ながれぼしがおちるわけ(奏良&葵衣)

「えーっと、パスワード、パスワード……なんだっけ」


 流れ星は奏良のスマホを借りて、真剣に画面とにらめっこし始めた。


「メインで使ってるフリーメールは使えるし、ああ、本当に申し訳ないんだけどこのアプリのアカウント一回抜いちゃっていい?」


 星はあんまり器用ではないようだ。頭を悩ませながらも必死でスマホを弄り続けている。


『別に俺はどうでもいいし、好きに使っていいよ』


 奏良は興味深々で、あたふたしている自分の姿を見ていた。


 この状況をどう表したものだろう。

 強いて言うならば、自分の姿が見える夢に近いだろうか。

 自分の身体が動いている姿がなんとなく認識できる。自分の身体が見ているものも見える。音や匂いもわかるようだ。感覚はあるのに鈍くてどこか他人事のようで、自分の意思で身体を動かすことはできない。

 降ってきた星が考えていることはわからない。

 でも、この星の気持ちは一緒に分かち合っている。


 焦って、不安で、必死で。強く強く望んでいる。

 奏良が遠い昔に置き忘れてきた感情が、胸に舞い戻ったようだった。

 だけどもそれは奏良が知っている感情とは少し違って、少しも餓えてはいなくて、とても温かいものだった。


『なぁ。とりあえずどっかで落ち着かね?ここで一人芝居し続けてて不審者扱いされたらやばいんだろ?えっと、あんたのこと何て呼べばいいかわかんねぇけどさ』


 奏良はまさに言葉通りに、この星の好きにしたらいいと思っていた。

 元より何もかもどうでもよかったのだ。

 こんな不可解なことが起きているのだから、自分はもう死んだのかもしれないとすら思う。

 奏良がそんな風に考えていることに気づかない星は、彼の気持ちを感じ取っている自分とは違って、考えも気持ちも伝わらないのだなと何となく理解した。


「ああ、ごめん!俺は佐藤葵衣。たぶん……幽霊?なんじゃないかな。今年29歳になるとこだった、享年28歳」


 星は声を潜めて奏良に名乗りながら、歩き出した。

 そこは奏良にとっては適当に選んだ道で馴染の有る場所だった訳ではなかったのだが、奏良の身体は迷わずに暗い道を渡り、小道を抜けて、人気のない遊歩道へと出る。見たことのないその場所で、迷いない足取りでその先のベンチへと向かい腰を下ろした。


『俺は、武内奏良。葵衣さん?よりちょうど10コ年下なのかな。って、なんか変だよね、こういうの』


 こんな状態でお互いに自己紹介だなんて普通では有り得なくて。自分の身体が知らない場所をしっかりと進んでいくのが目新しくて。再び真剣にスマホの画面を睨んでいる葵衣から伝わる気持ちが胸を騒めかせて。

 奏良はなんだか面白く感じて葵衣に興味を引かれていた。

 突拍子もない、予測不可能な何かを体感している。それは人生最後の冒険物語のようだった。


「俺が死んでから、うちの旦那さんが……落ち込み過ぎて倒れそうなの。後を追いそうな勢いで。心配過ぎて死にきれないよ」


 葵衣は少し言いにくそうにためらってから、奏良へとそう告げた。

 それは奏良には予想もつかない情報で、一瞬で理解しきれずに少しだけ考え込んだ。だけど、考えるとすんなりとその意味はわかった。

 うちの旦那さん、と葵衣がためらってから言った意味。胸に広がる複雑な想いと、強く願うような気持ち。奏良の心臓をぎゅっとさせる騒がしい感情に、言葉以上に葵衣の大切な人の存在を直接感じ取った。


 そんな最中に、ふっと胸に喜びが込み上げた。


「やっっった!いけた」


 拳を握りしめた葵衣に、奏良は思わず笑った。


『よかったね。それで、その人にメッセージ送るんだ?』


 あれこれと忙しくスマホを操作している葵衣に、奏良は他人事のようにのんびりと話を続ける。


「うん、幽霊じゃ通じなくて困り果ててたんだ。ほんっとうに奏良くんが身体を貸してくれてよかった。感謝してもしきれない」


 葵衣は一瞬だけ手を止めて、奏良に微笑んだ。

 奏良は自分の顔が微笑むのを見て不思議な気分だった。鏡を見ることも多くはなかったが、笑ったことなんてもうずっとなかった気もする。


 でもそんな違和感は頭の片隅に過った程度で。

 葵衣が奏良に向けた感謝が、眩い程に胸の中で輝いていた。

 心を感じ取れるからこそ、葵衣の言葉に嘘がないのがわかった。純粋に奏良に向けられている感情が温かくてこそばゆい。


『どうせ死ぬつもりだったんだし、葵衣さんの役に立ったならちょうどよかった。こんな身体でよかったら、好きに使ってよ』


「ごめんね、ありがとう奏良くん」


 そうして何とか想い人にメッセージを送ることができた葵衣は、何とか奏良のスマホで自分の電子決済を使えるようにもうひと奮闘してから走った。

 言葉通り走った。

 奏良はなんだか映画でも見ているような気持で、何もかもが突拍子もない葵衣を眺めていた。



 ―――そして、辿り着いた先で。


「葵衣……」


 自分の身体を抱きしめる男の姿に狂おしく胸が締め付けられた。

 それは奏良へと向けられたものではなかったけれど、誰かに包み込まれる心地よさを知った。


 酷く憔悴した、疲れた顔の男だった。そこそこの上背もあり、元々は整った部類だっただろう顔なのに髪も乱れ、無精髭が目立って、クマの酷い目元は泣き腫れていた。

 奏良はそんな風に乱れた大人の姿を見たことはなかった。


 愛しかった。恋しかった。心配で苦しかった。どうにもできなくて焦っていた。不安で不安で仕方ない。腹が立って、腹を立てきれなくて、ただ……どうか、どうか、不幸にならないで。幸せでいて欲しい。


 胸の中で、溢れそうなほど葵衣の気持ちが渦巻く。尽きることがないほどにぐるぐると、奏良の胸まで焦がすほどに。


 流れ星は落ちずにはいられなかったのだ。

 奏良はそれを思い知った。

 こんな思いを抱えて、空のかなたからただ見ていることなんてできないから。

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