第19点 思春期を迎える前のこと

 心底クタクタになりながら、いまだに慣れない馬車で公爵家へと帰る。

 もうさ、馬車に乗ってるだけで疲れるんだけど。

 誰も見ていないからと馬車の椅子に横になってみたものの、転がりやすい体型が仇となり、振動に合わせてゴム毬よろしく跳ねてしまった。

「どうなさいましたかお嬢様! すごい音がしましたが!」と慌てて声を掛ける御者を誤魔化すのに苦労したわ……。

 めっちゃ痛かったし恥ずかしかったんですけど。

 絶対馬車の乗り心地は改善したい。

 今度創作の神に会ったらどうにかしろって迫ってやる!

 自分では無理なのよ! サスペンションが分からんのよ!!


 相変わらず這う這うの体で屋敷へと帰り、とにかくお腹が減ったと食堂で夕食を飲み込むように食べると、ロッセリに支えてもらいながら、なんとか2階の自室へと帰る。

 もう、なんか本当に疲れたわ……。

 思わずベッドに倒れ込みそうになった、その時。


「サンドラぁーーー! おかえり!! 元気かい!!?」


 バァーーンッ!! と音を立てて扉が開いたと思うと、ジョヴァンニが転がり込んできた。

 もちろん比喩じゃない。

 得意の三回転だ。


「坊っちゃま、扉が壊れてしまいます」

「お兄様。お願いですからノックくらいしてくださいまし。仮にも淑女の部屋でしてよ」


 徐々に板についてきたお嬢様言葉を駆使して、ジョヴァンニに苦言を呈す。

 ロッセリも渋い顔だ。

 でも心なしか私より扉への配慮をしてほしそうに見えるな?

 それはそれとして、本当に心配してくれるのは嬉しいけれど、お兄様は全くデリカシーがない。


「ご、ごめんよぉ。本当は昨日話したかったけど、僕も帰りが遅くてサンドラはもう寝てたからさ……。つい気が急いてしまったんだ。こんなお兄様を許してくれるかい?」

「もう。これから気をつけてくださいね」


 仕方ない。

 いい人には違いないからね。

 どうにも憎めないというか。


「ありがとう! 我が妹はなんて優しいんだ!!」


 そう言ってジョヴァンニはハムよりも太い二の腕を広げて、私を抱きしめようとする。

 私はサッと身を屈めてそれをかわした。

 フッ、お兄様。抱きしめたそれは残像よ。


 いや、いくらお兄様でも、私(智香)としては普通に赤の他人の男性ですし。

 それになんかこう、樽と樽では上手く抱き合えなさそうじゃない?

 お互いの腹がつかえてさ。

 残念な未来しか見えなかったよ……。


「そう言えばサンドラ、ついに生徒会に入ったんだって? よく決心したね! 『平民がいるし面倒だから』ってあんなに嫌がっていたのに、どういう心境の変化なんだい?」


 既にどこかで聞いたのか、本当に嬉しそうな顔でジョヴァンニは言った。

 良かった。避けられたことはそんなに気にしていないみたい。

 前からサンドラはそんな感じだったのかな?

 ってそれはいいとして。

 やっぱりサンドラ、平民がどうというより面倒だったんだなタブローの活動が!

 ジョヴァンニはタブローに入っていないのだから、プネウマを持っている訳ではないんだろう。

 だから、純粋に生徒会役員になったのだと思っているはずだ。

 生徒会に入ることがステータスになるのかどうかは分からないが、せっかく王子に誘われたのに断る妹にヤキモキしていたのかもしれない。


「一度頭を打って記憶が曖昧になったせいか、身分がどうのということがあまり気にならなくなったのですわ。やれることがあるなら、やってみようかと」


 実際には、承諾する前に流れで入ることが決められちゃったんだけど。

 でもあながち嘘ではないので、まあ良いだろう。


「へえ……。驚いたな」


 ジョヴァンニは、思わず言葉が漏れてしまったという風に低い声で呟いた。

 ……なんか、びっくり。

 テンション高めな妹馬鹿兄貴って感じなのに、ちょっと大人の男の人って感じの声だったから。

 もしかしたら、今のが素なの?

 思わず素になっちゃうくらい驚いたってこと?

 あのお兄様が!?


 ハッと素が出ていたことに気付いたのか、すぐににっこりと妹馬鹿兄貴顔に戻った。


「嬉しいなあ。サンドラ、成長したね。生徒会の話、たくさん聞かせてね」

「ええ。分かりましたわ」


 あんまり話せないけどね。ごめんなさい、お兄様。


「そう言えばお兄様、ムンク男爵家ってご存知?」


 もしサンドラの子供の頃何かあったのだとしたら、ジョヴァンニも知ってる可能性が高い。

 大事なことだもの。調査調査!


