第3話 全自動黒毛和牛と全自動霜降りサーモンの縁組み

 狼頭の不審者が来た時間は夕方だ。仕事帰りの大人や部活帰りの学生さんがちらほらと散在している。

 俺の裏返った声に気づいて、視線の先を追った陽菜ちゃんや裕太君もギョッと目を見開き、すぐに目をそらした。そして唐突に始まるバカップルごっこ。

 書棚に向かう狼頭の眼前は、すぅっと人が避ける。モーセごっこかな?

 分かるよ。目、そらしたいよね。近づきたくないよね、俺もそうだよ。


 でもね。



「お買い上げ、ありがとうございます」



 俺はどうしても笑顔で接客しなければならない。

 やべーという言葉ばかりが頭の中でぐーるぐる、だったのだけれども。



「ニャーオン」

「あ、すみません。くぅちゃん、どうしたんだよお前さん」

「ニャァ、ニャァ。ニャーン」

「くぅちゃん、止めなさい。お客さんに毛がついちゃうから」

「……大丈夫です」

「あ、す、すんません。すぐ会計しますね」

「ニャァン。ゴロゴロゴロ……」



 くぅちゃん様が喉を鳴らしているのだが。俺の人生で一度も見たこと無いくらいの勢いで懐き散らしているのだが!?

 えぇ……なにこれ……めっちゃ口元嘗め嘗めしている。

 俺には分かる。これはすごくおいしそうな顔だ。

 顔を隠しているということは、某バンドの熱烈ファンでもないなら、人間不信とか厭世感が見え隠れってことで……悪縁ダイソン?

 俺の推測が正しければ、くぅちゃん様がはしゃぎ散らす全自動黒毛和牛ってことね、なるほど。


 なにそれ怖い。



「合計で13680円になります」



 一回で買うにしちゃ、結構な値段だ。なるべく外に出ないようにしているのではないか、という俺の推理は正解なのだろう。

 彼は財布を開けると、「む」と一言だけを零した。

 分かるよ。たぶん俺だけじゃなくて、この店にいる他のお客さんも分かってるだろうね。


 1円足りないんだろぉ!?


 でも今この人の後ろにスタンバってる人居ないんだよな。

 さあチャンスですよ出会いを求める皆さん、良縁がここに、ほら。


 目をそらしてそうっと書棚の影に戻らないでくれないか、諸君!



「すみません。この本、買うの止めます」

「かしこまりました、後で返して起きますね。では……合計で12240円になります」

「…………あれ」



 くぅちゃん様、めっちゃ口元嘗め嘗めしてるぅ~!

 彼は小さく首を傾げた後、財布の中から12239円を出し、レジの代金トレイの中に置いた。



「この本も、買うの止めます」

「かしこまりました。では合計で10820になります」

「……………………?」

「1円……足りませんね……」

「?????????」



 くぅちゃん様、絶対に逃がさねえと言わんばかりに口元を嘗めている。

 さすがの皆さんも彼のことが気になりはじめたようだ。

 まあ、ここまで妖怪1円足りないにアピールされちゃあね。


 裕太君と陽菜ちゃんも、「はえ~」とか「わー」とか小さい声を上げている。

 二人がことさらバカップルの振りで見ない振りをしつつもここから離れなかったのは、たぶん覆面強盗の可能性を警戒して、いざってとき助けられるように、って感じなんだろうけれど。


 この状況に至っても俺に「盗んだのか」と詰め寄ってこないのだから、彼は相当に温厚な人だ。というか、ぼそりと小声で「またか」みたいな呟きが聞こえたのは気のせいかな。

 さすがはくぅちゃんイチオシの全自動黒毛和牛。

 呼ぶ悪縁は人間だけでは済みません、と。


 不憫も極みでは?

 そりゃあ顔も隠すわ。この人が顔を隠しているの、人間にもそうだけど、たぶん見えない奴らへの防御でもあるのだろう。



「あの、この本も返し──」

「どうぞ」



 にゅっと脇から差し出された指と1円玉に、俺も、狼頭の彼も、他のお客さん達も驚いた。

 いや、俺の驚きは多分周りの人とは違う理由だが。


 だって顔が見えないんだよ。顔面光すぎ。

 これ本当に人間なの?

