第18点 狂人しか描けない!

 私たちはその後、真っ直ぐにタブローの秘密基地に戻り、ゴーギャン先生に元の姿に戻してもらった。そしてすぐさま現場の原状回復をお願いした。

 先頭に立って戦うようなタイプではないけれど、ゴーギャン先生はなかなかに忙しい。

 いや便利だもんね……。

 本当ゴーギャン先生のプネウマがあって良かった。

 創作の神様、ナイス!


 元の体に戻って気付いたら、私もフィンセントも知らないうちにあちこちに擦り傷が出来ていた。

 ゴーギャン先生のプネウマでは、怪我を早く治したり怪我する前の状態には出来ないらしい。

 アンナが今にも大粒の涙がこぼれそうに目を潤ませて「ザンドラぜんばい゛〜大丈夫でずが〜!! 生きてて良かった〜」と抱きついてくる。

 嬉しいけれど、ちょっと大袈裟だと思うな?


「僕が治すから、ちょっと見せてもらえる?」

「こんなもん唾つけときゃ治るだろ」

「駄目だよ! 化膿するかもしれないし、仮にも貴族の子息令嬢がこんなに傷だらけじゃ怪しまれるじゃないか!」


 そう言ってフランソワはフィンセントの腕を取り、じっと眺める。


「痛そうだね……早く治ってほしいな。<晩鐘>」


 フランソワがそう呟くと、みるみるうちに傷が綺麗に治っていった。

 すごいなぁ! これが<晩鐘>の力なのか!!


「ボッティチェリさんも。……<晩鐘>」


 傷がスッと消えていく感覚は、なんだか不思議な感じがした。

 ちくりとした痛みがスッと溶けて消えていくような、そんな感じ。

 一体どれくらいの傷まで治せるのだろう。

 そう思って聞いてみたら、切り落としかけた腕をくっつけたことがあるのだとか。

 そいつはすごい! けど一体誰の腕ですか!? とは、ちょっと聞けなかった……。


「それで、一体何が……」

「いやそれが」

「話は先生が戻ってきてからじゃないと」


 レオナルドの言葉に応えようとするフィンセントを遮って、渾身のキリッ顔で言う。

 実際は、私の言い訳をまとめるための時間稼ぎだった訳だけど、とりあえず納得したのか誰も疑っていないようで良かった。

 この間に言い訳を考えなきゃ……!!


 うんうんと言い訳を悩んでいるうちに、あっという間にゴーギャン先生が戻ってきてしまった。仕事が早いわ!

 私は冷や汗をかきつつ、フィンセントと事の顛末を語った。



「お前たちを襲ったのは、エドヴァルド・ムンクという男だと。そういう訳か」


 秘密基地の一人掛けソファーに座って、レオナルドは私とフィンセントに訊く。そこはレオナルドの定位置なのかしら?

 それはさておき、彼の言葉に私は大きく頷いた。


「私が名前を口にした所、動揺して動きを止めたので、間違いないかと」

「ムンク……どっかで聞いたことあるなぁ〜?」


 欠伸混じりにエヴァレットが首を捻る。

 エヴァレットの言葉にフランソワも頷いている。


「おそらく、ムンク男爵家の息子だろう。確か7年ほど前から行方が分からなくなっている。男爵が必死に行方を探していると聞いた」


 レオナルドは顎に手を当て、静かに言った。

 ムンク、きみ貴族だったのか。

 それにしても、王族の方々は全貴族の家名を覚えているのだろうか?

 ムンク男爵家って有力貴族なのかな?

 それとも行方不明事件があったから記憶に残ってただけ?

 咄嗟にすぐ名前と爵位が紐づくレオナルドに感心してしまう。


「ああ、それなら僕も聞いたことある! 確か、お姉さんだか妹さんだかが病気で亡くなって何年もずっと引きこもりだったのに、急に姿を消したって騒ぎになったやつ」

「あったなそれ。10歳かそこらの子どもがどうやって消えるんだって噂になってた。フランソワなんか『きっと幽霊に連れ去られたんだ!』って泣きべそかいてたじゃないか」

「そ、そんなことないよ! 変なこと言わないでエヴァレット!」


 双子が喧嘩をし始め、クロードがまあまあと止めに入る。

 しかし……なるほど。

 何年も前からムンクは姿を消していた、という訳か。

 きっと、亡くなったのはお姉さんじゃないだろうか。

 本物のムンクも、お姉さんを亡くしているから。



 ムンクの作品に、『病める子』という絵画がある。

 青白い顔の少女が、上半身を起こし白い枕にもたれかかっている。

 そんな少女の手を握り、絶望しているのか項垂れる女性。

 全体的に薄暗い部屋の中には、まるで死の臭いが立ち込めているような。

 代表作『叫び』とはまた違った、ひたひたと足から這い上がるような「不安」の感情が見た者を襲う。

 そんな作品だ。

 この作品は、ムンクの実の姉を描いたものだと言われている。

 ムンクの姉は、わずか15歳で肺結核によりこの世を去った。

 彼女の死は思春期のムンクに大きな影響を与え、それ以降、彼は病や死といったものに強い恐怖心を抱くようになったという。


 この世界でも、ムンクにとって姉の死は、大きな出来事だったのだろう。


「ムンク男爵子息も、『デカダンス』の一員でしょうか」

「分からない。だが、可能性は高いだろう。以前郊外で起きた事件で、衝撃波によるものと思われる建物の損壊があっただろう。あれはムンクの仕業じゃないか」


クロードの問いに、レオナルドが答える。

口元にはほんのり微笑をたたえているけれど、目には堪えきれない好奇心が覗いて見える。

何だかすごく面白がっているような。


「それなら、僕の<真価を見出す目グーピルレーダー>に引っかからないのは納得ですね。僕のプネウマは大体5歳くらいで認識しだしたんです。つまり9年前。その頃から屋内に引きこもっていて、その後は『デカダンス』に所属していたんだとしたら、彼がプネウマ持ちだと僕が知る術がない」

