壮大になるので多分書かない(めも)
陽の光を閉じ込めたような輝く長い髪。長い睫毛の間から覗いた宝石で作られたような瞳。
磨き抜かれた彫刻よりも完璧な曲線を描く滑らかな肌。
手にした独特な弦楽器は、見た目よりもずっと繊細な音を奏で。
それに合わせて歌う声音は、この世の理を超えるように美しい。
飾り付けられた会場で、全ての人が足を止め聴き入らずにはいられずに、物音が止んだ。
献上された姫君の歌が終わり、溜息を零した人々の口元は卑しく歪んで。
「素晴らしい歌声だわ。蛮国の姫君の麗しさときたら、それだけしか能がないとは言えどさすがねぇ」
「あんな粗野な楽器でも美しい音が出るものなのね。何度聴いても不思議」
「言葉も通じず、歌うしかないのよ。お可哀想に」
「口が聞けない姫君を差し出して命乞いするなんて、気品の欠片もないお国よね」
「おいたわしいわ」
「でも、あの美しさで側妃となられたのだもの。蛮国の姫であられるより幸福ではないの」
「そうね。数多の側妃様の中でも、舞台にお立ちになれる才能が有られる方は数少ないもの」
「姫君は、とてもお幸せでしょうね」
囁き声に嘲笑が混じる。
姫君はそれに気づくこともなく、美しい顔で凛として顔を上げたまま、煌びやかな極彩色の装飾を纏った人の合間を歩いて行った。
この大国は侵略の上に成り立っている。
ここ三世代の国王は、自国の優位を軍事力で示し、国土を拡大してきた。
今や広大な土地を持つ巨大国家になろうとも、その貪欲さは衰えず。
他国との国交も少なく、細々と己が国の歴史を積み上げていた楽園のごとき小国に、その存続を許す代わりに属国となるように強いた。
差し出された姫君は、従属の証。
言葉もわからずにされるままになるしかない姫君が美しければ美しいほど、その憐れみは権力ある貴人たちの心を優越感に染めた。
この世が自分たちのものであると疑わずに。
煌々と輝く宴会場で、夜が明けることがないかのように賑やかなお喋りが繰り広げられている間に。
幾分距離のある居住棟の一室。広く薄暗い王の閨には静寂が満ちていた。
明り取りの高窓から射し込む星の光を宿して、シーツの上に散らばる長い髪が煌めき、その流れる絹糸の間に、床に突き刺した鈍色の刃が静謐な光を覗かせる。
呼吸一つに空気が揺らめくのも不思議なくらい、美しく無機質な少女は、肌が透けそうなほどの薄布一枚から腕も脚も剥き出しのまま、この国の頂とされる男の腹を跨いで首筋に小剣を突き立てていた。
男は笑った。
「ああ、素晴らしくいい女だ」
少女は一切の感情の宿らない宝石の瞳で揺るがず男の顔を見下ろし、首筋の刃を少しばかり肌へと食い込ませた。
「卑しき獣風情が、このわたくしと言葉を交わそうとは」
楽器の音色のごとき声で響いたのは、この国で生まれ育ったかのように流暢な言語だった。
この国に生贄のように連れてこられて数か月、一言も口を聞かず、言葉がわからないのだろうと嘲笑われた小国の姫君の口から零れた言葉に、男は面白そうに更に笑みを深めた。
この姫君の挙動には、どこか引っかかる何かがあったのだ。
喋ることもせず、何かに抵抗する様子も見せず、為されるがままで表情も変えない。周囲に蔑まれようと、虐げられようと、これ見よがしに憐れみの目で見られようと、何の反応も返さない。逆に言えば、怯えたり、閉じこもったり、人目を気にする様子も見られないのだ。
唯一、歌と演奏はとても美しく、彼女の容貌も相まって貴人たちの良い余興となった。
王に数多の側妃がいる中でも、彼女が選ばれて当然であるかのように称賛がおこった。
そして、権力を手に好き勝手している爺どもの気をも引いた。この娘を蹂躙してしまえなどと、王へお膳立てが押し寄せる程に。
そうか、彼女はそんなこの国の貴人たちを卑しい獣と蔑んで、人とすら思っていなかったのか。彼女と口を聞く権利すらない下衆に過ぎないと。
男は笑いながら肌に食い込んでいる刃へと首をすり寄らせた。
寝台に散りばめられた花の中に、鉄くささと共に赤が広がる。
少女は男の予想外の行動に息を飲んだ。
