第25点 生命のダンスを踊ろう


「うっ……どうなったの……?」


 激しく全身に打ち付ける雨の感触で目が覚める。

 体を起こそうとすると、全身に鈍い痛みを感じた。

 いつの間にやら雨は土砂降りになっていて、体が冷え切っているのを感じる。


 視界がはっきりするにつれ、周りの様子が見えてきた。

 薙ぎ倒された木々と土砂が辺りに広がっているけれど、案外範囲は広くない。

 見上げれば、大体マンションの3階くらいの高さに、一部が崩れた崖があった。

 どうやらあそこから落ちて来たらしい。

 思ったよりも高くないな。だから助かったのかな。

 打ち身で全身痛いけれど、どこかを怪我したりということはなさそうだ。


 あっそうだムンクは!? 彼はどこだ!?

 いまだに私が生きているということは、彼も気を失っているのかもしれない。

 彼の意識があったら、気絶してる内に殺されてそうだもんね。

 今のうちに逃げよう!!


 そう思い立ち上がって、どうにか歩き出した、その時。

 ムンクが気を失って倒れているのを見つけた。

 しかも、左足が岩に挟まれた状態で。


 大体大人が二人で腕を回してどうにか手が届くくらいの大きさだろうか。

 たぶん、ムンク自身では退けられそうもない。

 <叫び>を使えば粉々に出来るかもしれないけど、そうすると破片が飛んで大怪我をしそうだ。



 一瞬、迷う。

 このまま放って逃げた方がいいんじゃないかって。


 見たところ足以外に目立った怪我はない。

 けれど雨足はどんどん強くなってくる。

 春とはいえ、まだ肌寒い季節だ。

 このままでは、体温が下がり過ぎて危ないかもしれない。



 くっそー!!!

 ここで見捨てられるほど、非情な人間じゃないのよもー!!

 樽の底力見せたるわい!!


 私は岩に両手をついて、無駄に重い全体重をかけて全力で押す。

 ぐぬぬぬぬぬ!

 動けぇー!!



「うっ……」


 下の方から呻き声が聞こえた。

 ムンクの意識が戻ったようだ。


「一体何が……くっ!」


 ぼんやりとした意識がはっきりしてきたのか、ムンクは痛みに顔を歪める。

 岩を退けてみないとわからないけれど、左脚、結構やばいことになってそうな気がする。

 相当痛いだろう。


「あなたがやたらとプネウマを使うから、崖が崩れたのよ! 全く傍迷惑だわ!!」

「お前は、何を……?」

「どうにか岩が動かせないか試行錯誤中! いいから黙ってて!」


 ぐぬぬぬ!

 動けぇ!!!


 ただでさえ限界だった脚が震えて力が上手く入らない。

 私の体重も役には立たないようだ。

 全く!! なんのための樽なのよ!!


「なんで……」

「……お姉さんのことは、残念だったと思うわ。けれど私は謝らない。私が生きるのにも、あの薬は必要だったろうから」


 あの後ロッセリに聞いた。

 やっぱり私も薬がなければ、危ない状況だったんだって。

 だからこそ、お母様も必死に薬を入手したのだろう。


「貴様開き直るな!! 元々あの薬は、姉さんの為に叔父さんがやっとのことで用意したものなんだぞ!!」

「でもその叔父さんは、お金で私のお母様に売ってしまったのでしょう?」

「くっ……!」


 図星を突かれて、ムンクは悔しそうに口を引き結んだ。



 私がロッセリから聞いた話はこうだ。

 薬を探していたお母様は、ある商人が薬を手に入れたことを耳にする。

 その商人が、ムンク男爵の弟、エドヴァルドの叔父にあたる人物だ。

 彼は外国と密な取引をしている商人で、その伝手で薬が手に入ったようだ。

 先ほどムンクが言ったように、叔父は男爵に頼まれ薬を入手したようだけれど、私のお母様に大金を積まれ、そのまま売ってしまったという。

 そのことがきっかけで、男爵と叔父は断絶。

 兄弟の縁が切られてしまったそうだ。


 そりゃあね。

 自分の弟が金の為に娘の命を差し出したようなものだもの。

 怒るのは当然だ。

 お母様が当時ムンクのお姉さんのことを知っていたかは分からない。

 けど、多分知ってただろうね。

 叔父という男が話しただろうし。

 でも私も、自分の娘が死にそうだとなれば、それくらいのことはするだろう。

 誰だって会ったこともないどこかの娘より、自分の娘の方が大切だ。

 少なからず、その時はそう考えると思う。

 だから、私はお母様のことも責められない。


「でも、私が生き残ったことでお姉さんが亡くなったのは確かだわ。だから、ありがとう。あの薬のおかげで私は生きていられる。

 あなたは私を殺そうとするけど、絶対に死ねないわ。だって、私が早く死んだらお姉さんの死が無駄になってしまうもの」


 話を聞いて思ったこと。

 それは「せめて精一杯生きよう」ということだ。

 サンドラの、私の命はムンクのお姉さんからもらったようなもの。

 それなら、老衰で死ぬまで絶対生きてやる! と思った。

 お姉さんの命を、無駄にしないように。



 腕も脚も限界だ。

 一旦力を抜いて、両手両足をブラブラさせる。

 どんどん雨足が強まる。

 そろそろどうにかしないと、私もやばい。

 それに、最初雨の音で気付かなかったけど、さっきからどうどうと近くで川の音が聞こえる。

 いやな予感がする。


 こうなったら最終手段。

 実はさっきからちょっと考えていることを実践してみるか。

 自信はないけど、プネウマを使ってみよう……!!


