ぬいぐるみ男子と着ぐるみオヤジ(Ver.腹黒オヤジ)

 作った覚えがない衣装を着たペーナのぬいぐるみ。それを大事そうに抱えて目をキラキラとさせる大柄の強面青年。

 フードコートの従業員らしき彼の姿に親近感を感じてしばらく見つめていると、じんわり思い出して黒崎は納得した。


 ああそうだ。この子は。

 昔からステージの端っこでペーナを見つめ、うつむいて所在なさげにしながらも、子どもや若い女性に交じってオリジナルグッズの配布の列に並んでいた。

 売れるかどうか賭けみたいなものだったぬいぐるみの販売日には、真っ先に駆けつけて真剣な表情でぬいぐるみを選んでいた、あの子だ。


 止まることを知らずにペーナを褒め称える弾んだ声に、思わず胸がくすぐられた。くらくらと温かい熱がこもる。もぞもぞと胸の内側がこそばゆい。


 いいなぁ。欲しいなぁ。


 ここのところ数年は忘れ去っていた感情が湧き上がって、何でもない素振りでへらへらと緩く対応しながらも、黒崎は胸の内で計算を始める。


 うん、うれしいなぁ。


 飄々とした姿ながらも、内心は喜びで染まっていた。


 目の前の青年は気付いていないだろう。

 ペーナは、黒崎くろさき はじめにとって、かけがえのない創造物だということに。

 黒崎の今までの人生の集大成とも言えるほど大切なものだということに。

 ペーナを心から好きでいてくれるこの青年が、黒崎の心を浮き立たせているということに。


 急ぐことはない。ゆっくりと篭絡しよう。胸元の名札から、すぐに所在は割れていた。

 見た目は人の好さそうな冴えないオッサンである黒崎には、このピュアそうな青年を捕まえる自信があった。

 何しろ、今は過去形となるものの、もともと黒崎は歴戦錬磨の遊び人で、手練手管には覚えがあるのだ。

 初心な青年一人を丸め込めるくらいには。



 平凡な田舎で生まれ育った黒崎は、『悪ガキのろくでなし』だった。

 母はなく、父は不愛想であまり口すらきいた覚えがない。

 代り映えしない田舎の交友関係の中で、ヤンチャ仲間と集った。

 見た目は派手でサボりや夜遊びなどの素行は激しく悪かったが、わざわざ犯罪に手を染めるようなことはしなかったから、誰かに咎められることもほとんどなかった。


 まともに教科書を開いた覚えはないが、器用で要領が良かったためか成績は中の中ほど。

 高校には通ったが、最初からそれ以上進学を考えたことはない。むしろ裕福でない父親がよく高校に通わせてくれたものだと考えていた。

 勉強することは黒崎にとって無意味だった。

 勉強することだけではなく、他の何もかもが無意味に思えていた。

 何の目標もなく、望むものも余りなかった。ただただ空虚だった。


 口が上手くて円滑に人と関わることができる黒崎はモテた。

 女性関係は中学生の頃から派手で、高校生となり行動範囲が広がると、女性に限らず同性とも関係を持った。

 楽しみの少ない生活の中で、性は一番楽しい遊びだった。特定の相手をつくることもあれば、作らないことも多くあり、自由奔放で複数人と戯れるゲームも楽しんだ。


 高校を卒業しても、黒崎の生活はあまり変わることはなかった。

 アルバイトや日雇いを掛け持ちしてその日暮らしの金を稼ぎ、嫌になったり金が溜まったら仕事を辞める自由な生活を送った。

 器用で仕事覚えが早い黒崎は、どこに行ってもそこそこ仕事ができたし、正社員に引き抜かれるほどの熱心さはなかった。

 黒崎のこの性格に慣れたいくつかのアルバイト先からは、臨時で仕事の依頼が来たり、人手が足りない時に声がかかるようになった。

 持ち前の要領の良さが幸いして、自由気ままな生活をしている割には金に困ることはなかった。多少の困った時には誰かに食わせて貰う手腕もあった。


 黒崎は、一生こんな風にテキトーに生きていくのだと思っていた。

 何かを頑張る情熱も持たず、やりたい事も欲しいものもない。つまらない人生を、それなりに過ごしていくのだと。

 それが変わったのは、二十代の半ばに差し掛かったころ。

 中学、高校とつるんでいたアキヒロから声がかかったことがきっかけだった。


 アキヒロは金持ちの息子だった。

 毎日一緒に夜の町で遊び、奔放な性豪遊をした仲間だ。

 一緒に乱交した勢いの名残で、付き合ってみるかという流れになったことがあるが、ベッドインした瞬間にお互いに「ムリ」と悟った。ゆえに、お互いにこいつは悪友だという認識を持っていた。


 アキヒロはなんとかそこらの大学を出て、親の仕事の手伝いなぞをしていたらしい。そこで、持て余していた田舎の過疎地を土地活用し、大型ショッピングモールの設立をすることを思いついた。

 アキヒロは黒崎がまともに職を定めていない事を知っていて、一緒にやらないかと声を掛けてきた。

 黒崎は最初は軽い気持ちでいいよと答えた。


 黒崎がショッピングモールの開設に携わったのは、もう建物が半分できた段階だった。アキヒロは高校の時に一緒につるんでいたコージも先に誘っていて、三人でアキヒロの親に使わされた有識者と会議三昧の日々を過ごした。


