁者の子共が数人いるくらいのようだ。

 探っている間に、その孤児院はかつてあの侍従が生活していた場所であることを知った。

 かの侍従は、王が王たるに必要な人物だったのだろう。

 あの男無くしては、王でいられないように。

 あの男の影を追って余生をおくるほどに。


 もし、あの時に侍従を暗殺などしようとしていたら、恐らく自分は王妃ではいられず、王子たちも今頃生きてはいられなかっただろう。

 そう考えると、王妃は過去の自分の選択を褒め称えたくなった。



 巷では、かの侍従こそが王を影で操っていたなどという戯言が噂されている。

 最後まで気に障る男だと思うものの、王妃は戯言が戯言に過ぎないことを知っていた。

 かの王が残した息子は、賢く堅実で慈愛に満ちている。きっと良い王となり、民に慕われるだろうと、王妃はそう確信している。


 それは、まぎれもなく王と王妃の息子なのだ。

 かの侍従には決して手に入れることができなかった、王の血筋だ。

 だから、王妃は永遠に、あの男に負けることなどない。

 誉れ高い王太后として、愛する夫の血筋と、彼の愛したこの国を守るのだ。

 それでこそ、彼の選んだ伴侶としての最大の誇りだった。

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