第20点 地獄にも音楽は鳴るか


「ああ、いいな。お前のバイオリンは大したものだ。一曲聴こう」


 ジョヴァンニの提案に、ノリノリのお父様。

 えっ、意外なんだけど!

 てっきり「俺は忙しい。そんな暇はない!」なんて言うと思ったのに、え、聞くんだ?

 お父様って、ジョヴァンニには結構親バカな感じ!?


「せっかくだから、屋敷のみんなに聞いてほしいな。ホールに行こうよ!」


 お父様の加勢を受けてか、ジョヴァンニがとんでもないことを言い出した。

 ホール!? ホールとは玄関を入ってすぐのあのホールのことですか!? 今からまた一階に降りると言うの!?

 疲れ果てていた私は、一刻も早くベッドにinしたかったけれど、お兄様のニッコニコの笑顔を見たら断れない。

 お父様も「そうだな」とか言って一足先に部屋を出ていくし。

 寝かせてくれよーー! これからリサイタル確定なのーー!?


 半ば、いやかなり渋々と階段を降りる。

 使用人たちが続々とホールに集められ、私とお父様には椅子が用意された。


 ボッティチェリ公爵家の屋敷の階段は、まさに「お屋敷の階段」でイメージするような上階の左右から下に階段が下り、中央で合流して一階に降りるタイプの階段だ。

 その階段をバックに、ジョヴァンニは一人バイオリンを構えて立つ。

 私とお父様はその正面に座り、屋敷中の使用人たちが総出で囲んでいる。

 いやほんと、使用人全員だよ? まじで執事もメイドも下男もコックも庭師も本当に総動員。

 公爵家ともなれば、屋敷で働く使用人の数も多い。

 これは冗談ではなく真面目に本気リサイタルだ。


 これだけの人を前に、ジョヴァンニは緊張する様子もなく、静かに首にバイオリンを挟んだ。

 あの肉でバイオリンを挟んだら壊れてしまうのではないかしら、なんて考えたけれど、そんなことは一瞬で頭の中から消え去ってしまった。

 何故なら、ゆっくりとジョヴァンニが弓を引くと、あっという間にその音楽の世界に引き込まれてしまったから。

 クラシックなんて学校の音楽の時間でしか聞いたことのない私でも、これがすごいことだとよく分かる。

 どこか優しくて、まるで甘く囁きかけてくるような、美しい調べ。

 思わず言葉も忘れて、聴き入ってしまう。

 それほどまでに、素晴らしい演奏だった。

 お父様も同じなのだろう。ただジョヴァンニに視線を合わせて、微動だにしない。

 使用人たちも、息を呑んでその音を聞き逃すまいと集中している様子が窺える。


 ジョヴァンニが最後の一音を弾き終わると、もどかしいほどの余韻が残って、拍手をすることも忘れてしまう。

 しばしの沈黙の後、やがてさざなみの様に拍手が起こり、あっという間に拍手喝采が起こった。


「お兄様……本当に、本当に素晴らしかったです……!」

「ああ……お前は天才だ」


 初めてお父様と意見が一致した。

 それもそのはず。そうとしか言いようがないのだもの。


「良かった! サンドラ、元気が出たかい? お父様も気分が落ち着いたかな?」


 少し照れくさそうに、はにかんだ笑顔でジョヴァンニは言った。

 私のお兄様は、ただの妹馬鹿な樽じゃなかったんだ。

 ちょっと、いや、かなり見直した。


「みんなも楽しんでくれたかな?」


 ジョヴァンニが使用人たちにそう声掛けると、「素晴らしかったです」「ずっと聞いていたかったです!」と称賛の言葉を次々に口にする。

 お世辞なんかじゃない。

 心からそう思ってるんだと言うことが分かる。

 サンドラと同じ樽なのにどうにもジョヴァンニは使用人たちに好かれている気がしていたけれど、本人の気質だけではなくて、この特技が関係しているのかもしれない。


 放っておくとアンコールまで始まりそうな雰囲気の中、後ろ髪を引かれる思いで緊急リサイタルはお開きになった。

 疲れ果てて一刻も早く寝たい私ですら、もうちょっと聞きたいくらいだ。


「さあ、サンドラ。いい夢を」


 ジョヴァンニの、優しげな笑顔。

 それに引き換え、お父様はじろりと私を睨んでからジョヴァンニだけに「ゆっくり休め」と声を掛けて去っていった。

 せっかく綺麗な音色に和んだはずなのに、何が気に入らない訳?



 ロッセリに支えられながら(家では支えてくれる人が居て本当に良かった)、自室に帰る。


 お兄様にあんな特技があったなんて知らなかった。

 本当に素敵な音色だったな……。

 どこか夢心地な気分のままロッセリに寝支度をしてもらって、ベッドに入る。

 するとすぐに眠気がやってきた。

 今日はぐっすり眠れそうだ。







 ガラッ。


 今にも夢の世界に旅立とうとした瞬間。

 何者かが窓を開けて部屋に入ってきた。

 まさかムンク!?


「な、なんっ……!」

「騒ぐな。私だ」


 不審な侵入者の正体は、なんとレオナルドだった。

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