つうじょううんてん(葵衣)@クリスマスばんがい

 別に何がある訳ではないのだけれど、クリスマスにはちょっぴり豪華なごちそうとケーキ、それからいつもより早く帰ってきた父も交えて、家族全員で少しだけにぎやかな夜を過ごすものだと葵衣は思ってきた。


 勝真と一緒に暮らし始めてからも、二人でそんな風に過ごしてきた。

 夜の街のイルミネーションは綺麗で、たくさんの人が行きかって、随所では色々なイベントが行われていて。ずいぶんと前から争って予約しなければならないお洒落なお店でディナーをして、特別な場所にお泊りして……なんて選択肢もあったのだろう。

 だけど、そういうのよりも二人で家でゆっくり過ごしたいと伝えたら、勝真は賛同してくれた。

 世間一般なんていうものに縁がない生まれ育ちの勝真は、自分の中で『通常』を持っていないことがちらほらある。デートも、イベントも、プレゼントも。だいたいこんなものという感性がないから試行錯誤してくれるのだけれど、結局は葵衣のしたいように合わせてくれることが多い。

 それが二人の当たり前になって、一緒に楽しんでいられることが嬉しい。


 だから今日も、いつもよりも気合を入れて料理を作った。

 でき合いのお惣菜だってごちそうで溢れているけれど、特別な日に特別な料理を準備することもひとつのイベントみたいなものだと思う。今年は何を作ろうかと頭を悩ませながらレシピを探し、難しい工程があればこそっと練習したり、必要な器具があればそろえたりなんかして、当日上手くできるかドキドキしながら挑む。

 上手くいってもいかなくても、勝真はいつだって喜んでくれる。

 でも、上手くいったときの感動は格別だ。


 出来栄えも見栄えも良い料理を作り終えて、早くお披露目したい思いに胸を躍らせながら後片付けを概ね終わらせたところで、玄関の鍵が開く音が聴こえてきた。

 逸る気持ちに抗えず、切り良く終わった洗い物を水切りラックに置いて水栓を閉め、急いでタオルで手を拭いてから葵衣は玄関まで走った。



「おかえりっ」


 広くない部屋の、歩いても大して時間がかからない距離がもどかしいほどに、心が浮かれていた。

 ほんの少しだけ特別な日に、ほんの少しだけ特別な時間を一緒に過ごしてくれることが。その時間を大事にしてくれることが。………選んでくれることが。葵衣にとっては何よりも嬉しいプレゼントだった。



 玄関先で靴を脱いでいた勝真は、室内に一歩踏み出したところで床にぼふんと鞄を投げ置いて、そのまま葵衣の方に進み抱きしめた。


「ああ、今日も可愛いな」


 包み込まれた外気に冷まされたコートの温度と、耳元の深いため息の温かさに驚く葵衣の様子をよそに、平然と、いつもの落ち着いたトーンで勝真の言葉が降ってくる。


「生まれる前に可愛さの成分比を間違えられたに違いないな」


「かっちゃんの思考回路のがおかしくなってるから!ねぇ疲れてんの?」


「今、疲れが昇華されてる」


「もう、もう!そんなことばっか言う!おつかれさま!」


「ああ。ただいま」


 葵衣は自分が『可愛い』と言える容姿をしていないことを知っている。愛嬌があるとは言われたことがあるが、一般的に可愛いという感覚からはかけ離れているのだと思っている。

 なのに、勝真はいつだって葵衣を可愛いと言う。もう何百回。……そんなものでは足りない、何千回、いや万に届くくらいに、いつもずっと可愛いと言われてきたし、本当にそう思っているのもわかってる。


 だけど、どうしてもそわそわしてしまうのだ。可愛くなんてないよ!って思ってる気おくれした部分と、そんな風に想ってもらって嬉しい気持ちと、手放しで褒められて甘やかされている気恥ずかしさと。なんだかもっと色々な気持ちがぎゅぎゅっと心臓に押し込められたみたいに、持て余してドキドキしてしまう。

 いったい何年そんなことを繰り返しているのかと自分でも呆れてしまうが、未だに葵衣はそんな気持ちに慣れることができなかった。


 それに。それに。

 勝真は一般的に、たくさんの人前に立って大多数が認めるだろうくらい、格好いい。

 欲目なんてものではなくて、街を歩けば視線を浴びていたり、接した店員の女性に恥じらわれたりするような、整った容姿をしている。

 見た目や雰囲気がクールであるがゆえに、余り声をかけられたりはしていない。学生の頃から陰で噂されているタイプのイケメンなのだ。

 そんな人間から手放しで可愛がられるのは嬉しくも恥ずかしくも恐れ多くもある。


「うう……かっちゃんが格好いいんじゃない」


 埋まってしまいたい勢いで勝真の首元に顔を擦り付けた。

 静かな笑いの音が葵衣の頭の上をくすぐって、唇を引き結んで顔を上げると、優しく口づけが降ってきた。


「光栄だな」


 冷たい唇が笑いを含んだままの声で、触れ合う距離で囁いた。

 ご満悦そうな勝真の様子よりも、寒空の下で冷えてしまった唇の方が気になって、温めたい思いで葵衣ははむはむとその唇を啄んだ。


 普段から体温が高い葵衣は、触れることで温めることができる自負があったから、それがキスを強請っているように見えるなんて考えはない。ただ、自然に、何も考えずに温めようと思ったのだ。


