たんぺん
滅亡世界で一人好きな服を着る(たんぺん)
道端に転がる白骨は、もはやアスファルトと同じくらいありふれたものだった。
最初に見た時には怖ろしくて不安でおかしくなりそうだったけれど、今やすっかりと見慣れてしまい、弔える数ではないのでそっとしておく他はないのだ。
だって、この世界で最後の生き残りは私なのだから。
私のほかには、骸しかいない。
私は、この変わり果てた世界の隅っこに変わらぬ姿で建っている、可愛らしい装飾の店の扉を開けた。
ショーウィンドウに並んだマネキンのまとう洋服は、一年余り前の流行だったのだろうか。既に時間は意味を持たないのだから、一年余りというのも大雑把な体感に過ぎないのだが。
あの頃、高校で友達と一緒にこんな服を見て盛り上がったことがあった。
可愛くて、可愛らしすぎて、きっと私には似合わない。そんな気後れを起こすような、憧れのような感覚だった。
ピンクのルージュ。ちょっと大げさなつけまつげ。薔薇色のふんわりチーク。ラメが輝くアイシャドウ。
クリーム色のフリルブラウスに、ピンクベージュのチェックのワンピース。
くるりと回ると、花が開くように裾がふんわりと広がって揺れる。覗いた足首には、リボンのついた白のショートブーツ。
姿見にうつる私の姿は、悪くない。
ほんのりと心に喜びが広がる。
今度は何を着てみようか。
残された時間は多分まだたくさんある。
ある日、地球上には生き物が住めなくなった。
周囲の人や動物が喘ぎ苦しんで倒れて行く大混乱の中で、原因は誰にもわかってはいない。
ただ、大気中の酸素濃度が大幅に下がって行ったこと。わかっているのはそれだけだ。
国の重役たちは何かを知っていたのかもしれないが、事実を知る者の生き残りはいなかった。
生き残ったのは、完全に酸素がなくなるまでの半日の猶予の間で、地下に酸素が供給できる設備をもつ空間を築いた功労者たちと、運よくそのシェルターにたどりついた人たちだけだった。
その数は、最初は三桁ほどだったと聞いている。
シェルターでの生活は最初は何もかもが不便で、混乱に明け暮れる人々の中には争いが多発した。
徐々に統制が敷かれ、分業を行い、水や食料や生活必需品の確保だけではなく、生産や管理までできるようになるまでに、脱落者は半数程度いた。
他者の援助がなければ生きていけない者たちは、不十分な物資の中、誰もが自分が生きるために全力を尽くすしかない状況で生き延びることができなかった。悲観して自ら命を絶つ者。物資の補給に出かけて帰ってこない者。急ごしらえするしかない設備の開発過程で命を落とす者。シェルターの責任者の定めたルールを守らずに追放され、実質処刑されたに等しい者もいた。
残った者たちは、皆で役割分担して生活を維持していた。
例えば生き残りの中の有識者たちが知恵を絞って開発した食糧製造機のボタンを押す。原料を補充する。出来上がったものを保存庫に運ぶ。そんな誰にでもできる分業を任された。
人員が少ないから、シェルター内の空調管理や発電、最小限の労力で必要なものの生産ができる機械類など、生活を維持するための基盤はほとんどスイッチ管理するだけの自動装置として設計されていた。
慣れない人が扱う際に困らないように、音声マニュアルや、セルフチェック機能も実装されている。
必要なのは監視点検と、起動終了くらいのものだった。
シェルターの中には、十分な衣食住の充足があった。
だが、どう考えても将来性のない世界への希望はなかった。
私はこのシェルターの中では数少ない若年者だった。
同じ高校の友達と出かける予定で待ち合わせをしていた先で、急な緊急速報を受け、混乱している間になんとなく人波に流されてここに辿り着いていた。
家族の安否はわからない。だが、恐らくここに残された人々が、地球上で最後の人類の生き残りなのだと思っている。
最初は恐怖と哀しみと混乱に明け暮れた。けれど、役割を与えられ必死で過ごしている内に、こんな状況に順応してしまっていた。
最初は所々であがっていた赤ん坊の泣き声は、もう聴こえない。子どもの騒ぐ声も。老人たちの話し声も。
私くらいの年ごろの人間ですら、ほんの何人かだけだった。
ほとんどが働き盛りの壮年期の男女だった。だからこそ、成し遂げられたこともあるだろう。
みんなで必死に生き延びた。
