禁書屋の常連客

Skorca

第1話 禁書屋

「ルーシ……また来たのか。お前、今に見つかって『』と一緒に供物にされるぞ」

「それも一興――」

 呆れ混じりに投げかけられた言葉にさして心動かした様子もなく、その青年は呟くように答えた。

 かび臭ささえ感じさせる古色蒼然としたこの場の空気にそぐわない、光をって形作られたような若者である。

 後ろで編んで垂らした腰まで届く淡い金髪は、差し込む微かな陽光さえ陰に追いやるかのごとく、自らの輝きで辺りをさやかに照らしていた。

 整った造形につい目が惹き寄せられる皓い相貌。壁面を雑然と埋め尽くした書物を眺め渡すその瞳は、水盤に映る蒼穹を思わせる。

 しかし透けるような色合いにもかかわらず、その眼差しは透徹とは程遠い、どこか膿んだような濁りを含んでいた。

 この場の主はその姿に目を眇めつつ、迷惑そうに顔を歪める。

「『餌』狩りの神官様の酔狂に付き合わされる身にもなってくれ。なんだってこんな罪の巣窟に足繁く通ってくるんだ」

 相手のぼやきに、ルーシと呼ばれた青年は唇の端を吊り上げる。

「罪だと思ってるのか、ドレイク」

「そりゃ、禁書を専門に売ってるんだから帝国や神殿からしたら罪だろ?」

「自分では思ってないくせに」

 ルーシの指摘にドレイクは惚けた顔でぼさぼさした黒髪の頭を掻く。年齢はそう変わらないらしいが、どこかれてくたびれた雰囲気が、あまり若さを感じさせない。この場の本たちと共に書棚で熟成されてしまっているようにも見えた。

「しょうがないさ。生まれたときからこいつらに囲まれてるんだ。今更自分の立ち位置は法に外れている、と言われてもなぁ……」

 お前がこの穴ぐらに現れたときは、その腰の大刀で斬り捨てに来たとばかり思ったわ、と独り言のように続ける。

「『餌』を狩るのも飽き飽きしてるというのに、そうじゃない奴までわざわざ斬るものか」

 ルーシは何を馬鹿な、とでも言いたげに返すが、そんなことが初対面で分かるはずもない、というのがドレイクの言い分である。

「神に『餌』を捧げる神聖で名誉な仕事を飽き飽き、ねぇ……。お前は本当に、来るべくしてここに来た人種だな」

「神聖で名誉、と言われるほど高尚なことをしている自覚がない。麦の穂を刈るように齢が満ちた『餌』を片端から切り刻んでるだけだ。お前じゃないが、それこそそういう家に生まれついたというそれだけで。何の意味があるのか、神の意志が本当に介在しているのかも、俺には謎のままだ」

 言いながら、ルーシは懐から金貨十枚を握るとドレイクに渡し、書棚から一冊の本を取り出した。

 書物一冊手に取るために、ひと財産を手放す必要がある。だがそれは無理もないことだった。

「あいつらの文字は分かりやすくていいな」

 早速ドレイクから渡された鍵で分厚い表紙の留め金を外し、ばらりと開いた羊皮紙のページをその場に立ったままめくり出す。

「俺たちの文字だって昔はそのくらい単純だったらしいぞ。帝国になってからどんどん難解になっていったんだと」

「扱う者を制限するためか」

「そういうこと」

 千年間、この書棚で密かに息づいてきた本たち。帝国が根絶やしにした『餌』の文明の残滓。ドレイクの一族が守り伝えてきたこれらは、生涯に一冊か二冊、売れるかどうかという代物だ。すでにルーシは五冊は買っているが、これまでそんな馬鹿げたことをする者などいなかったし、親や祖父から聞いたこともない。

 口を閉ざし、しばしルーシは本のページをめくり続けた。静謐が辺りを支配し、羊皮紙の音だけが時折響く。これはいつものことで、彼自身がその沈黙を破るまで、ドレイクも黙ってその姿を眺めるのが常だった。

 古ぼけた書棚の前で姿勢よく佇み本に没頭するルーシの姿は、普段代わり映えのしないこの部屋の景色を新鮮に彩る。宝石や、あるいは美しい獣を鑑賞するのに近い感覚だろうか。

(こいつは両翼の家の生まれの『餌』狩り……ということは全く同じ姿をしたやつがもう一人いるのか)

 そんなことをつらつらと考える。しかしルーシの口から、自身の片翼――つまり狩りの相棒についての話はついぞ聞いたことが無かった。

「ルーシ!」

 唐突に、その静寂が破られる。

 ドレイクは驚いて声のした方を振り向いたが、当のルーシは本から顔を上げもしなかった。

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