その一瞬の怯みを逃さずに、男は少女の手物付近の刃を握りしめた。
「崇高な姫君。どうかこの俺と共に、この国を統べてはもらえまいか」
ぽたり、ぽたりと刃から血が滴る。
少女は狂ったような男の行動に怖気を覚えて身を引こうとしたが、握られた刃はまったく動かない。作り物のような美しい肌にわずかな皺を寄せて眉を動かし、男の上から飛びのいて距離を取った。
行動を制されては分が悪い。けれど、仕切りなおしてしまえば不利はない。
彼女の故郷である小国では、王族は絶対でなければならなかった。
言語も、教養も、立ち振る舞いも、体術や暗殺術までも。身も心も鍛え抜かれた上で、女性は従順にただ黙っていることを求められた。
他の国へと娶られれば、その国を影で操ることができるように。
そうしてかの小国は、大国におもねることなく長年自治を貫いてきたのだ。
彼女がこの侵略国の覇王の元に送られたのは、国のための策略だった。
「奪い虐げる事しか能のない獣風情が、随分と欲をかくものだな。我が楽園を奪いし強欲の獣に従う所以などあるまい」
奇襲は回避された。ならば、次はどうやって攻めるべきか。
少女は薄衣一枚羽織っただけのほとんど裸に近い装いですら神々しく思えるほど、凛とした立ち姿で男を見つめた。
男はぽい、と少女の残した刃を投げ捨てて、雑にシーツで滴った掌の血を拭って、寝台から立ち上がった。
「そうだ。虐げることしか能のない獣どもに、俺も辟易としているところでね。あいつらときたら、ただ領地が増える事だけを富とでも勘違いしてやがるのさ。
多くの血が流れ、土地が荒れ果て、村や町がうち捨てられ、疫病が流行り、痩せ果てた農夫が倒れて、本当の富が失われていることに目もくれずに」
男は少女へとゆっくりと歩み寄る。
語る口調はおどけているが、その瞳は昏く怨嗟を揺らめかせていた。
少女は詰め寄られただけ後ずさった。
屈するつもりなど微塵もない。下賤の輩に屈するくらいなら、自ら散り果てた方がましだと思っているし、その術もある。
だが、目の前に迫る男は、明らかに強者だった。
誇りをもって国を背負うために鍛え抜かれた心身が、焦りを覚えてしまうほどに。
男が歩む道筋に、ぽたり、ぽたりと赤い雫が滴った。だが、男は傷も血も些細なことだと言わんばかりに、一切気にする様子もない。生死の前では取るに足りないことであると知っているのだ。
「この国は、腐った野蛮なお貴族様たちに操られてるのさ。自分の手元さえ潤えばいい爺たちにね。俺はあいつらの傀儡になるつもりはない。だから、一緒にこの国を滅ぼそうじゃないか」
少女の裸足の踵が、広い部屋の隅で壁にぶつかった。
これ以上距離を取るのは難しい。だが、打開する策はあるはずだ。
自分を奮い立たせるように、艶やかな唇の端を引き上げる。
「お家騒動か。なぜわたくしが獣どもの争いに手を貸さなければならない」
男はふっと吹き出すと、少女の前で跪いた。
「姫君が余りにもいい女過ぎてね。こんな幸運は二度と訪れないと思ったのさ。約束しよう、この国をぶっ壊した時、俺は貴女に故郷を無傷でお返しすると」
少女は息を飲んだ。
その条件は悪くない。
今この男をここで殺すのは容易くないだろう。それに最初から、祖国を救うために必要ならば、我が身の犠牲などどうだって良いのだ。
この男の言葉を全部そのまま信じる訳ではない。だが、一部でも信じることができるならば、その提案は悪くないように思えた。
そうでなかったとしても、この男の言葉が嘘ばかりだと分かった時に殺せばいいだけだというのもある。
「して、王を降りたならばお前はどうするつもりだ」
少女は臣下へとするように、そっと片手を差し出した。
男はその手を当たり前のように恭しく取って、甲へと額をつける。
「そうだな、旅にでも出るか。一緒にいかがです?」
顔を上げた男が微笑んだ。
「お前の働き次第だな」
少女の唇は、本人の知らない間にふっと綻んだ。
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