目を開けたら元世界だった夢を見た(sideラフェ)

 目を開けると、その光景はいたく懐かしい感情と共に頭に流れ込んできた。


 俺の部屋だ。


 8畳と6畳の2部屋。目覚めた寝室にはデスクにパソコン、それから壁をぐるりと囲む書棚。洒落た服も入ってない、長年着続けた安い洋服がかかったクロゼットの下部にも本棚。床に積み重なった読みかけの雑誌と論文。また寝落ちていたのか、白い天上にはLEDが光ったままだ。

 なのに、シングルのベッドはぎゅうぎゅうで、でっかい抱き枕の寝息を感じる。


 今は、いつなんだ?

 寝てていいんだろうか?仕事は?

 慌ててスマホに手を伸ばすけど、見た文字の情報が頭に残らない。

 そうか、夢だ。

 夢を見てるのだ。すごく懐かしい。


「……ラフェ?」


 上半身を起こして周囲を見渡していると、ネロがぼんやりと目を開けた。それからじっとこちらを見ている。


 黒い髪は、寝る間も惜しむスケジュールの中で、時間が惜しくなってから久しく染めてなんていなくて、項を半分隠す程度伸び切っている。くせ毛なのだけがラファエロと唯一変わらないような、でも髪質はパサついて綺麗にまとまらず、一緒と言い切るのはおこがましいかもしれない。身長は成長期に魔力を枯渇させたが故の低身長ではないから、あの身体より10cmばかりは高いだろうか。視力は自慢できる黒い目で、ほりの浅いTheジャパニーズ。

 歳の頃はなぜかはっきりと思い出せないけれど、30代の半ばかそのくらいか。

 天使や女神と称されたラファエロの容姿とは似つかわない、平凡な姿だ。


「おー、よくわかったな?」


 へらりと笑いかけると、ネロもがばりと身を起こして周囲と俺とを慌ただしく見渡した。

 ネロの姿はいつもと変わらないけれど、着ているのはありふれたスウェットだった。鍛え抜かれた体躯がほんのりと浮かびあった、ラフな部屋着姿。

 やっぱイケメンなんじゃねぇの、なんてしみじみ思う。


「なんか夢のなかっぽいな?あー、お前の好きな天使じゃなくて悪かったな」


 普段からいつも容姿を褒め称えられているから、ちょっと居心地が悪い。この姿の名前も思い出せないけど、少なくともこの姿が俺だって自覚できるくらいは覚えているのだから、不可抗力に違いないとしても詐欺を働いた気にもなる。

 残念がられたらと思うと申し訳ないような、落ち着かないような……。


「いいえ……美しいです」


 ネロの両手ががしっと俺の手を取る。ギラギラと真剣な眼差しが俺を捕えて、一分の嘘も交じっていない生真面目な顔で語った。

 まじか。


「天使のようなラフェの美しさとはまた違っていますが、その柔らかな微笑み、澄んだ声音、ああ、そうやって眉尻を下げたり口の端を揺らしたりする姿もたいへん可愛らしく……」


「わかった。わかったから」


 相変わらずの盲信者。こいつには容姿なんてもはや関係なかったのか?

 俺を俺だと疑う事もなく完全に確信している。これも夢だからなのだろうか、それともネロだからだろうか。


「しかし、ここは?」


「うーん、俺が住んでた世界に似てるな。まぁ夢なんだろうけど」


 伸びを一つしてベッドから降りた俺の姿は、身に馴染んだTシャツと半パン。久々に身軽な格好は快適極まりない。


「ラフェの住んでた世界、ですか?」


「うん、この世界ではな、誰でも命の重さが一緒なんだ。まぁ、貧富だとか権力だとか、そういうのはあるけどさ。俺もお前もただの一般人だ」


 そう思うとなんだか面白い。

 俺とネロの間に、富や権力の差がなかったら?

 何かが変わるんだろうか。それとも変わらずこいつはずっとこんな風なのだろうか。


「そんな世界があるなんて……」


 驚いて目を見開いている素直なネロに笑いが零れた。


「色々見せたいものがあるけど……とりあえずは知識を蓄えてからだな」


 それからしばらく、家の中を案内したり、この世界の常識や歴史を教えたり。

 見るもの全てに驚きを隠せないネロに、ひとつひとつ説明していった。

 こいつの頭は相変わらず優秀で、理解が早い。

 そして、すごく努力家なのを知っている。

 ネットの検索機能や、動画の扱いを覚えたネロの傍らで一息ついた。


 少し落ち着いたら、俺もこの世界のことが気になってきた。

 今、やらないとならないこととかないよな?

 仕事。仕事は放っといて大丈夫か?