「これは偶然なのか必然なのか……」


 テオの言葉に、クロードは腕を組んで唸った。

 もしかしたら、テオの能力を知った上で幼いムンクを攫って唆したか、洗脳した可能性も有り得る……か。


「しかしなんであいつはサンドラを襲ったんだ? 俺には見向きもしてなかったぞ?」


 フィンセントが両腕を頭の後ろに当て、作業台の椅子に寄りかかりながら疑問を投げかける。

 そうそれ。

 なんで私を狙い撃ちだったの?

 ま、まさか彼にも何かしちゃってた!!?

 だとしたら、変装の為に子供の姿になってたのになんで私だって分かったんだろう?


「私にはさっぱり……」

「もしや子供の頃のサンドラの姿を知っているのかもしれないな。本人に自覚がなくとも、何か恨みを買っているということはあり得る。サンドラ、これから用心が必要だ」


 レオナルドに目を合わせてきっぱり言われてしまった。

 なんというか、心配してくれてるんだろうけど複雑だ。

 その可能性大って思われてるってことでしょ?

 まあその通りなんだけど……。

 10年も前から引きこもり&行方不明だった人にどんな恨みを売りつけたって言うのよ!

 サンドラだって十分に子どもだっただろうに……!

 でも、その頃に何かしら恨みを持ったのだとすれば、私の子供姿を知っていても説明がつく。


「そもそもなんで、彼がエドヴァルド・ムンクだと分かったんですか? 会ったことがあったからじゃないんですか?」


 テオがきゅるんとした真っ直ぐな瞳で問いかける。

 なんて無垢な瞳! 純粋な疑問!!

 絶対聞くよね! 当然だけど!!

 それについての言い訳を、ずっと必死に考えてた。

 その結果が、これだ!


「私にも、よく分かりません」


秘技!「自分でもよく分からないけど何故か分かっちゃったんです」のゴリ押し!

 いやだって! 頑張っても言い訳が思いつかなかったんだもん!!


「分からない……?」

「そうなんです。何故かこう、閃いたというか……天啓のように降ってきたというか……」


 あれ? なんかこんなことつい最近も口にしたことがあるような。


「<ゼピュロスの西風>を出した時も、そんなことを言っていたな」


 レオナルドの言葉に、私は内心、膝を打った。

 そうそう! あの時もそんなこと言ったけ。

 誤魔化し方がワンパターン! 嘘が下手なのよ! 発想力無さすぎでしょ!!


 一瞬、部屋全体に沈黙が落ちる。

 背中に変な汗が伝う。やば。今回は誤魔化せないかも……?


 沈黙を破るように、ゴーギャン先生が煙草を一度深く吸って、ふーっと煙を吐き出した。


「もしや……それもプネウマか?」


 唇に煙草を咥えたまま、独り言のように呟いた。

 すると俄かに一同が賑やかになる。


「プネウマがもう一つあるってこと!?」

「相手の名前が分かるプネウマ?」

「でも彼女は既にプネウマの複数持ちだ。あり得ないことじゃない」


 フランソワ、テオ、クロードが一気に捲し立てる。

 なんかいい感じの流れでない!? そこまで考えてなかったけど、そうかもう一つのプネウマってことにすればいいか!


「こう、<ゼピュロスの西風>のようにはっきりと頭で認識できなかったので、何か不完全なプネウマなのかもしれません」


 予防線は貼っておかなきゃ。

 なにせ、いつでも必ずはっきりと分かるわけではないからね。

 仮に他のプネウマ持ちが現れたとして、どの画家か予想は出来ても、それが外れるかもしれないし。


「不完全なプネウマ……か。聞いたことはないが、必ずしもないとは言い切れない。サンドラ、何か他にも分かったことがあれば、逐次教えてくれ」

「は、はい。分かりました」


 正直、レオナルドの瞳から好奇心が隠しきれていない。

 なんだなんだ。珍獣でも見つけたつもりか?


「とにかく、ムンク男爵家周辺を探ってみよう。男爵が息子の行方を偽装している可能性もなくはない。どうにか『デカダンス』の尻尾を捕まえるぞ」


 レオナルドの言葉に、一同皆頷いた。



 レオナルドとゴーギャン先生は引き続き作業を進めるというが、学生の私たちは家に帰らなければならない。

 既に外は暗いだろう。

 生徒会の仕事と言っているのである程度帰宅時間が遅くなることは問題ないけれど、一旦今日はお開きとなり、各々家へと帰ることになった。

 なんだか今日もいろんなことがありすぎた。

 正直、へとへと。



 それにしても、エドヴァルド・ムンク。

 彼と私に、どんな確執があると言うのだろう。

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