君は。君だけは。(耽美主従BL)

君は。君だけは。/1.高貴なお方

 薄暗い地下の剝き出しの石の囲いの向こうで、規則正しい軽やかな足音が響いていた。

 入口から並ぶ見世部屋では、一夜貸しのさかんな高級奴隷たちが手をこまねいている。この地下の並びは力仕事なんぞを任せる奴隷たちではなく、主に若く美しい者たちが並べられている。明るく光を灯された出入口の階段付近は、一番の見世部屋だった。

 奥に行くにつれ暗く湿っぽくなる洞穴のような地下室の最奥。普段はお客は此処まではやってこない。俺達おいどもの洞は年端の行かない小間使いたちの雑魚部屋で、売り物というよりは他の奴隷たちの世話をしながら生かされていた。


「この先は小間使いの部屋でございます。幼い子供をご所望でございましたら、私がご条件に合うものをお連れ致しましょう。無垢な少女も仰せの年ごろでご用意いたしますが」


「女は要らん」


 明るく愛想の良い声でへりくだる商会の上役に、高さの残る少年の声が毅然と答える。見世物としてはみすぼらしい俺達の元へと辿り着く前に足を止めて欲しいのだろうが、軽やかな靴音は真っすぐと格子の真ん前まで近づいてきた。

 俺は部屋の奥へ子供たちを静かに座らせ、自分は格子のすぐ手前で額を床につけたまま高貴なお客をやり過ごす。

 この商会の奴隷たちの中で一番下っ端の俺達は、おいそれと高貴なお方の顔を見るなど許されることではなかった。


「彼らは?」


「お目汚しとなり申し訳ございません。こちらはものの役にたたぬ幼い奴隷たちの集合部屋でして」


「ふむ、そうか。そこの少年、こちらにはどれくらいの子がいるだろうか」


 上役の言葉を遮るように、澄んだ声が頭上より降ってきた。

 その声がこの部屋を統べている自分に向けられたことは理解していたが、喉がひりつくほどに乾いて声が掠れた。


「高貴なお方へご口上お許しください。口のきき方もしらねぇ下っ端で申し訳ねぇです。子どもの数はおいを含めて三十六人ほどです」


 石を敷き詰めた床の上でゆらりと揺れる影は、思ったよりも細く小さい。床の上で揺れるフード付きの外套。金のある平民がお忍びのために着ているようなそれは、擦れも汚れ一つもなく、美しいドレープを蝋燭の灯りに浮き上がらせていた。

 そこからはみ出た革靴も、上質さよりも手入れの行き届いた美しさを感じさせる。

 小金持ちなんかではなく、とびきりのお貴族様だ。

 直接話をする機会などない高貴な相手に、緊張が張り詰めた。


「気にせずとも良い。面を上げて案内してくれないだろうか」


 そう言われて、跪いたままおずおずと顔を上げた。

 地味な枯草色のフードの奥に、こんな深淵までは届かないような陽の光の色がきらりと輝いた。その高貴な色を目にしては失礼な気がして、少しだけ目線を下げる。


「ご恩情に感謝します。子どもは三歳頃から十二頃まで男女ともおっちょります。俺はこれどもの世話係をしとります。俺達は学も芸も足りね小間使いに過ぎんで、とてもとても高貴なお方のお目には叶いません」


 俺達がいるのはそこそこ客のついた奴隷商会だった。

 高級奴隷たちには、自分を高く売る術を身につけて、自ら誇りをもってつとめている者もいる。だが、食い扶持は必要なのに大した働きもできない子どもの価値は微々たるものだ。

 口減らしや貧困で親に売られた子ども。どこかで人さらいにあった子ども。

 髪や目の色がお貴族様のようであったり、顔の造りが美しい子どもならば良い値がつくこともあるが、それ以外は二束三文で、時には憂さ晴らしに殴って捨てるために買われることすらある。

 目の前の高貴なお方が気に食わないと溜息の一つでもつけば、機嫌取りに拷問にかけたり、殺されてしまうことだってある。

 高貴な人間への粗相は恐ろしいことなのだ。


 しかし、俺の後ろには三十人余りの小さな子どもたちがいた。

 物心がついたかどうかの幼子でも、泣いてパニックになれば手ひどい扱いをされる。俺はこの集団の中で育ち、子どもたちの世話をして過ごしてきた。少しでもこいつらがひどい扱いを受けなくて済むように宥め、教え、従えて。

 そうしてとっくに他の役目を貰う年頃になったにも関わらず、世話役としてここにいる。

 怯む訳にはいかなかった。何もできない下っ端の奴隷風情だが、それよりも立場の弱い子らがこの背の後ろにたくさんあった。


 誰にも習った訳ではない言葉が、上手く操れているとは思っていない。

 それでも高貴なお方を怒らせないようにと思考に思考を重ねた。

 上役は歪んだ顔で俺を睨みつけている。小汚い最底辺の奴隷が高貴なお方に話しかけられるのが気に入らないのか。粗相をするなと念を押しているのか。


 そんな張り詰めた空気が、ほんの少しだけくすぐったく震えた気がした。

 涼やかな声は先ほどよりも優しい。


「なるほど。君の名は?」


 俺は慌てて再び床の上に額を擦り付けた。

 奴隷商たちからは子守りだ、鼠の頭だなどと適当に呼ばれるし、子どもたちからはあにぃと呼ばれていた。俺達には名前を持つ者の方が少ないのだ。


「俺は……高貴なお方のお耳に入れる名を持ち合わせていません。都合よきようにお呼びくだされば」


「………そう」


 頭上から降ってくる声は、ひどく冷たく聞こえた。美しい佇まいの中、コートの裾が苛立つようにわずかに揺れて、心臓がドキリと鳴った。

 しかし、次の瞬間に紡がれた言葉はあまりにも考え難く、時が止まったかのように呆然と思考を放棄してしまった。


「では、彼らを全員買おう」


 幼さの残る声で揺るぎなく、高貴なお方は上役を振り返ることもなくそう言った。

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