 ちょっと様子見に行って、情報集めた方がいいかな。


 まだネロを外に連れ出すのは尚早だろう。

 だから、俺は連絡用にネロにスマホを持たせて、自習を言いつけて家を出た。

 手の中には仕事用の携帯がある。いざとなれば電話連絡はできるのだ。



 何処を見ても懐かしい道を、足の向くまま進めて職場へと向かった。

 長年見てきた景色だった。それがいつまでなのかとか、移り変わりがどうだったのかとか、全く思い出せなくて、だけど不思議なことに気にならなかった。

 ああ、休日だ。

 閉まっている病院の玄関先を見てそう察した。それから建物をぐるりとまわって、裏口から入ってロッカーで白衣だけ羽織る。

 仕事だって色々なことをやってきて、思い当たる選択肢は一つではないはずなのに、足が向かったのは一つの病棟だった。まさに夢を見ているような感覚で、疑いようもなくそれが正しいと知っている。


「先生、お休みなのにお疲れ様です!」


 顔見知りの看護師がこちらに気づいて声をかけてきた。

 じんわりと懐かしい気持ちが胸に湧き上がった。

 そうだ、これが俺の場所だった。


「ちょっと様子見にだけさ。何かある?」


「先生の患者さんは特に何事もなくです。ああ、この前の急患の〇〇さん、先生にお礼言いたいってすっごく感謝してました」


「あー、即オペだった人?元気そうでよかったな。元気にしてくれたのは主治医だろうに」


「でも、すぐに外科に回して仲介までしてくれたの、先生じゃないですか。即オペできたのは先生あってですよ」


「あはは、切り貼りは苦手だけど、仲介は得意だぞー任せとけ」


「そんなこと言ってくれる先生、本当にありがたいです」


 指摘されるとふと患者やケースの情報を鮮明に思い出した。今までまったく頭になかった情報が、最初からそこにあったかのように。

 何をどうすればいいのか知っている。自分にできることを知っていて、為すべきことも知っている。

 スケジュールきつきつで、しんどい時もある。仕事以外に割く時間もあんまりなくて、毎日のように時間が足りなくて、彼女もろくろくいなかったけど。

 もちろん、仕事だって面倒ごとも損を引くこともあったし、力が及ばないこともたくさんあった。

 だけど、ここは俺の場所だった。


「あの、全然関係ないんですけど、□□先生の患者さんのこと相談しても……ちょっと気になる症状があって」


 相談を受けて、看護師と一緒にカルテをのぞく。


「おー。確かに気になるな。ちょっと□□くんに電話してみるわ」


 フットワークが軽い事が、俺の利点だと思っていた。同僚に電話をして話をつけるなんてどうってことない。まさに、いつでもどこでも電話が掛かってくるのがこの仕事。休日は支え合い。結局は主治医が責任もつっていうのは当然だけど、誰がやってもいいことくらいはお互い様で貸し借りできた方が便利だ。


「こんな感じだけどさー、取り敢えず採血と画像くらい撮っとく?データ出てからまた電話すっわ。急ぎじゃなきゃいいよ、今のうちにベビーちゃんに顔覚えて貰っとけって」


 軽やかに電話を終えて、一仕事に取り掛かる。

 ずいぶんと久しぶりだからか、心の奥底がどことなくくすぐったい。

 好きだなぁ。俺、この仕事が好きだよ。

 だからきっと、忘れなかったんだ。自分のことを忘れても。



 一仕事にかかったのは二時間そこらだろうか。

 無事に段取りまでつけられてほっとしたならば、家に残してきたネロが気になった。

 わからないことばかりの、自分の常識が一切通用しない世界に、一人で置いて行かれたんだ。心細いに決まっているだろう。


 家路を急ぎながら、これからのことを考える。

 この夢のような元世界が、いつまで続くのかわからないけれど。体感的には半日以上経っているだろう。まだ先があるのか。

 これからどうしたらいいのだろう?

 俺はいい。何も困らない。

 手に職もあるし、賃貸だけど住むところもあるし、久々だけどこの世界のことをちゃんと知っているのだから。


 でも、ネロはどうだろう?

 何もかも勝手が違う世界で、生きにくくないだろうか?

 そもそも日常生活の中で剣を扱うことすらないこの世界で、自分の特技が通用しない世界で、過ごすのはつらくないだろうか?

 だったら、ネロはどうしたいのだろうか?