 顔でフラッシュたいてるみたいな。

 だれかサングラスをくれないか。マジでなんも見えねぇ。



「お姉!? ちょっと、何して」

「陽菜、ぽかーんと見てるだけじゃなくて助けてあげなさいよ。こんなに近くに困っている人が居るんだから」

「うわああああっ、お姉知らないんだった! でも狼頭の人だよ!」

「陽菜。公序良俗に反していないのなら、人の趣味に他人が口だしすることじゃないでしょう」

「そうだけど、そうじゃないのよお姉ぇ」


「あの、ありがたいのですが……悪いので」

「気にしないでください、1円ですよ」

「しかし」

「困った時はお互い様ですから」

「…………では、ありがたく」


「うわあああああ成立しかけてるよ、裕太君どうしよう!」

「やっぱり姉妹なんだなぁ。似たこと言ってる」

「微笑ましい顔して諦めないで!? 店員さんも、なんとか言っ……なんで目をつむってるの?」

「おかまいなく」



 君が呼んだお姉さんの顔面が兵器だったんだよチクショー。

 うつむき加減に薄目になって、なんとかレジを打ち終える。

 その間ずっと媚びまくる猫の鳴き声と「あら可愛い」という女性の声が聞こえたから、顔面フラッシュの人も全自動黒毛和牛だったん──え、なに? 肉と魚は違う? 知りませんよ、悪縁の味わいとか。


 ていうか、これ成立すると全自動黒毛和牛と全自動霜降りサーモンの縁組になるわけで。

 パワーワードやべえって。



「お姉なんでここ居るのよー」

「陽菜が呼んだんでしょうが」

「えらい早く来られましたね。真菜まなさんの会社ってこの辺りじゃ無いっスよね」

「会社の先輩が、今日発売の本がどうしても欲しいけど、でも今日は泊まり込みになりそうって血涙だしそうだったからね。私は早上がりだから買ってきますよって言ったら、先輩から買うなら絶対にここって言われて。もとから来ている途中だったの」

「ああ~」

「お姉、会社の人に恵まれてるんだね……良かったね……」



 会社の人、ここの噂を知ってるから、なんとかして来させようとしたんだろうな。



「なに急に。とりあえず、忘れる前に先輩のお使いするからちょっと待ってね。陽菜の欲しいのは何だったっけ?」

「え、あ、うーん、私のは明日からでいいや。まとめ買いしちゃうと、ついつい宿題ほっぽって読みたくなっちゃうからー」



 陽菜ちゃん、棒読み。

 そりゃ一日でも長くお姉さんにこの店に来て欲しいもんな。

 お姉さん……真菜さん? は、「まったくもう」と少し呆れたようなため息を吐いて、本棚の方へと歩いて行く。

 ああやっと、あの延々とフラッシュをたかれ続けてるような顔面が遠ざかった。目元を片手で揉んでいると、陽菜ちゃんがひそひそ声で詰め寄ってくる。



「店員さん、どうしよう! お姉ちゃんの相手が覆面徘徊人間になっちゃう!」

「でも陽菜ちゃん、あの人もしかしたら、どこかのバンドの熱烈ファンだっただけとか、そんな可能性も」

「裕太君、本気でそう思ってる?」

「リアルな奴じゃ無くてかわいい系の着ぐるみ頭だったから、たぶん子どもが泣かないように、っていう気配りは出来る人だとは思うよ」

「それマジだったら、気配りの方向音痴ぶりで逆に心配になってくるんだけど」

「あはは……店員さんはどう思います?」

「そうですねえ、」


「あら、何の話?」



 ぐわあああああ!

 不意打ちで近づいてきた輝く美貌(物理)の威力に、目を押さえてもんどり打って倒れたいくらいだったが、そこは店員としての根性で堪える。

 くぅちゃん様の特上お気に入りに悪感情持たれて、この店に寄りつかなくなりました、なんてことになったら後が怖い。いやほんと、真面目にね。


 今日の仕事が終わったら百均でグラサンを買おう。

 俺は固く決意した。





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