あのころ(勝真)②

 腹が立っていた。焦りも闘争心もあった。

 ついこの前まではほどほど仲が良いだけの相手だっだ相手と並んで、気を許しきった顔で笑っていた葵衣の様子を思い出して、湧き上がった苛立ちを抑えられなかった。


 夕暮れの校舎前。お互いに人が多いところが好きではなくて、いつも昇降口より少し離れた何もない場所で待ち合わせをしていた。

 おちあって、他愛もない言葉を交わして、隙だらけの唇を奪った。


「え……なに?なん……?」


 葵衣が驚いて固まって、それから顔を赤くしておろおろとしたのを見て、勝真は気分が良かった。

 誰にも負けたくないし盗られたくない。葵衣にとってのてっぺんにいたい。


「さあ?」


 はぐらかしたのは、そんな性根が悪いことを伝える気がなかったからだった。

 だけど、問いかけられた『なぜ』を考えてみれば、勝真の中で答えはすぐに出た。

 勝真は葵衣のことが特別な意味で好きなのだ。


 なんの迷いもなくすんなりと胸に落ちる。迷いはなかった。

 もともと勝真は『平凡』ではない。普通はどうだとか忖度をしたり、他人の価値に左右されるような人間でもなかった。

 欲しいと思えば、勝ち取りに行くまでだ。

 もし駄目だったらなんて殊勝なことを考えるよりも、どうアプローチするのが効果的かを考える方が役に立つ。やれるだけのことをやって駄目だったなら、その時初めてどうするか考えればいい。

 不遜なことを考えながらも、心臓がバクバクしていた。ついこの前まで好意すら知らなかった勝真には、初めての恋心をあしらうほどの余裕はなかった。


 正直、葵衣が何かしらの反応を見せてくれることを期待していた。

 だけども次に顔を合わせた時に、葵衣は何事もなかったかのように普通にしていて、キスしたことは冗談にされていた。

 後に聞いたところではあるが、葵衣はそんな冗談を受けたことが以前にもあったらしい。ただの冗談として。それを知った時には、ふつふつと煮えたはらわたを宥めるのに苦労したものだが。この時の勝真には思い当たるべくもなかった。


 だから、二度目のキスをした。

 だって確かに一度目は、その場では効果があったはずだから。……いいや、本当はただしたかっただけなのかもしれない。嫌がられていない手応えは感じていたから。

 葵衣は思いもよらずに、かーっと顔を真っ赤にしたまま詰め寄ってきた。


「かっちゃん、二度目!二度目ってことは、俺のこと好きなの?」


 言っている言葉は飛躍しすぎてめちゃくちゃで、いったい頭の中でどれだけのことを考えているのだろうと思うと、あまりに可愛く思えて笑ってしまった。


「好きだ、葵衣」


 まだ様子見をするつもりだったのに、耐え切れなくて零れた。葵衣を乱しているのが自分だと思うと嬉しくて、わざとらしく耳元で乞うように囁いた。


「葵衣は?」


「俺……かっちゃんのこと、好きだけど……そ、そういう意味で好き、……って、考えたことないし。まだ、わかんないから……待ってて!」


 それは、完璧に答えだった。

 例え今は確証がなかったとしても、きっと勝真の手に入る。そうしてみせる。きっとそうできると確信した。

 一生でも待っていられる、と思った。

 勝真を選んでくれるのならば、一生迷ったままでも、生涯何かしらの『かたち』にならなくても、それでも十分だと思った。


 同じだけの想いを貰える日が来るかはわからない。だが、葵衣に愛を乞うことは許されたのだ。勝真はそれだけでも十分だと思っていた。

 葵衣が恋愛事に疎く苦手としていることはわかっていた。初心で奥手な葵衣が、積極的になれるとも思わなかった。

 だから、触れ合うことも。繊細で臆病な葵衣が受け入れられないならば、それはそれでいいと思っていた。そんな葵衣が好きなのだから。

 ……そう、気持ちの上では。全く持って抑えが効かない想いがあるのだとは、まだ初心な勝真は知らなかった。



 結局は葵衣を口説いて迫って絆してべったりと距離を詰めた。

 困惑と羞恥に戸惑いながらも、葵衣は嬉しそうに頬を緩ませていたから、自制する理由がなかった。

 頭で思い描いたシナリオなんて役に立たない。逸る胸の鼓動は頭の中まで鳴り響いて思考を乱し、もう少し、もっと、と欲張る想いを飲み込めずに息が詰まってしまうのだから。

 勝真は自分がもっと要領よく上手くやれる人間だと思っていた。感情に振り回されて冷静な思考を欠くような事態が自分にも訪れるなど夢にも思ったことはなかった。


 一ヵ月ほど経って、葵衣から初めて好きだと言われた。

 喜びに悶えすぎて身じろぎもできなくなった初めての思い出だった。


 常に、あわよくば、もう少しと。下心をもって接してしまうけれど。葵衣が大切だからゆっくりじっくりと進んでいった。


「嫌じゃないのに、恥ずかしくて嫌っていっちゃうんだ……ほんとこんなでごめん」


 そう言って泣かれた時などは、悶えすぎて一周回って無になった。

 これほどに愛おしい人間なんてこの世の中に他にいない。

 葵衣は勝真の大事な大事な宝物で、世界のまん中だった。



 三年に進級すると、本格的に進路と向き合う時期になった。

 といっても、もとより進学校であるので、成績判定と共に具体的に受験する大学を決めて行くだけに過ぎなかった。

 葵衣は焦っていた。

 明らかに不健康な顔色をしていたり、ぐったりと疲れ果てて表情が力ないことも増えた。


「だって、かっちゃんはモテるから。離れたらすぐに、ダメになっちゃうかもしんない。俺なんか、忘れちゃうかも」


 ゆっくりと、じっくりと、話を聞いてみると最後には悲壮な顔でそう言った。

 勝真には思いもよらないことだった。


「一緒の大学に行ったとして、葵衣はその先にやりたいことがあるのか?」


 葵衣は要領が良くない……というよりも、丁寧すぎる性格をしている。

 一つ一つのことを時間をかけて理解するタイプであり、詰込み型の学習は向いていないこともある。残念だが、詰込み型の学習をせざるを得ない受験は苦手に違いなかった。

 そもそもが勝真と葵衣では受けている授業の内容も時間数も違う。同じ大学に合格することも困難だが、もし乗り切って合格したとして、それは葵衣の役にたつのだろうか。


「葵衣が学校を出たあとどうしたいのかを考るべきだろう。一番大切なのは、葵衣の人生だ。大学なんか通過点でしかない」


 距離が離れたら、気持ちも離れてしまうかもしれない。

 その思いは、一年前に勝真が味わったもので、葵衣の焦りもよくわかる気がした。

 勝真だって離れたいと思っている訳ではない。

 けれども葵衣に無理をさせるのも、葵衣の人生をそんなことで左右させるのも耐え難かった。

 勝真は考えた。そしてすぐに結論を出した。


「離れたくないなら、一緒に住めばいい」


 気持ちはすっかりプロポーズだった。

 離してやるつもりなんて毛頭ないのだから、それならば行動は早くても問題ないだろう。

 それだけ自分は心変わりしない自信があった。葵衣に対しては、心変わりさせてたまるかと思っているところもあった。


「……う、うん…うんっ………」


 葵衣は勝真に抱き着いてぐずり泣いて、そのまま眠ってしまった。

 卒業すればこのまま葵衣を持って帰れるのか。そんなことを実感し、勝真はひたすら最高の結果を残してやろうと受験を戦い抜いたのだった。

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