「悪い、遅くなった」


 運動不足の身体で息を切らせながら玄関のドアを開けると、ネロはデスクについたままずっと動画を観ていた。

 パソコンのウィンドウには、動画と並んで検索した文章。どうやら本当に真面目に歴史やニュースなんかをずっとみていたようだ。


「お、偉いじゃん。どうだった?ぜんっぜん違うだろ、俺たちの世界と」


 息を整えながらネロの真横に並んで肩に手を回して尋ねる。座っているとはいえ、ネロに見上げられるアングルは珍しい。


「……すばらしいです。こんな風に、誰もが生きていて良いとされる世界なんて」


 キラキラと瞳を輝かせてネロが語った。

 そうだな、俺らの世界の血脈主義も、お貴族様の横暴も、本当にクソだって思ってた。だけどそれは、民主主義の世界では、本当に当たり前のようなことで、きっと誰もがそう思うんだ。

 俺が特別な訳ではなくて。


「そうだろ?天使の思想なんかじゃなくって、ここではこれが当たり前なんだよ」


 どこか寂しいような気持ちを覚えながら苦笑してそう返すと、ネロは不思議そうにぱちぱちと瞬いて、強く否定した。


「でも、あそこでは貴族に生まれた方たちにとっては、賎民は取るに足らないものだというのが当たり前でしょう?あんたが生まれたのはこの世界の法なんて関係ない場所で、随一と名高い貴族家だ。それでも俺たちを人間と扱ってくれるあんたが、女神や天使に見えるのは当たり前だ」


「……そっか」


 ネロの言葉を否定するほどの何かがある訳ではない。だから、そう一言答えた。

 そわそわと背骨がこそばゆい。面映ゆい気持ちは、いつもだったら身に染みたポーカーフェイスで乗り切れたんだろうけれど。

 残念ながらこの身体は、そんなスキルなんて持っていないから、じんわりと頬と耳が熱くなった。


 美しいと言われてきた見た目もない。考え方や信念も、きっとこの世界ではありふれた当たり前のもので。

 こいつは俺の何を見て、未だ天使だなんて言えるのか。

 こういう気持ちが苦手なのは、昔から恋愛に縁がなかった所以なのか。全く耐性なんてないんだ。仕方ないだろ。


「お前はこの世界で、何かやりたいことが見つかったか?剣も武力もあんまり必要とされてないからなー」


 気を取り直して尋ねると、ネロは明らかにしょんぼりと眉尻を下げた。まるっきり困った犬の顔だ。撫でたくなる。


「お役に立てることは、多くはないかもしれません。まだわからないことばかりですし、ラフェに迷惑をかけてしまうことばかりで……これからも、おそらく」


「ま、当たり前じゃねーの?自分の常識すら通じないような場所にきて、最初から馴染める奴なんているわけねーよ。てかさ、一日でよく色々理解したよな、偉い偉い」


 不安そうな、弱り切った顔のネロの頭をわしわしと撫でる。ネロはまた瞬いて、でも為されるままにただ撫でられている。


「しばらくは慣れるしかねーよな。で、慣れてきてから、やってみたいこと考えろよ。学校に通ってみるっていうのも悪くないし……あー、戸籍とかってどうなってんだろうな?まぁいいや、したいこと見つけてから……」


「……なぜ」


 これからの計画を大雑把に立てようと思考を巡らせた俺に、しょんぼり顔のままのネロが神妙に呟いた。


「俺はあんたの役には立てそうにないのに、なんで」


 なぜ、と聞かれても。その意味がわからない。


「あたりまえだろ?お前は俺の愛人なんだから」


「ここには皇帝もいなければ、勅命の効力もないのに?俺もあなたも、ただの一般人なのでしょう?だったら、あなたが俺の面倒をみる必要なんてないじゃないですか」


 ……………!!!


 そっか。そっかそっか。そういえばそうだなっ!!!

 言われてみればそうだわ。

 ここには俺たちが愛人でいる必要性なんて、全く、これっぽっちもない。


「………ま、細かいことはいいんじゃね?俺とお前の関係なんだから」


 でもさぁ。あれだけずっと傍にいて、俺だってたくさん助けられてきただろ?

 役に立たないからって、こんな状況で放り出せる訳なんかない。

 それにさ、俺はお前が相手で、何の不満もなかったし。

 気が置けないし、扱いやすいし、何だかんだと楽しくやれるし。こんなに相性いい相手、他に探しても見つかるかわかんねーし。

 今から新しく探すとか、人生の無駄遣いじゃん?


 驚いた表情で固まったネロの口元に、そっと唇を落とした。


「俺はお前でいいよ、ずっと。ま、お前がよければだけどな」


 ああ、今、気づいちまった。

 これだけ条件のいい相棒は、本当に得難いんだろ?他を当たれないくらい。


 伸びてきた手にむんずと後頭部を掴まれて、唇の合わさりが深くなった。

 魔力の補充なんて名目がなくったっても、最高のキスだってここにある。


 この夢が続いても覚めても。

 俺たちは、最高の伴侶あいじんなんだから、しかたない。

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