けれど、この集団に将来がないことなんて、誰もが悟っていた。
ある日、何代か代替わりしたシェルターの責任者は、住人を集めて悲壮な様子で言った。
「このシェルターに不可欠である酸素生成に関わる設備に、重大な問題が見つかった。だが、この修復に必要な資材の調達は熟練の技術を持つ者でなくては難しく、現在我々の中にその技術を持つ者は残っていない。検討に検討を重ねてきたが、目途がつかずに報告することとなった」
それは、ある意味死の宣告であった。
この施設の開発と維持に率先して関わってきた技術者は、試みの犠牲になることも多く、徐々に数を減らしていた。
責任者にしてもだ。暴動にあったり、自らが実験体になったり。そうして一年ほどで三代目に至っているのだ。
誰にでもできる仕事で、生活を維持することは残りの人員でもできた。
だが、必死に自分の持てる力を出し尽くすことでこの環境を作り上げてきた技術者たちに、後継を育てたり、他の専門分野を覚える猶予はなかった。
ある意味、起きるべくして起こったことだ。
自分たちに未来なんてない。みんながそう理解していた。
だから、苦しむ前に終わらせることになった。
強い睡眠薬を飲んで、酸素供給装置の電源を切る。
そうすることが一番誰にも禍根を残さずに、安楽に終わらせることができるのではないかということになった。
もちろん、納得できないものは従わなくても良いということは伝えられたが、誰も反対する人はいなかった。
失うことに慣れ過ぎて、摩耗していた。
多くを失って生き延びる辛さを味わっているのに、更に数を減らして、救いのない環境で生き延びることを選べるほど強くなかった。
最後の晩餐で、食糧庫を開放して好きなだけ保存品の飲み食いをした。
全ての仕事を放棄して、最後に残された人間同士で語り合った。
そして、薬が配られて。
酸素供給装置のスイッチを切り、シェルターの入り口の扉が開け放たれた。
目が覚めると、私は静かな骸たちの中で一人だけ起き上がっていた。
知った顔がたくさん横たわっている中、たった一人。
息は苦しくなかった。
私は。
酸素を必要としない特異体質だったらしい。
一人残された世界の中で。
水も食料も一人では消費できないほどあって、必要なものは全てスイッチ一つで稼働させられた。
酸素以外に必要な衣食住は全て揃っていた。
けれどやりたい事も希望もなにもなかった。
途方に暮れた私は、初めてシェルターの外に出てみた。
他の人は酸素を背負ってないと出られなかったシェルターの外の世界。
生き物の声も、生活の音もしない、見知った町をただ歩いた。
そこで、あの災害の日に友達と行くはずだった店を見かけて、なんとなく中に入った。
あちこちに落ちている白骨を無視すれば、時間が止まったかのような店の中。
憧れていた洋服に手を伸ばす。
最後くらい、好きなものを着てみたって。
そうして、鏡の中に自分も知らなかった自分の新鮮な姿を見つけて。
一年ちょっとぶりに、ほんの少しだけ、嬉しいという気持ちを思い出した。
私一人だけ取り残された世界には、私が何十年かけても着られないだけの服がある。メイクも小物もアクセサリーも、使いきれないほどにたくさんある。
シェルターの中にある保存庫には、五日で腐るものを一年もたせる技術がある。食糧を保存しておくためのものだが、必要なのは私一人分だけなので、他のものを詰め込んでも問題ない。
歩くたびにゆらゆらとスカートのドレープが揺れる。
小脇にいくつかの本と映画の円盤を抱えて、私はシェルターへの帰路につく。
耳元には、今まで興味を惹かれたことがなかった陽気なボサノバ。世界に一人きりでは使い切れない電力量が、新しい音と視界を教えてくれる。
もしもどこかに私と同じ特異体質の人間がいたとしたら、いつかは出会うこともあるのだろうか。
この広い世界の中では、それも難しいのかもしれない。
私はこの世界に一人きり、何にも捕らわれることがなく、誰の目も耳も気にしない。
誰と分かち合うこともなく、ただ自由だ。
何の力も技術も持たない私が、この先どれくらい生き延びられるかなんてわからないけれど。しばらくは、終わりが来るまでは。
せめてこの広い世界で好きな服を着て、好きな自分に出会いたい。
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