あのころ(勝真)①

「あのくらいのこともできないなんて」


 勝ち誇ったように嘲る口ぶりは不快だった。


「下品でろくでもないわ」


 上品ぶって蔑む方が、よほど品性に欠ける気がした。

 いや、どちらかといえば人間性に、だろう。


 高学歴で高ポスト。『成功』と言われる道を突き進み、他者に傅かれて生きてきたからこんな風に卑しい人間になるのだろうか。

『成功』を信じて疑わず、それを強要されることに辟易はするけれど。それは勝真にとってそんなに難しいことではなかった。むしろ、そうしないことは面倒で、できないと思われる事には我慢がならなかった。

 結局はこんな両親の血を受けて生まれてきたのだ。

 姉も勝真と同じ様な考えで両親の傲慢を影で罵ったが、結局はそれこそが傲慢であるとも言える。

 似たり寄ったりだ。両親も、姉も、勝真自身も。皆が同じ穴の狢だ。


 何もかも優れているのは当たり前だと、そう育ってきた。

 馬鹿げていると思いながら、逆らうだけの理由がなかった。

 自分を称賛しながら陰で妬んだり嘲ったりする人間に嫌気がさした。

 媚びへつらってくる他人も面倒くさかった。

 だから勝真は、他人に深入りすることなく当たり障りなく生きてきた。

 その結果、高慢だとかいけ好かないだとか言われたりしても、その先ずっと関わる訳ではないから問題はなかった。

 関わらないのが楽だった。

 そして、そんな自分の傲慢さにもうんざりとしていた。



 勝真が葵衣と出会ったのは、高校の一年の時。同じクラスで、近くの席順になって、グループワークのような機会でよく喋るようになった。

 葵衣はいつもにこにこしていて、一見人当たりが良かった。だけど、敏い勝真には葵衣の人見知りが見て取れた。どこかで緊張していて、常に気を遣っているような人間だと理解していた。

 愛想よく見えるから接しやすいのだろう。クラスの賑やかな連中に絡まれて、楽しそうな姿を見せて、一人になると安堵の息をこぼす。

 お互いに他人に踏み込まれたくない同志で、勝真と葵衣は気が合った。


「ああいうの、別に嫌っていう訳でもないんだけど。うまく返したりできないからさ。ちょっと緊張すんだ」


 勝真の側でほっと胸を撫でおろし、こっそり囁いてきた葵衣が意外だった。

 勝真はどちらかというといつも他人に気を遣われるほうで、安心される対象ではなかったからだ。


「桐ケ谷くんは何でもできてすごいね」


 勝真にとっては『当たり前』だったことに、ことあるごとに目を見開いて、照れながら勇気をだして言葉にする葵衣に、初めて自分のやってきたことが報われた気がした。

 ただ意地とプライドで優秀であろうとしただけに過ぎなかった。

 すんなりと称賛が胸に届いたのは、葵衣が疑う必要もないほどに嘘をつけない不器用な人間だったからかもしれない。

 嬉しくて、誇らしい。

 勝真は嫌気がさしていた自分という意地とプライドの塊に、肯定的な意味ができたような気がした。


 心地好く友人関係を続けるうちに、知らずと葵衣へと庇護欲が芽生えていた。自分の思いや考えを上手く伝えることができずに全て飲み込んでしまう不器用で自信がない葵衣を、守ってやりたいと思っていた。


 時間が経つにつれ、葵衣の周囲には同じように一定の距離感で付き合いたい人間が集まってきた。

 一人でいたい訳でも、何かこだわりがある訳でもなく、ただ群れて騒ぐのも好きではない。そんな人間は絶対的な少数ではなかった。

 その中でも繊細な葵衣が関わりを持つ人間は、他者の価値観を配慮できる者ばかりだった。

 彼らは勝真のことも特別視せず、噂や偏見にも惑わされることもなく、普通に接する。葵衣と共に過ごすうちに、勝真はそんな相手とも自然と仲良くなっていった。


 初めて葵衣以外の人間と友達付き合いをするようになって、勝真は自分が思い描いていた他者の像が、あまりにも独りよがりだったことを知った。

 勝真のことを羨むものも、妬むものも、陰で罵っている者もいる。繋がりを持って利益を得ようと媚びへつらう人間もいるし、何かしらおこぼれに与ろうと近づいてくる者もいる。

 それは確かなのだけれども。それ以外の、勝真の持つステイタスがどうでもいい人間も多くいるのだ。

 そんな人間が見ているのは勝真の言動や思考、人間性だけだ。勝真が今までないがしろにし続けてきた『自分』という個性を、大事にしてくれる人たちだった。

 今までもいたのかもしれない。ただ、見ようとしなかっただけで。

 勝真はそんな自分の浅慮な思い違いに気づくことができた。そして、他人を一くくりにして見ようともしていなかった自分の傲慢を恥じた。


 次第に幾らかの友人と呼べる相手もできたが、その中でも勝真と葵衣はひときわ仲が良いままだった。

 それが崩れるなんてことを、勝真は想像もしていなかった。



 進級すると、葵衣とはクラスが離れた。

 最初から予測はついていたことだった。

 地元の進学校として名が知れたその高校は、特別進学クラスに重きを置いていた。通常のクラスとはだいぶ偏差値にも進路にも違いがあった。

 一年次の学級はランダムだ。通常よりもレベルが高い授業を全員で受ける。その上で希望者に特進クラス並みの補習が行われる。

 そして二年に上がる際に学内でプチ受験があった。そこで特進クラスと通常進学クラスの選定を行っていた。

 常に成績が上位にいる勝真は特進クラスに行くことが決まっているようなものだったし、葵衣の成績が通常進学クラスの範疇であるのはわかっていた。


 勝真は最初はそのことに大して何かを思っていた訳ではない。

 ただ、教室が変わるし授業のカリキュラム自体が違うから、葵衣と一緒にいる時間は減るのだろうとは考えていた。

 それだけだった。


 だから、葵衣が同じクラスになった友人と仲良く過ごしている姿を見て、勝真は急に芽生えた感情に身を焦がれさせた。


 盗られてなるものか、と思った。

 勝真は今まで自分には無縁だと思っていた妬みや羨望を知った。それは常にじりじりと不愉快に胸を燻ぶった。

 勝真が葵衣と仲良くなったきっかけが、ただの距離感だったのだから。物理的に距離があいてしまったら、葵衣にとって心地いい人間は勝真ではなくなるかもしれない。そう思うと、焦燥を覚えた。


 庇護欲だったものは、いつの間にか独占欲になり果てていた。

 葵衣の一番は、誰にも渡したくない。絶対に渡さない。


 葵衣に忘れられたくなかったから、不意打ちでキスをした。

 もっと気を引きたかった。忘れられなくて考え続ければいいと思った。


 初めて他人に興味を惹かれた勝真は、狡猾であろうとして、その実は手一杯だったのだ。

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