「……ムンク男爵家? 昔、引きこもりの長男が忽然と姿を消した、あの家かな」

「そうですわ! そのムンク男爵家と私って、何か関係があったかしら?」

「さあどうだろう……なんでそんなこと聞くの?」


 腕を組んで(太くてあまり組めていない)首を傾げたお兄様が、真っ直ぐに瞳を向けて訊いてくる。

 そりゃそうよね。

 いかにも怪しいよね。


「いえ、今日お友達とその長男失踪事件の話になったのですけど、なんだかこう、記憶に引っ掛かる様なものがある気がして」


 全くそんなものはないけれど、そういうことにしないとね。

 本当に何も関係なければ「気のせいだった」で済むだろうし。


「さあ……どうかな。あまり思い当たらないけどなあ」

「そうですか……」


 もしかしたら、パーティーか何かでサンドラがやらかした、とかそういうのかもしれないなぁ。

 公爵家と男爵家の格差だ。

 その場だけの当人間で話が終わってしまい、公爵家側が認知しないままムンクが引き下がったということも考えられる。

 うーん。ムンク自身に聞かないと分からないかも。


「ロッセリも思い付かない?」

「その……もしかしてなのですが」


 ロッセリが何か言いづらそうに、逡巡しながら口を開いた。

 その時。


 バンッ! と再び激しい音を立てて扉が開いた。

 咄嗟にロッセリがまた気遣わしげに扉を見つめている。

 もちろん、入ってきたのは、


「お父様!」


 なんなんだボッティチェリ公爵家!!

 うちの男どもは誰一人娘の部屋の扉をノックせんのかい!!


「でかしたぞ! 生徒会に入ったんだろう! たまには役に立つじゃないか!」


 うーーん、この。

 娘をただの駒としか見ていない感。

 本当、この父親のいい所は顔だけだなぁおい。

 にしてもサンドラ、さては生徒会に入るのを断っていることをお父様に話していなかったんだな……。

 タブローの活動は面倒だけどお父様には怖くて言えなかったのか。


「できる限り頑張りますわ」

「もちろんだ! ボッティチェリ公爵家の威厳を存分に見せるんだぞ!」


 お父様、随分と上機嫌だわ。

 やっぱり生徒会に入るのって、学園内でそれなりにステータスなのかも。

 これはもしかして、今なら質問しても答えてくれるんじゃないかしら。


「あの……お父様? 今日お友達と話題になって気になったのですけれど、私ってムンク男爵家のご子息と何か関係はあったかしら?」

「ムンク男爵家……?」


 お父様は「はて?」と考える素振りで、顎に手をやる。

 そして、何か思いついたように手を打った。


「ああ、お前が流行病に罹った時、同じ病に罹った娘がいた家だ。あの病は重症化することはあまりないが、お前とその男爵の娘は酷かった。そうなると効く薬は少なくてな。アンドレアが苦心してどうにか手に入れたが」


 言いながら、お父様はどこか昔を懐かしむような表情をした。

 アンドレアというのは、お母様の名だ。一昨日ロッセリに聞いた。

 えっでもそれって……。


「それじゃあ、ムンク男爵令嬢は……」

「薬が手に入らず死んだそうだ。だが相手が男爵家なら、我が家を優先的するのは当然だろう」


 あまりにあっけらかんと。

 本気で「当然だ」と思っている顔でお父様が言う。


「あの病があったから、アンドレアはお前に甘くなったんだ。本当に、お前は厄介なことばかりする」


 先ほどまでの上機嫌から一転、お父様の機嫌が酷く悪くなる。

 おおかた、お母様が亡くなった時のことを思い出したんだろう。


「まあまあ。お父様落ち着いて。サンドラ、謎は解けたかい?」

「ええ……。よく、分かったわ」


 なんで、ムンクが私を敵対視しているか。

 当然だ。

 姉の死の元凶だから。


 お母様は純粋に、娘可愛さで薬を手に入れたのだろう。

 もしかすると薬を入手する過程で、何某かムンク男爵家とトラブルがあったのではないだろうか。

 けれどもサンドラだって、その薬がなければ命が危なかったのかもしれない。

 だからお母様の行動が、間違っていたとは言えない。

 そう考えれば、ムンクの心情は理解出来ても、逆恨みに近いような気もする。

 けれど、罪悪感を感じないと言えば嘘だ。


 もしかして、本当にもしかしてだけれど、サンドラの極度な身分差別意識って、そこから来ているのかもしれない。

 男爵令嬢より公爵令嬢の方が優先されて当然だ。男爵令嬢の方が死んで当然だった、仕方がなかったんだって。

 自分が罪悪感を持たないように、自分の心を守るために、そう考えていたのではないだろうか。

 もちろん、単に父親の差別意識をそのまま引き継いでるだけかもしれないけどね。


 部屋に沈黙が流れる。

 どうしても、姉の死を前に、為す術もなかったムンク少年のことを考えずにはいられない。


「……よし! じゃあこの話はおしまい! ねえ、久しぶりに僕のバイオリン、聞いてくれない? お父様も、どう?」


 私の気分が沈んでしまったのを感じたのだろう。

 努めて明るい声でジョヴァンニはそう言うと、大きな体の後ろからバイオリンを取り出した。

 体が樽すぎて全く見えなかった。ずっと持ってたんだ?

 ていうか、お兄様がバイオリン……?

 ちょっとイメージが違うんですけど!

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