 気付けば触れ合っていた勝真の舌先は唇のように冷たくはなくて、葵衣は小さく安堵の息を吐いた。

 けれど、その頃には既にキスの心地好さに思考力を奪われてしまっていて、大好きな相手とキスする幸福感に酔いしれていた。

 顔が火照って、じっとりと薄く汗をかく。胸の中を占めていた複雑な感情はまだぐるぐると渦巻いているのに、自分の気持ちもわからないほどにただただ幸せだった。



 唇が離れる気配に、思わず勝真の背をぎゅっと握った。

 陶然と勝真の顔を見上げながら、葵衣はようやく息が苦しかったことに気づいた。

 眉根を寄せて荒く呼吸を繰り返す葵衣の前髪を勝真が優しくかき上げる。薄ら汗ばんだ額を撫でる手の冷たさが心地好くて、葵衣はまだぼうっとしたまま頬を緩ませて溜息を零した。


 緩んだ頬を指の背で撫でつつ葵衣の顔を眺めて、勝真はしみじみと呟いた。


「可愛い葵衣をこんなに色っぽくしたのは誰だ?俺か。最高だな」


 思考を放棄していた葵衣はその台詞を聴いて、少しおいてからその意味を理解し、一気に我に返った。


「っ、な、な、なに………もう、もー、もうっ」


 自分のあんまりにもあんまりな状況と、てらいなく恥ずかしいことを言われた衝撃で、一気に身悶えするほどの羞恥に駆られて顔を覆いたくなったが、しっかりと抱きしめられていてかなわない。仕方なく真下を向く勢いで顔を俯けた。


「………そんなの、他に誰がいるっていうんだ」


 恨み言のようにぼそりと呟く。耳の奥で鼓動がうるさくて、少し整ったはずの呼吸がまた苦しい。


「……………そうだな。そんな相手がいたなら、あらゆる手段を用いて………決闘だな」


「もう、架空の相手に嫉妬してどうすんの!」


 想像して物騒な答えを出したらしい勝真に、葵衣は思わず顔をあげてツッコミをいれてしまった。


 葵衣は知っている。

 勝真はものすごく嫉妬深い。葵衣が大学で仲良くなった友達にさんざん嫉妬して、ついぞ何も包み隠さずにお互いを紹介するに至ったこともある。

 何をそんなに疑うことがあるのか。葵衣は弄られやすいタイプではあるが、勝真以外からはモテたことなんかない。


「俺を可愛いとか言うのは、勝真くらいしかいないんだから」


「葵衣の可愛さに気づけば、誰だって自分のものにしたいって思うだろう」


「そんな奇特な人間は他にいないの!」


 葵衣は感情が色々な方向に振り切れ過ぎてついていけず、ついつい騒ぎ立ててしまう。

 あちこちにうわーうわーと大混乱で忙しくて、ドキドキしっぱなしで、どこかふわふわもしていて、そわそわして、もじもじもする。

 しばらく枕を抱えて転がってでもいたい気分だ。



 勝真は見た目はクールだし、考えは理知的だし、ちょっと近づきがたいと思われる雰囲気をしているのだけれど。

 中身は意外にも情熱的だし、人間臭さに富んでいるし、ものすごく独創的だと思う。

 真面目で努力家で、ちょっとだけ空まわる。ちょっとズレてるところもある。

 甘え下手だけどべったりしたがりだったり、子どもみたいな好奇心旺盛な所もあったり。

 葵衣は自分だけが知っているそんな勝真の姿を、こっそり可愛いとも思っている。

 勝真が葵衣に向ける『可愛い』が圧倒的に大きすぎて、それはもう、こっそり、ひっそりくらいのものなのだけれど。



「もうっ!ご飯できたから着替えてきなよ」


 トントンと背を叩き、身を離す。

 素直に寝室へ向かう勝真の背を見ながら、気を取り直して葵衣はキッチンへ向かった。

 その口元は、くすぐったい幸せに緩んだままで。


 毎日贈られる幸せプレゼントでいっぱいの、今日クリスマスというちょっとしたイベントに、心から感謝していた。

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