「俺は……」

「ちょっと出来るか分かんないけど、風で岩が動かせないかやってみるわ! 少しでも隙間が出来たら自分で這い出てちょうだい!」


 この2週間、ただ何もしていなかった訳じゃない。

 レオナルドに言われたことを反省した私は、密かにプネウマの練習をしていたのだ。

 タブローメンバーに付き添ってもらって、この森で、秘密基地で、鍛錬を積んだ。

 きちんと使う時に使えるように。


 ただ暴風を吹き荒らすだけでは出来ることに限りがある。

 集中して……風をコントロールするの。

 風は自在なのよ。

 大きくも小さくもなる。

 激しい竜巻は、家も車も持ち上げるわ。

 岩を風で包んで、思いっきり巻き上げるイメージ……。

 出来る、私は出来る!

 私は両手を前に突き出して、叫んだ。


「<ゼピュロスの西風>!」


 ゴォォォっと激しい風が渦を巻く。

 そして風がぎゅっと小さく縮小し、まるで小型の竜巻が出来上がる。

 ムンク自身を巻き込まないように、少しのズレも許されない。

 もっと小さく! もっと激しく!

 集中して!!


 こめかみに流れるのは雨なのか汗なのか。

 血管が焼き切れそうだ。



 グラッ。


 岩がグラつく。

 今だ!!

 私はより集中して全力で風を送り込む。

 お願いよゼピュロス!! あなたはそよ風かもしれないけど、今だけは!!


 グラッ!!


 ついに一瞬岩が傾き、足との間に隙間ができた。


「今よ!!」


 ムンクは腕を使って、必死に這い出る。

 私は風が止まないように、より集中して風を起こす。

 もうちょっと! もうちょっと!!


「早く!!」

「抜けた!!」


 私はふっと力を抜き、風を止める。

 すると、岩は再びドスンッ! と音を立てて、元の位置に戻った。


「はぁはぁッ……」


 まるで全速力で走ったかのように息が切れる。

 ここまで集中してプネウマを使ったのは初めてだ。

 プネウマは使いすぎるとすっごく疲れるらしい。

 目の前がクラクラする。

 それより、ムンクは!?


「どう!? 歩ける!?」


 声をかけたけど、すぐに無理だと分かる。

 案の定、足が潰れかけている。


「っ……とにかく高台に移動しましょう! 川から離れるの! 起こすわよ!」

「なぜ……! 俺はお前を殺そうとしたんだぞ! 情けはいらない! 置いていけ!」


 ムンクが強情にも声を張り上げた。

 相当足が痛むだろうに、眉間に皺を寄せて私を睨みつける。


 どうどうと激しい水の音。

 さっきよりも音が大きい。

 川までの距離が分からないけど、音からしてかなり近い。

 この雨量では、氾濫が近いかもしれない。


「言ったでしょ? 私は絶対死ねない」

「なら俺を置いていけよ!」

「でも、もう私の命に罪悪感を持って生きたくはないの」


 これは、もしかしたらサンドラの本音だったかもしれない言葉。

 私がそう思いたいだけかもしれないけど。


 ムンクは何故か、一瞬泣きそうに顔を歪めた。

 ぎゅっと口を引き結び、何かに耐えているような。


「いい!? もうごちゃごちゃ言ってないで移動するから! よいしょー!!!」


 ムンクの腕を肩に回して、力の限り持ち上げる。

 雨足がやばいのよ!! 川の音がやばいのよ!!

 とにかく川から遠ざかって高台に行きたい。

 けど、目の前は崩れた崖で登ることは出来なさそうだし、どっちに行けばいいのか分からない。

 もしかしたらプネウマで崖の上まで浮き上がることができるかもしれないけど、もうとてもじゃないけどそんな繊細なプネウマの操縦は出来そうもない。

 詰んでる……! いや諦めない!!

 もうこうなったら野生の勘よ!! 左!!

 そう思って一歩踏み出した。


 その時。


 バキッ! ドゴォォォ!!


 激しい音に振り返る。

 すると、ついに川が溢れて水が迫ってくるのが見えた。


「嘘でしょ!!?」


 私は必死に足を動かす。

 けれど既に体は限界を超えており、しかも自分より背の高い男性を抱えて、ほとんどスピードが出ない。


「おい! もういい俺を置いていけ!」

「嫌だって言ってんでしょー!!」


 ふんぬーーー!!!

 樽を舐めるなーーー!!!


 最後の力を振り絞るけれど、時既に遅し。

 川の水はあっという間に私の足を掬う。

 やばい! と思った時には、あっという間に水に飲み込まれてしまったのだった。

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