 何もない田舎町に初めてできる巨大ショッピングモール。

 つまらない毎日を、わくわくしたものにできる場所。

 アキヒロはそんな夢を抱いていた。

 あの頃つまらない日々を共有した黒崎も、アキヒロの夢に共感を覚えた。


 黒崎は、生まれて初めて勉強した。

 日々の会議や視察なんかの合間に、通信教育までして少しでも知識を蓄えようとした。

 黒崎に割り振られたのは、衣類や雑貨関係の部門だった。

 今までそんなものを意識したこともなければ、何の知識もなかった。だが、アキヒロとコージのセンスのなさが壊滅的すぎて、この役割分担は仕方ないと納得できた。

 経営のこと。服飾のこと。デザインやコーディネート。色使い。流行のつかみかた。学ぶべきことは多すぎるほどあって、寝る間を惜しんで少しでも知識を詰め込んだ。

 それでも有識者と対等に話をすることはできないことを知っていたから、謙虚に意見を仰いだ。

 話が通用するようになった時は、嬉しかった。いつしか議論できるようになっていて、一緒に方向性を検討できるようになって、努力が実を結んだ喜びを知った。


 実力が足りないことへの不安や焦りも初めて体験した。

 上手くいくだろうかと悩んだり、どうするべきかを考え続けたり、夜中に良いアイデアが浮かんで飛び起きたりもした。

 黒崎は初めて夢中になることを覚え、全力で努力することを知った。良い結果への望みや願いも持つようになった。

 意味のある人生を、初めて歩んだ気がしていた。


 ショッピングモールのプレオープンの日。

 近くの住民や協力してくれた人たちだけの誘致で、初めてがらんどうだった施設に多くの人が行きかった。

 明るい採光の広くてピカピカな通路を、子どもがはしゃいで走って行く姿を見て、気づけば涙が止まらなくなっていた。

 悩みに悩んだディスプレイを指さして褒めている人がいる。

 考え抜いたセール品に長蛇の列ができて、ベンチで開封した人々から歓声が上がる。

 誰かを喜ばせることができて嬉しいなんて、考えたこともなかった。

 だけど生まれて初めて、生きていて良かったと思えた。



 施設がオープンして間もなく、イメージキャラクターの制作の話が出た。

 黒崎が初めて、最高責任者として関わることになった仕事だった。

 素人から半歩も出ることができないままに、デザイナーとキャラクター制作について議論した。

 キャラクターは流行に左右されない必要があると言われ、提示された初期案のペーナの服装は、率直に言えばダサいと思った。

 服飾は流行を追うのに、キャラクターは流行から遠ざからなければならないのか。

 そう考えた時に、閃いた。

 ショーウィンドウの中みたいに、キャラクターだって着せ替えにすればいいじゃないかと。


 可能かどうかの話から始まり、どう考えても超過する予算を勝ち取るためにプレゼンしてまわり、協賛企業を募ったり、制作の手立てを見積もったりと、当初の見込みなんて比にならないほどに仕事に明け暮れた。

 賛同してくれた人が多かったことに胸を撫でおろしたのは束の間、通った企画が実際に動きだすと責任感で緊張が張り詰めた。

 ローカルな知名度のないショッピングモール。そこのキャラクターに意味なんてあるのか。すべってしまったら、予算だけでなく多くの人の好意や働きを無駄にしてしまう。

 黒崎は初めて眠れないほどの緊張を抱えた。


 そして迎えたペーナの発表の日。

 まずはデザインだけのお披露目だったのだが、結果は好評だった。

 グッズが欲しいという要望があったり、アパレル店とのコラボグッズを作って欲しいなんていう声ももらった。

 あまりにも嬉しくて、黒崎は直接応援してくれる人にお礼を言いたい気持ちになった。

 なったから行動した。そんな性分である。


 ここにオッサンが中で操るファッションペンギンの着ぐるみ、ペーナが誕生したのだった。



 ペーナを手放しに褒められることは、黒崎のアイデンティティの全てを褒められるようなものだった。

 だから、ペーナを心の底から好きで仕方ないといった目の前の青年が、黒崎には眩く、こそばゆく、心を浮き立たせるのだ。

 ここ数年すっかりと忘れていた、他者への情熱を思い出させるほどに。

 そして、それを思い起こせば。

 欲しいと思ったのだから手に入れてしまおう、なんて意思は一瞬で決まった。

 黒崎 浩は器用で要領が良く、行動力がある人間だ。その上、今は努力も知っているし、昔以上に知略に長けている。


 次はいつ会いに行こうかな。

 へらへらと笑いながら、黒崎は腹の中では早速計画を立て始めていた。

 こんなにも心が躍ることなんて今まであっただろうか。

 色褪せていた過去とは違って、色鮮やかな想いが強く胸を満たしている。

 これが俗にいう恋というものかもしれない。

 なんて、柄にもない思考に上機嫌に頬を緩ませて、慣れた着ぐるみの仕草で青年に手を振った。

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