第21点 (レオナルド視点)月夜のヴィーナス


「殿下! なんでここに!?」


 突如として私の部屋に現れたレオナルドに、私は思わず5歩くらい後ずさった。

 なに!? 痴漢!? 樽に!!?


「ムンク男爵子息は、明らかに君を狙っているようだったからね。護衛だよ」


 まるでなんでもないことのように笑顔でそう言うと、レオナルドは自然な動作で私の書物机の椅子に座った。

 座ってともなんとも言ってないのに、なんで勝手に座るかなぁ!?


「いや護衛って……。有り難いですけれど、わざわざ殿下自らなさらなくても……。他の人に頼むとかなんとかなかったんですか?」

「プネウマ絡みなんだ。騎士団に任せる訳にいかないだろう。それに仮にも私の婚約者だ。タブローのメンバーに頼む訳にもいくまい」


 ぐうの音も出ぬ。

 確かに「王子の婚約者である公爵令嬢が襲われた」なんて言ったらそれなりに大事件だろうし、かと言ってプネウマのことは話す訳にはいかない。

 理由を明かせないとしたらタブローメンバーに頼むしかないのだけど、樽でも王子の婚約者だし、公爵令嬢だし、一応乙女だし。

 フィンセントやクロードに頼む訳にはいかないだろう。

 だからって……王子様に寝ずの番をさせるわけには……。


「元々睡眠時間は短い方だ。気にするな」

「いやいやそういう問題では……」

「サンドラ。君、昼間にプネウマを使わなかっただろう」


 まるで私の言葉に被せるように、レオナルドが言った。

 いつもの微笑だけれど、どこか非難するようなトーン。

 思わずドキリとする。

 その通り。完全にフィンセント任せにしていて、私は逃げているだけだった。

 なんかこう、思いつかなかったっていうか。

 パニクっててそれどころじゃなかったっていうか……。


「せっかく持っているものを使わないのは愚かなことだ。そんなことでは、自分の身を守ることもできないぞ」


 おっしゃる通りだ。

 私のプネウマを見込んで任務を任されたのに、きちんと使えなければ意味がない。

 全くもって無用の長物だ。

 そうだよね、反省……。


「だがまあ、プネウマが発現してすぐはそういうこともある。私が性急にし過ぎたかもしれないな」


 そう言ってレオナルドは、何故か私の髪を摘んで弄びだした。

 今日もちゃんとロッセリにトゥルントゥルンにしてもらったから、枝毛が気になった訳ではないだろう。

 なんて言うか、今までに見てきた微笑とは違う、どこか艶めいた表情。

 イケメンだなぁとは思っていたけど、さっきとは違う意味で胸がドキリと跳ねる。


「さあ。ゆっくりおやすみ」


 いやいやいや!

 イケメン王子様に見つめられながら寝るなんて出来るわけなくない?

 さすがの私も緊張するんですけど。

 そんないかがわしい夢を見てしまいそうな艶々な笑顔で見られて寝られるわけないんですけど!

 無理! 絶対無理!!




 くかー。





 本人の思いとは裏腹に、疲労が極限に達していたのか、サンドラはすぐに夢の中へと落ちていった。


 そんなサンドラの顔を、レオナルドは見つめる。

 サンドラの寝顔と言ったら、なんとも緩み切っただらしない顔だ。

 けれどレオナルドは、いつもの微笑を消し、真剣な表情をしていた。


「サンドラ。君は何者なんだろうね」


 レオナルドの瞳は、真っ直ぐにサンドラの寝顔に引き寄せられていた。



 仮にもレオナルドは、サンドラの婚約者だ。

 いかに好印象を持っておらずとも、多少なりのことは知っている。

 例えば、サンドラがかつて流行病で生死を彷徨ったことがある、だとか。

 そして王子であるが故に、貴族の家の出来事はある程度頭に入っている。

 例えば、サンドラと同じ病で命を落とした男爵令嬢がいる、だとか。


 あくまで推測の域を出ない。

 だが、彼女自身が狙われている可能性は高い。

 ムンク男爵子息が『デカダンス』に所属しているとして、彼の事情が一連の怪事件に関係しているのかどうか、それは今のところ分からない。

 けれどそれはそれとして、サンドラに危険が迫っているのは間違いがなかった。

 昼間のことを思えば、彼女自身の自衛はまだ期待できない。

 だからこそ、レオナルド自身で護衛をするため、ここに来たのだ。


 ……いや。

 理由はそれだけではない。

 取るに足らない存在だった婚約者に起きている最近の変化に、好奇心を抑えられなくなったのだ。


 元々レオナルドは、好奇心と探究心で出来ているような男だ。

 本来のレオナルド・ダ・ヴィンチがそうであったように、とことん研究し常人が成し得ないようなことをやってのける豪胆さがある。

 王位継承争いに積極的なのも、「王座というものがどういうものか」、それに興味があるだけなのだ。


 そんなレオナルドが、これほどまでに面白いサンドラのことが放っておけなくなるのも、無理はなかった。



 <境界なき自我スフマート>を使って全て語らせてみようか。

 いっそ解剖でもしてみれば理由が分かるだろうか。


 一瞬、レオナルドの頭に物騒な考えが浮かぶ。

 しかしすぐに頭を振ってその発想を追い出した。


 レオナルドは、自身の狂気的なまでの好奇心を十分に理解した上で、それを理性で押し殺して生きている。

 そういう男なのだ。



 正直に言えば、レオナルドがこれまでサンドラを好ましいと思ったことは、ただの一度もない。

 傲慢で浅はかで醜くて、その上小心者。

 少し覗いた程度で底が見えるほどの薄っぺらさ。

 レオナルドにとってサンドラは、実に退屈な人間だった。

 玉座の為に必要でなければ、視界にすら入れたくないほどであった。


 けれど、サンドラは変わった。

 始業式でアンナのことを身を挺して庇った時から。

 いや、その前日、これまでレオナルドに媚へつらうばかりだった彼女が自身の意見を口にした時からだろうか。

 彼女の何かが変わったのだ。

 それからのサンドラには、驚かされてばかりいる。

 これまでの強烈な差別意識を一新し、第二第三のプネウマを発現させた。

 とてもこれまでのサンドラからは、考えられないようなことばかりだ。

 


 レオナルドはついと窓の外に視線を移す。

 煌々と輝く月を見つめ、自身の中にある不思議な感情と静かに向き合っていた。


(どうやら……私は、彼女を失うのが惜しいと思っているようだ)


 これまで一切抱いたことのない感情。

 興味は持っても、何かが惜しいと思ったことは一度もないのに。

 僅かな驚きをもって、しばし、レオナルドはゆっくりとその感情を観察する。



 そしてもう一度、サンドラへと視線を戻した。



「っ!?」



 レオナルドは驚愕して、思わず椅子から立ち上がった。


「誰なんだ!?」


 ベッドに寝ていたはずの、樽のように巨大なサンドラ。

 しかし今ベッドに横たわっているのは、もっとずっと小さく、細い。

 まるで女神ヴィーナスのように美しい女性だった。


「サンドラなのか……?」


 彼女の髪は艶やかなミルクティー色で、瞼を縁取る長いまつ毛も同じ色。

 よくできたビスクドールのように整った顔も、どこかサンドラの面影を残している。

 まるで、身体中の贅肉が、全て溶けて無くなったかのようだ。


「一体、これは……」


 静かな月明かりに照らされて、レオナルドは一人、立ち尽くしたのだった。


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