君は。君だけは。/3.主従

 ここは俺達がいた奴隷商のある国境の、隣の国アウランティ。王政をしいて、節制を掲げた人道的な統治がなされている。

 現王には正妃が一人で、その唯一の王子が立太子されている。側妃が三人に、その王子が四人。

 皆方が聖人君主の顔をして、裏ではどこの国でもよくあるように、王権を狙っている。

 もしかすると王族の皆様がたは、清廉潔白なのかもしれない。この国の王権争いは、むしろ貴族様方の裏での争いだ。


 それでも王太子、リュベリアル・セルナン・ルーフォクス殿下のご威光は名声高い。

 賢く、清らかで、慈悲深く、非の打ち所がないお方である。

 幼き頃から勤勉で、手の届くことからと民衆の役に立つ施しをなされていた。あら捜ししては評判を落とそうとする策謀の渦中で、悪い噂の一つも立たないほど滅私で国に尽くすお方だ。

 そんな権力者が存在するなんて、奴隷として生きてきた俺達には想像もつかなかった。実際にその尊き存在を目にするまでは。



 この国には奴隷という立場はないが、お情けで生き延びてきた最下層の賤民が、国の宝にあたる王太子殿下へと声をかける無礼ならば理解している。

 お忍びのお方の正体を探ることへの不敬や危険性も。


 何せ奴隷制度のない、奴隷を良しとしない国の王太子が、隣国で奴隷を購入したのだ。非人道的行いだと糾弾するのは容易いだろう。

 だから正体を明かす訳にはいかないのだと、簡単に予測できた。


 ただ、このお方の役にたてないまま終わるのならば、ここで首を刎ねられても何ら変わらない。

 たかだか十五年そこらの人生だったが、一番の賭けだった。

 この申し出が不快ならば生かされることはないが、そこでちっぽけな奴隷の人生が終わるだけのことだ。

 だが、もしも受け入れられたならば、願いを叶えることができる。

 このお方のお役に立てるように力を蓄えてきたことを。山奥の館から一歩も外に出ずとも、秘された情報を得ることができるまでの力を手にしたということを。

 卑賎の身ではあるが、命をかけてこの尊きお方のお役に立って見せるということを。

 今この場で全てを賭して、全力で伝えなければならない。



 ふわり、と空気が動いた。

 ゆらりと揺れた外套の影は優美で、この景色が最期に目に焼き付いていたならば悪くないと思えた。


「ふふっ。本当に、予想以上に優秀なのだね。立って、顔を見せてくれるかい?君のことをよく教えて」


 あの日と同じ柔らかな声音が、頭上から降り注ぐ。

 その言葉に促されるままに立ち上がり、少し背を曲げてかの方のお顔を見上げた。


「ご慈悲に感謝いたします。以前もお声がけいただく栄誉にあずかりました。私はかつて子供部屋の総括人でございました。あのような身元の者に、本当の名などはございませんが、一番年かさであったこともあり、ここでは1st……ファスと呼ばれております」


 麗しきお顔をほんの少しだけ見て、恐れ多くて深々と礼をした。


「そう……君たちには名前がなかったのだね。私が不勉強だったよ。ねえ、ファス。君は私と一緒に行くということが、どんなことだかわかっているのだろうね」


 殿下は変わらずに気安い言葉遣いながら、ゆっくりと、俺の真意を確かめるかのように問うた。

 俺はそれに応えるために再度跪き、かのご尊顔を見上げる。


「私どもの存在が仇となるような時には、我らは喜んで貴方様のために舌を噛みきるでしょう。そうならないためにどうすべきかを、施しいただいた中で学び、考えて参りました。貴方様の目として、耳として、時には剣や盾として、お仕えできればこの上なく幸せでございます。

 私の身も心も魂までも、全て貴方様のご恩情の上で存在しているものです。必要があればいつでも差し出しますし、それが出来ぬならば、貴方様の弱みとなり得る身の上の私が、生かされている意味はないのです」


 心から願いつつ、そう伝えた。


 殿下はふわり、と緩やかな笑みを浮かべて頷いた。


「ならば、一緒に行こう?ファス。……ファス、ファシウス。君の名前、ファシウスなんてどうかな。うん、似合うよ。よろしくね、ファシウス」


 殿下はそっと俺の手を取って立ち上がらせた。

 望みが叶った上に名前まで頂いて、俺はぐっと頭を下げてかのお方からのご恩に胸を詰まらせていた。




 こうして俺は、王太子殿下の侍従として召し上げられた。

 隣国の奴隷出身とばれない程度生まれ育ちは作り上げられ、殿下が幼い頃知り合った優秀な平民という設定となった。

 王宮内では、またたくさん学ぶことがあった。

 十分だろうと思っていたマナーも身のこなしも、必要最低限であることに気づいて必死で補った。多くの人間と接するに辺り、言葉や仕草の裏を読む能力も必須だった。

 蓄えた知識が役に立たなかった訳ではない。それを活かして情報を集め、殿下の敵となり得る相手は徹底的に潰していった。

 時にはこの手で敵を始末することもあった。色や金や権力で人を誑かして操る事も。


 そうして殿下は、ずっと清廉潔白な国の宝として君臨し。

 十八歳となると正式に次期国王として執政権が与えられ、盛大な宴が繰り広げられた。


 殿下は成人して初めて自己の権限を行使して、侍従へと爵位を与えた。

 俺は、殿下の第一の側近である侍従という肩書だけではなく、ファシウス・アクティ子爵となった。

 爵位なんて些細なことではあったが、殿下が俺を望んで爵位まで与えたという事実は、殿下の側近の役に成り代わろうとする貴族たちを牽制するためには役立った。


 殿下は俺にとっては唯一無二の尊い主であり、そして。

 殿下の所有物である俺は、殿下にとってもまた代替の効かないものとなっていた。

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