ゆめとうつつと(勝真&葵衣)
どこか遠くから、良く知ったメッセージの通知音が聴こえてきていた。
「かっちゃん、俺の通知音これにしとくからね」
いつだったか、勝真のスマホをウンウン真面目な顔をして弄っていた葵衣が設定した、葵衣用の通知音だ。
勝真はぼんやりと目を開く。
目を瞑っていても、目を開けていても。いつも思い浮かぶのは在りし日の葵衣の姿だった。体のだるさが増してくると、ことさらに夢と現実は混ざり合った。
本当に葵衣がそこにいるかのように。
ああ、夢を見ているのか。都合のいい妄想の中にいるのか。
勝真はどこか冷静にそう思った。
身を起こすのは億劫だが、わずかな期待に突き動かされてテーブルに放りっぱなしのスマホを見る。
葵衣関連の手続きで、血縁者でなくともできるものは全て勝真が請け負った。その関係で連絡を受けることもあって、スマホだけは面倒でも使える状態にしていた。
それも、もう半月以上経ってしまえば、連絡を受けるようなことは少なくなっていたのだが。
夫婦という形ならば自分がすべきだっただろう手続きを、出来るかぎり自分の手でしたかった。それが何の形も得ることができなかった勝真に残された矜持であり、権利だと思っていた。
のそりと起き上がり、スマホに手を伸ばす。
見慣れたロック画面に、見慣れた言葉が並んでいるのを見て、勝真は目を見開いた。
これはやっぱり夢なのだろう。もしくは、もう目覚めない眠りの中にいるのかもしれない。
そんな風に思いながら、震える指先をを叱咤してメッセージを開く。
『勝真!とりあえず家の鍵開けて待っとけ!すぐ帰るから』
怒れる小動物のスタンプと共に、葵衣からのメッセージが入っていた。差出人は確かに葵衣のアカウントで、スタンプも葵衣が好みそうなものだった。
勝真はぎゅっとスマホを片手で胸に抱いて、すぐに立ち上がった。必要最低限も飲み食いをしていない身体はひどく重くてふらつき、薄膜が張ったように滲んだ視界にはちらちらと星が舞う。
だが、そんなことは葵衣に会えるならば些細なことだった。
玄関のドアを開けて周囲を見渡すが誰もいない。
やはり夢か幻覚だったのかもしれない。
勝真が落胆に息を吐くと、胸元が震えてまた聞きなれた音が鳴り響いた。
『ええと、とりあえず帰るけど。絶対びっくりするけど信じてな!』
今度はやや不安になったかのような、言い訳じみたメッセージだった。
ああ、葵衣だ。
玄関の壁に寄り掛かり、勝真は縋るようにスマホを抱きしめた。
そのメッセージは、どこまでも葵衣らしかった。きっと他の誰にだって成り代われないだろう。……勝真以外には。
そのくらい、勝真は葵衣を知り尽くしていた。葵衣が勝真を理解していたのと同等に。
夢でもいい。葵衣のいない現実よりもずっと。
夢から醒めたくはない。いっそ永遠に夢の中にいたい。
だけど願いは叶わない。
狂いたくても。惑いたくても。
合理脳で現実的な勝真はどこかで夢か現実かをきっちりと判別していて。
どうしようもなく現実を思い知っている。
なけなしの体力はそれが限界のようだ。眠気を誘われて、勝真は壁に寄り掛かったまま目を閉ざした。
今ひとたび、葵衣の夢が見られただけでも……。
持ち上げる気力がない口の端がわずかに緩んだ。
勢いよく開けられた扉に、空気が揺らいだ。
久しぶりに風を浴びて、勝真の意識はまどろみの中でぼんやりと浮かび上がった。
「かっちゃん!勝真!」
知らない声が自分を呼ぶ。
まるで葵衣のように。
顔を上げると玄関から飛び込んでいた少年と視線が合った。
葵衣よりも背が低くて痩せていて、青白い顔をした少年だった。
細身の身体に合わない使い古しただぼだぼのTシャツと、薄汚れたデニムパンツ姿で、両足を踏ん張りながら少年は勝真を必死な眼差しで見つめていた。乱れた息に薄い肩が上下するたびに、手入れされていない髪がバラバラと肩の上で揺れた。
知らない人間なのに。
「……葵衣」
その表情がまるっきり葵衣のように見えて、勝真は縋るようにその名を呼んだ。
少年は一瞬だけくしゃりと目元を歪ませて泣きそうな笑みを浮かべて、それから手に持ったスポーツドリンクを勝真の胸元に突きつけ、眉を吊り上げ睨みながら勝真に迫った。
「とりあえずこれ飲んで休みな、勝真」
それは、まぎれもなく葵衣でしかなくて。
勝真は必死に手を伸ばし、その細く小さい身体を抱きしめた。
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